第502話:「血みどろの丘:2」
第502話:「血みどろの丘:2」
(申し訳ありません、父上。
エドゥアルド殿……)
━━━撃たれる。
そう悟った瞬間、ユリウスが咄嗟に思ったのは、謝罪だった。
オストヴィーゼ公国の後継者として果たさねばならない務めがまだ多く残っているのに。
この会戦に勝利をもたらすと、そう盟友に、義兄弟に対して誓ったのに。
そんな悔恨がよぎる。
だが、ユリウスはすぐにロープを力強くつかみ、崖の切り立った斜面を軍靴で蹴り上げ、よじ登ることを再開した。
自身の頭蓋を撃ち抜く弾丸を発射するはずであった敵兵は、公正軍の軽歩兵の狙撃を受け、引き金を引けないまま谷底へと転落していったからだ。
姿をあらわした敵兵のほとんどは陣頭に立ったオストヴィーゼ公爵を狙っていた。
しかし、ついに彼を討ち取ることはできなかった。
ユリウスのために味方の軽歩兵たちが優先して支援してくれたというのもあったが、今日、この時この瞬間、彼は運命に愛されていた。
そうとしか呼べないほどのツキがあった。
オストヴィーゼ公爵の手が、硬い岩をつかむ。
全身の膂力を使い、自身の身体を持ち上げる。
彼はとうとう、丘の上に立っていた。
10メートルの崖をよじ登り、これまで4度の攻撃を跳ねのけて来た敵の拠点にたどり着いたのだ。
「進めッ!! 進めェッッ!!!! 」
ユリウスはサーベルを振りかざし、腹の底から声をあげ、背後を振り返ることなく前に駆け出す。
その後ろからは彼と共に崖をよじ登って来た将兵が次々と姿をあらわし、決して主君に遅れまいと、必死の形相でついて来た。
たちまち、丘は血に染まった。
突撃を続ける公正軍を、丘を守る連合軍が迎えうち、白兵戦となる。
ある者は銃剣で突き刺し、別の者は銃床で殴打し、あるいは至近距離で引き金が引かれた。
双方の兵士が次々と倒れ、流れ出した血が丘の上の地面を、草花を凄惨な色合いに塗装する。
ユリウスも、1人、2人、3人と斬り捨てた。
自分に銃剣を突き入れようとしてきた兵士。
レンガを手に、脳天を叩き割ろうとしてきた兵士。
こちらの突撃の勢いに恐れ、背中を向けて逃げ出そうとしていた兵士。
無我夢中だった。
一瞬でも立ち止まり、躊躇すれば、屍をさらすのは自分の方だという予感があった。
だから彼は決して容赦せず、サーベルを振るい、その怜悧な美しい刀身に血潮をまとわせた。
前に、前に。
この農場を奪取し、公正軍の、オストヴィーゼ公国軍の旗を掲げるのだ。
その一心で進み続けていたユリウスだったが、突然痛みを覚える。
「ぅぐっ!? 」
サーベルを握ったままの右手を左肩に手をやり、目線をやって確かめると、身に着けていた白い手袋が赤く染まっている。
どうやら流れ弾かなにかが命中したらしい。
被弾したことの驚きと、負傷したことへの恐怖。
そのために足がすくみ、オストヴィーゼ公爵は数歩よろめく。
致命傷にはならなさそうだというのは、すぐにわかった。
だが、彼の身体はしばらくの間、動かなくなる。
━━━自分は、十分に戦った。
陣頭に立って兵士たちと共に突撃し、名誉の負傷をした。
部下たちに対しても、エドゥアルドに対しても、できる限りの[義理]は果たした。
だからもう、ここで立ち止まってもいい。
引き返してもいい。
自分は公爵位を継いだ責任ある立場にあり、けっして命を失うわけにはいかないのだから。
「うわあああああああっ!!! 」
ユリウスは雄叫びをあげた。
自身の心の内に沸き起こった怯懦の心を振り払い、再び前に進むために。
彼の足は大地を力強く踏みしめ、血に染まったサーベルを振り上げ、彼は兵士たちと共に突き進む。
たかが負傷した程度で、立ち止まってなどいられない。
この攻撃が成功するか否かで、会戦の勝敗が、自分たちの運命が決まってしまうのだから。
勝てば、栄達が約束されている。
エドゥアルドはタウゼント帝国の帝冠をいただき、そのために貢献したユリウスにも、絶大な恩恵がもたらされるはずだった。
しかし、負ければ後がない。
ベネディクトとフランツ、どちらが新たな皇帝になるのかはわからなかったが、オストヴィーゼ公国に対しては報復的な処置が待っているだろう。
勝つ。
勝たねばならない。
自身の、一族の、臣民の、部下たちのために。
盟友のために。
だから彼は、兵士たちと共に痛みを無視し、屍を乗り越え、進んだ。
戦いを有利に進めたのは公正軍の側だった。
強化された砲兵火力で徹底的に砲撃したおかげで敵陣はこれまでになく甚大な被害を受けており、先の、4度目の攻撃を跳ね返す原動力となった防御陣地として機能していた農場の建物がみな破壊されていたからだ。
外郭の防衛線を突破してもユリウスたちは激しい抵抗を受けたが、その反撃はねじ伏せることができた。
防衛線が破られた際に巻き返すための拠点となっていた家屋が破壊され、そこを守備していた将兵の多くが、砲撃と建物の崩落に巻き込まれて無力化されてしまっていたからだ。
それだけではなく、今回の攻撃は公正軍の気概が違っていた。
なにしろオストヴィーゼ公爵が自ら陣頭に立ち、「進め、進め! 」と鼓舞しているのだ。
敵の防衛線を打ち破り、着実に農場を制圧しつつある。
徐々に芽生えるその実感は勝利の高揚感をもたらし、兵士たちの喚声をより一層強く轟かせ、その攻撃の鋭さを強化した。
やがて、農場を守備していた連合軍の将兵は逃げ出した。
これまでにない公正軍の激しい攻撃に戦力をすり減らされ、あまりの鋭鋒に戦意を打ち砕かれたのだ。
外郭の防衛線は破られ、多くの将兵が死傷した。
農場の建物は先に破壊されてしまっており、敵の攻撃を跳ねのけるために拠るべき拠点はどこにも残っていない。
ここを守り抜ける確証を持つことなどもはや誰にもなく、連合軍の兵士たちは士官の「逃げるなっ、戦えっ! 」という必死の叫びも虚しく、1人、2人、と逃げ出していく。
ほどなくして、農場は公正軍によってついに奪取された。
午前11時7分。
会戦が始まってから、5時間半ほどが経過した時のことだった。




