第522話:「包囲:1」
第522話:「包囲:1」
グラオベーアヒューゲルの西側での戦いに決着をつけたエドゥアルドだったが、彼は攻勢を緩めなかった。
━━━まだ、戦場の東側では、7万にもなる兵力を有するヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトの軍が戦いを続けているからだ。
自身がそこにいるということを示すための公爵の軍旗が、オストヴィーゼ公爵・ユリウスに指揮される部隊によって守られている農場の北側でかかげられている。
すでに、西側でも、中央でも、連合軍の将兵は敗走し、その姿を消してしまったというのに。
このような明らかにマズい状況に陥ってしまったのは、ベネディクト公爵が自ら前線に出てしまっていたというのが大きかった。
このために自軍の右翼と中央が総崩れとなったことに気づくのが遅れ、目の前の敵に対して攻撃を続けてしまったのだ。
それに、グラオベーアヒューゲルの東側一帯に展開している連合軍に相対している公正軍の部隊は、かなり劣勢であった。
7万という数の半分以下の兵力が展開しているだけであったためだ。
━━━2倍以上の兵力を持って敵を圧倒し、奪われた丘の上を奪還する。
そうすれば他の戦線の動揺も自然と納まるばかりか、戦果をあげた余勢を駆り、一気に中央部の公正軍の側面を襲うことができ、この会戦で勝利を得るための決定打を与えることも可能となる。
エドゥアルドが東側に予備兵力を投入しなかったことはベネディクト公爵にとって想定外のことではあったが、彼からすればそれは、自身にとっての[勝機]と見えたのだ。
皇帝位への野心を抱いたヴェストヘルゼン公爵は、旗下の将兵を叱咤した。
「あの、ノルトハーフェンの小僧の同盟者を討ち取った者は、オストヴィーゼ公爵にしてやるぞっ! 」
それは兵たちの士気を鼓舞するための大風呂敷に過ぎなかった。
タウゼント帝国における公爵位というのは、皇帝選挙での被選挙権を有する家柄、すなわちこの帝国という国家を建国した者の子孫でなければならないと、そう決まっている。
皇統の血筋に連なっていない限り、いくら武勲をあげたところで公爵という身分を得ることはできないのだ。
だが、兵士たちにとってはどうでもよかった。
平民出身の彼らはそういう事情は知らなかったし、少なくとも、ユリウスを討ち取れば想像もできないような莫大な褒美を得られるのに違いなかったからだ。
7万の将兵は奮起し、丘を守る公正軍に襲いかかった。
しかし、ここで新たな誤算が生じる。
━━━兵力で圧倒しているはずなのに、丘を奪還することができないのだ。
それは、負傷しながらも前線にあり続け、将兵たちを勇敢に指揮し続ける若きオストヴィーゼ公爵の存在と、そこに配備された野戦砲の火力のためであった。
一軍の司令官がその場にとどまっている、というのは、将兵と苦楽を共にするということだけを意味しない。
この戦いに勝機があり、必ず勝利するのだと、言葉だけではなく態度で、形としてはっきりと示すということになる。
もしも勝算がなく、そこが遠からず敵によって奪還されてしまうのであれば、普通、司令官はそこから後退してしまう。
戦死、あるいは捕虜という事態を避けるためだけではなく、後方に下がって指揮系統を整理し、防御態勢を立て直さなければならないからだ。
だが、置いて行かれてしまう将兵は、不安に駆られる。
自分たちは捨て駒にされたのではないかと、恐れざるを得ない。
司令官と将兵との間に絶対的な信頼関係が成立していればそのようなことは問題にもならないが、しかし、今回の場合、正面に相対している敵は2倍以上の規模にもなる大軍だ。
ユリウスがさっさと後退してしまっていたら、兵士たちは動揺し、戦うことができなくなってしまったかもしれない。
そして、火砲。
丘を占領することに成功した公正軍は、兵力を集め守備を固めるのと同時に、できる限り多くの野戦砲を元々配備されていた場所から移動させ、敵に向かって発射できるように努力した。
この時代の大砲は直接的を狙って発射する直射砲ばかりであり、それは曲射を行う榴弾砲であっても例外ではない。
通信手段の未発達と砲自体の性能が限られるため、間に砲兵観測員を配置し、砲自体は敵から目視されない位置に位置して間接的に射撃するという方法が実施できないのだ。
だから大砲で敵を撃とうとすると、見晴らしのいい高所にでも陣取れない限り、歩兵たちの戦列と同じ線まで前進しなければならない。
特にユリウスたちが守らなければならない丘は他よりも高い位置にあったから、後方から射撃するというのが難しかった。
兵士たちは上り坂で鋼鉄の塊である野戦砲を引っ張り上げることに悲鳴をあげる軍馬を酷使し、自らも汗だく、泥まみれになって後ろから砲車を押し出し、火砲を射撃位置へと必死になって運んだ。
丘を、優勢な敵から守るためにはその火力が絶対に必要であると信じていたからだ。
そして、実際にその火力は役に立った。
自身が優勢であると確信し、多数で攻め寄せて来る連合軍の将兵を、丘の上に配置された野戦砲からのブドウ弾の射撃によって、何度も追い返すことができたのだ。
それは、巨大な散弾銃を発射するような運用方法だった。
丘の上にたどり着き射撃準備を整えた砲兵たちは砲丸ではなく、無数のマスケット銃の銃弾を内包したブドウ弾(ブドウの房のように弾丸が詰め込まれていることからこの名がついた砲弾の一種)を装填し、戦列を組んで押しよせて来る敵に対して発射した。
放たれた砲弾は砲口を飛び出した瞬間からその内に秘めていた無数の銃弾をまき散らし、目の前の密集横隊をなぎ払うのだ。
先に行われた対砲兵射撃によって、連合軍の火砲の多くは失われた。
それだけでなく、砲車の改良が十分に進んでいなかったために残された数少ない砲は前線にまでたどり着くことができず、彼らは公正軍の砲兵による射撃を一方的に受けることとなってしまった。
なかなか丘を再占領できないことにいら立ったベネディクト公爵は、旗下の騎兵部隊も投入して攻撃を実施した。
しかし、この攻撃はユリウスによってあらかじめ予期されており、側面に広がる麦畑や茂みなどに隠して配置しておいた軽歩兵による狙撃と、数は少ないが勇敢なオストヴィーゼ公国軍の騎兵部隊によって撃退されてしまった。
こうして、劣弱と侮った公正軍による予想外の抵抗を受け、ベネディクト公爵は戦場に取り残され、戦場の西側、そして中央部で勝利を得た公正軍による包囲を受けるという事態に陥った。