第501話:「血みどろの丘:1」
第502話:「血みどろの丘:1」
グラオベーアヒューゲルの東側、小高い丘の上の農場。
この会戦の勝敗を左右する位置にあるこの場所を連合軍から奪取するために、オストヴィーゼ公爵、ユリウス・フォン・オストヴィーゼは自ら陣頭に立ち、大勢の将兵と共に谷の底から丘の上を見上げていた。
周囲にあるのは、死屍累々。
これまでに4度攻撃を敢行したものの、公正軍は未だに農場を奪取することができずにいる。
その犠牲者は、すでに数千を数えていた。
谷底に折り重なり、すでに息絶えた兵士たち。
自分自身の命令によって突撃し、死んでいった部下たち。
中にはまだ息がある者もおり、朦朧とした意識の中で苦悶にうめき声をあげ、助けを求める声をうわごとのようにくり返している。
(次の、5回目の攻撃は必ず成功させる。
━━━この、犠牲に報いるために)
そう決意して陣頭に立ったユリウスの頭上では、砲声と共に、ヒュン、ヒュン、と風切り音が無数に飛び交っている。
突撃を前に敵陣にできるだけダメージを与えるため、砲兵と軽歩兵による猛烈な射撃が続いているのだ。
敵側からの応戦はまばらだった。
ノルトハーフェン公国軍の参謀総長、アントンの発案による対砲兵射撃によって敵砲兵は相当数が沈黙しており、もはや反撃できる砲は数少なくなっている。
加えて、こちら側の攻撃によって敵は武器をかまえることができないのだ。
この5回目の突撃を前にした支援砲撃は、熾烈としか形容できないものだった。
ユリウスが担当する東側の戦場は元々激戦が予想されており、最初から砲兵が増強されていただけではなく、公正軍の総司令官、ノルトハーフェン公爵、エドゥアルド・フォン。ノルトハーフェンの命により、新たに4個砲兵大隊の増援がなされているからだ。
戦線東側に集中された砲兵が放つ砲弾は、農場の建物に次々と突き刺さっていく。
カノン砲から放たれる砲弾は炸薬のない鋼鉄の塊であったが、その単純な質量による打撃は、敵軍の強固な防御陣地として機能していた建築物を確実に破壊していった。
やがて砲声と砲弾が飛翔する風切り音に混ざって、農場の建物が崩壊する轟音が響き、足元に振動が伝わってくる。
とうとう砲撃に耐え切れずに、敵が立て籠もっていた家屋が倒壊し始めたのだ。
その音は不気味に聞こえ、兵士たちは不安そうに崖の上を見上げる。
家屋が倒壊する轟音は次々と断続的に聞こえ、そして、ほどなくして聞こえなくなった。
おそらく、農場にあった建物のほとんどは砲撃によって破壊されたのだろう。
その証拠に、間もなく砲声も止んだ。
つんざくような砲声が消え、まるですべてのものが沈黙してしまったのではないかと思えるほどの静寂に包まれる。
━━━いよいよ、攻撃を開始する時が訪れたのだ。
「突撃ッ! 」
そう悟ったユリウスは右手に持ったサーベルを高く振り上げ、周辺に響き渡るような叫び声をあげ、崖に向かって駆け出した。
その直後、彼の背後で兵士たちの吶喊が始まった。
いくつもの雄々しい喚声と軍靴を踏みしめる音が重層的に重なり合った、戦いの音楽。
兵士たちは次々と崖の下にたどり着くと、鉤縄を崖の上にかけ、あるいはハシゴを立てかけ、我先にとよじ登っていく。
ユリウスはその先頭に立っていた。
いつ、敵から攻撃を受けるかわからない。
これまでの攻撃でも激しく支援攻撃を加えていたが、いずれもこの崖を突破する際には頭上から激しく反撃を受け、それによって大勢が犠牲となって谷底に折り重なっているのだ。
予想していた通り、10メートルの高さがある崖をよじ登っていくユリウスたちの頭上に、これまで物陰に隠れて砲撃を耐え忍んでいた敵の将兵たちが姿をあらわす。
マスケット銃をかまえた、三角帽子の戦列歩兵。それに、熊革の帽子をかぶった軽歩兵。他の兵士より目立つ装飾のされた軍装の、精鋭歩兵である擲弾兵。
彼らはその銃口を必死に崖を登って来る公正軍の将兵へと向け、あるいは人間の頭ほどの大きさのある石を投げつけようと頭上にかかげ、誰に向かって攻撃を加えるか狙いを定める鋭い視線を浴びせて来る。
敵兵の姿は戦塵にまみれていた。
これまでにくり返されて来た激戦と、猛烈な砲撃を受けたせいだ。
しかし、その戦意は衰えてはいない。
この農場を守る敵将、グランツ・フォン・リヒター準男爵はそれだけ、部下たちの心を掌握している、ということだった。
顔をのぞかせた敵兵の視線が、一斉にユリウスの方へと向けられる。
━━━目の前に、公爵がいる。
敵の指揮官の一人、それも公正軍の副将とでも呼ぶべき立場にいる人物が。
その事実は彼らを一瞬だけ驚きで立ちすくませた。
しかしすぐに我に戻ると、敵兵たちはその矛先をユリウスに集中させる。
ユリウスは公爵としての軍服姿であり、他の将兵とは一線を画す装飾が施されていて一目で見分けがついたし、整った容姿は明らかに高貴な出自であると見る者にすぐ気づかせる。
敵の高級将校を討ち取れば、それは大きな手柄だ。
それどころか、この会戦の勝敗を決定づけるほどの影響を与えるかもしれない。
敵兵は競うようにオストヴィーゼ公爵の命を狙った。
崖の上まで、まだ5メートルほど。
ユリウスは自身の脇を銃弾が掠めたことに気づきながらも、ロープをよじ登るのをやめなかった。
今さら引き返すことはできない。
後ろからは次々と味方の将兵がやってきているし、ここで恐れて指揮官が逃げたとあっては、誰も必死で戦おうとは思わなくなってしまうのに違いない。
ユリウスは歯を食いしばりながらロープを登り続けていたが、登りきるまであと3メートルというところで、はっとして目を見開いていた。
自身の頭上にあらわれた敵兵が、こちらへ銃口を向けて来たからだ。
突きつけられたマスケット銃の銃口が、真円に見える。
すなわち、その照準がまっすぐにこちらに合わせられている、ということだった。