第506話:「小康状態」
第506話:「小康状態」
エドゥアルドの代わりに、自分がユリウスと共に戦う。
そう申し出たヴィルヘルムはその言葉通り、東側の戦場に、前線へとやって来ていた。
辺りは焦げ臭い。
激しい砲火が交わされ、その硝煙の臭いが充満しているだけではなく、砲撃によって倒壊した農場の家屋は未だに消火もされないまま燃え続けているからだ。
その煤けた戦場の中で、公正軍の兵士たちは一時の休息をとっていた。
農場の北側に面した石垣を臨時の堡塁として配置についたまま腰を下ろし、マスケット銃を側に立てかけながら、彼らは水を飲んだり、糧食として配給されたビスケットを口にしたりしている。
ユリウスが農場を奪取した後、敵軍は一時後退し、戦場には小康状態が訪れていた。
グラオベーアヒューゲルの東側一帯における公正軍の主な攻撃軸が東、戦場の外側から大きく迂回してくるものだと考えていた敵将、グランツ・フォン・リヒター準男爵は、その主力を農場の東側に展開していた。
しかし、谷を越え、崖をよじ登った公正軍によって農場が占拠されたことを知ると、リヒターは農場を占領した部隊と東側から迂回してくるユリウスの別動隊に挟撃されることを避け、後退することを選んだのだ。
そのわずかな時間の間に、兵士たちはできる限り英気を養おうとしている。
多くの犠牲を生じさせた後にも関わらず彼らの戦意は依然として高いままだったが、早朝に野営を出発する際に食事を摂ってから8時間近くなにも口にしていない。
ここでなにか食べておかないと、今後も続く戦いには耐えられそうもなかった。
ここまで乗って来た馬から降りたヴィルヘルムは、近くで休息していた兵士にユリウス公爵の所在をたずねる。
すると糧食のビスケットを頬張っていたその兵士は、戦場の脇に立っている1本の木を指さした。
そこに、オストヴィーゼ公爵の姿があった。
彼は木の根に腰かけ、他の兵士たちと同様に休息をとっている。
「ユリウス殿下。お怪我の具合は、いかがでございましょうか? 」
馬の手綱を近くにあった木の柵に結びつけ、エドゥアルドの盟友の前にまで速足で向かったヴィルヘルムは、ビスケットを口に運ぶ手を止めて顔をあげたユリウスに向かって一礼をし、それからその傷の具合をたずねた。
するとユリウスはうなずき、微笑する。
「ああ、ヴィルヘルム殿、ご心配なく。
大事はありません。
軍医からは後方に下がるように言われましたが、このまま兵たちと共に戦うつもりです。
弾は小口径のものだったようできれいに抜けていますし、右手が使えれば、サーベルを振るうことはできます」
そう言う彼の左肩には包帯が巻かれている。
その包帯にも、上に羽織っている穴の空いたシャツと軍服の上着のジャケットにも、血の染みがこびりついていた。
「ユリウス殿下がご無事である様子をご覧になれば、我が主もきっと喜ばれましょう」
「なに、すぐに会うことができましょう。
エドゥアルド殿は、いつこちらへおいでになるのですか? 」
「殿下は……、こちらへはおいでになりません」
お互いに知っている間柄だったし、2人の会話は和やかな雰囲気で進んでいたが、ヴィルヘルムの言葉にユリウスの表情は強張った。
ヴィルヘルムは躊躇わずに、事実だけを伝えていく。
いつも浮かべている柔和な笑みも崩さない。
作戦を伝えるのが彼の役割であったし、もしそれで相手が気分を害したとしたら、自身の主君に代わってその怒りを受け止めるつもりでこの場にやって来ている。
どんな反応が返ってこようと、覚悟はできていた。
予備兵力の投入は東側ではなく、西側で行われる。
簡潔にそう伝えられたオストヴィーゼ公爵の反応は予想していたものとは異なり、淡白なものだった。
「……承知した。
では、我々はここで、ベネディクト公爵が早々に逃走できぬよう、できる限り引きつけておかねばならぬ、ということですな? 」
なぜ、自分たちが多大の犠牲を払って奪取したこの農場からではないのか。
そう言いたい気持ちは、確かに存在しているようだった。
しかしユリウスは賢明な君主だった。
すぐにエドゥアルドたちの狙いがベネディクトを確実に討ち取るか捕らえることだと、そうせねばならない理由まで理解した彼は、淡々と自身のやるべきことを確認する。
「ベネディクト公爵は必ず、この農場を再度手にしようと逆襲してくるはずです。
エドゥアルド殿下が西側でフランツ公爵を打ち破り、敵の後方を遮断するまでは多少の時間がかかりますから、その間は耐えていただかなければなりません。
僭越ではございますが、私が我が主君の代わりに、ユリウス殿下のお供をさせていただきます」
「貴殿が? 」
その言葉に、オストヴィーゼ公爵は少しだけ微笑む。
軍服を身につけてはいるものの、武官というよりは文官といった雰囲気の強いヴィルヘルムの言い分を滑稽に思ったようだ。
「ヴィルヘルム殿は、頭脳労働担当であると思っていましたが」
「それなりに武の方も心得はあるつもりでございます。
少なくとも、ユリウス殿下の御身をお守りする盾にはなることができましょう」
「お気持ちはありがたく頂戴しますが、あまり無理はしませぬように。
貴殿の知略は、これからもエドゥアルド殿のために必要であるのに違いないのですから」
「恐縮でございます」
ユリウスの言葉に、ヴィルヘルムは柔和な笑みを浮かべたまま一礼する。
「ところで、ヴィルヘルム殿。
貴殿もここで私と一緒に、食事をされていくといい。
こちらからではなく、西から攻勢をかけるというのであれば、増援を送っていただくわけにもいかないのでしょう?
きっと、厳しい戦いになるはず。
今の内になにか口にしておかなければ、身がもたないでしょう? 」
「殿下のご配慮、ありがたく存じます。
お言葉に甘えさせていただきます」
ユリウスの配慮に感謝して一礼をし、顔をあげた時のことだった。
後方、南の方から、ガラガラと重そうに車輪が回る音と、馬のいななく声が聞こえてくる。
馬車だ。
それも、1台や2台ではなく、10台以上も列を連ねてこちらに向かって来ている。
そしてその先頭を走っている馬車には、ノルトハーフェン公爵家の紋章である舵輪が描かれた旗が掲げられていた。
「あれは、いったい……?
増援は、いただけないのではなかったのですか? 」
予想もしていなかった車列の登場にきょとんとした顔をしているユリウスがたずねるとヴィルヘルムはほんの少しだけ申し訳なさそうに向かって来る馬車たちの正体を答える。
「残念ながら、あれは増援ではございません。
我が衛生隊でございます。
負傷兵の救護に参ったのでございましょう」




