第521話:「フランツの運命:3」
第521話:「フランツの運命:3」
自殺を決行しようとしたフランツだったが、しかし、彼はこの場で絶命することができなかった。
なぜなら、その行為を阻止した者がいたからだ。
「ズィンゲンガルテン公爵・フランツ殿下とお見受けいたすっ! 」
突然、背後で叫ぶ声がする。
聞いたことのない声だった。
「閣下、お危のうございます! 」
何事かとズィンゲンガルテン公爵が振り返るのとほぼ同時に、親衛隊の隊長、ギュンター準伯爵が主君に飛びつき、慌ててその身を守った。
「な、なんだとっ!? 」
引き倒されたフランツは仰向けの姿勢で上を見上げ、なにが起こったのかを理解して双眸を見開いていた。
━━━そこには、1人の騎兵がいた。
衣服が一般の兵卒や士官のものとは異なり、専用の装飾を施されたものであり、諸侯でもなければ使用することの許されないマントを身に着け、その下にある胸甲にも金細工の縁取りがされていることから、それなりの地位にいる人物に見える。
これまでの戦いで息があがったのか激しく呼吸をくり返し、全身に汗を浮かべた白馬にまたがるその人物は右手に先端が血潮に染まったサーベルを高くかかげながら持ち、得意満面の勝ち誇った笑みを浮かべていた。
赤毛のマッシュボブの髪と、茶色い瞳を持つ鋭い印象の双眸に、細身の長身。
その身なりと態度から貴族に連なる人物に違いなかったが、しかし、フランツは彼にまるで見覚えがなかった。
「お初にお目にかかる!
我が名は、ヨーゼフ・ツー・フェヒター準男爵。
ノルトハーフェン公国に仕える者!
公爵殿下、その身柄はそれがしがお預かりする! 」
「な、なにっ!?
貴様、あの小僧の臣かっ!? 」
どうやらフェヒター準男爵はフランツの身柄を確保するために先陣をきってここまで突っ込んで来たらしい。
相手が自分を捕縛しようとしているらしいと気づいたフランツは、自分をかばったギュンターに離れさせながら、毒薬を慌てて飲み干そうとする。
「あっ……!? 」
だが、小瓶の中にはもう、一滴も毒薬が残っていなかった。
すでにフタを外した後だったから、地面にかばわれた際に中身がすべてこぼれだしてしまったのだ。
だが、だからといってここで大人しく捕まってやるわけにはいかない。
勝ち誇った少年公爵、エドゥアルドに見世物にされるような屈辱だけは、絶対に受けたくはなかった。
「ギュンター!
その剣で、私を刺し殺せ! 」
フランツはカッと両目を見開き、凄絶な表情で叫んだ。
その命令を受け、老いた親衛隊の隊長は急いでサーベルを鞘から引き抜く。
「させんぞっ! 」「ぐあっ!? 」
だが、主君の望みを叶えようとする試みはうまくいかなかった。
素早くサーベルを振るったフェヒターによってギュンターが手にしていたサーベルは打ち払われてしまったからだ。
「貴様ら、フランツ殿下が自害できぬよう、拘束せよ!
生きたまま、我らが主君の前にお連れするのだ! 」
いつの間にか、フランツたちの周囲には味方の姿がいなくなっていた。
代わりにフェヒターと共に突入して来た公正軍の騎兵たちによってぐるりと取り囲まれてしまっている。
親衛隊の近衛兵たちは、近寄ることができない。
まだ彼らは戦い続けていたが、すでにその隊列はバラバラに引きちぎられ、陣形は崩れ去ってしまっている。
戦場の混乱の中、各々がそれぞれの信念だけで戦い続けているという状態であり、すでに奥深くにまで入り込まれてしまった公正軍の将兵と死闘をくり広げているために主君の下に駆けつけることができなくなってしまっていた。
フランツは自らの腰からサーベルを引き抜き、それで首をかき切って死のうとしたが、間に合わない。
フェヒターに命じられて下馬したノルトハーフェン公国軍の胸甲騎兵たちによって両脇から押さえつけられてしまったからだ。
胸甲騎兵たちは抜かりがなかった。
舌を噛み切って自決するということがとできぬよう、布を取り出してズィンゲンガルテン公爵の口に素早く噛ませ、暴れることができないように縄でその両手を縛り上げてしまったのだ。
生き恥などさらしたくはない。
さっさと、自分を殺せ。
フランツはそう叫んだが、言葉にならないそれはただのうめき声にしかならない。
「みな、聞けっ! 」
屈辱と憎しみのこめられた視線で睨みつけられたフェヒターだったが、そのことにはかまわず、馬上にいるまま声を張り上げる。
「ズィンゲンガルテン公爵・フランツ殿下は、ノルトハーフェン公国の臣!
この、ヨーゼフ・ツー・フェヒター準男爵と、忠勇なる胸甲騎兵隊が捕縛した!!
正当軍の将兵よ、すでに貴様らの主君は捕らわれたのだ!
これ以上の流血は、無用!
潔く武器を捨てよ!
我が主君エドゥアルド・フォン・ノルトハーフェンは、必ず諸君の武勇を称え、その忠義を尊重し、厚く遇して下さるであろう! 」
それは、まだ戦いを続けている近衛兵たちに対する降伏勧告であった。
親衛隊の将兵はみな、ここで主と共に戦死する覚悟を固めていた。
しかし、フランツが生きたまま捕らわれてしまったことを知ると、1人、2人と、戦いをやめて行く。
彼らは主君がここで戦死すると、その覚悟を示したからこそ、もはや勝利の望みのない状況であっても近衛兵としての誇りにかけて戦っていたのだ。
だが、フランツは自決を阻止され、捕縛されてしまった。
━━━主君が生きながらえてしまったのに、自分がここで死んで、いったいなんになるというのか?
滅びの美学に陶酔し、熱狂的に戦い続けていた近衛兵たちだったが、次第に醒めて行く。
戦いが止み、親衛隊の将兵が武器を捨て、投降し始める様子を見渡しながら、フェヒターは心から嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「ふふふ……。
これで、少しはエドゥアルドに恩を返せたな。
それに、アンネにもいい土産になるだろう」
戦場で赫々(かくかく)たる武勲を立てる。
その望みを叶えた準男爵、ノルトハーフェン公爵の従兄弟は、満足そうだった。




