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メイド・ルーシェのノルトハーフェン公国中興記(完結・続編投稿中) ~戦列歩兵・銃剣・産業革命。小国の少年公爵とメイドの富国強兵物語~  作者: 熊吉(モノカキグマ)
・第22章:「グラオベーアヒューゲル」

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第492話:「グラオベーアヒューゲルの会戦:2」

第492話:「グラオベーアヒューゲルの会戦:2」


 会戦の始まりから終わりまで、弾薬が尽きない限り大砲はその威力を発揮し続ける。

 だからその砲兵を、会戦のできるだけ早い段階で撃ち減らす。


 ノルトハーフェン公国軍の参謀総長、アントン・フォン・シュタムの考案によって実行されたこの作戦に連合軍の側が気づいた時には、すでに手遅れになりつつあった。


 連合軍は事前の諜報により、公正軍が自軍よりも寡兵であるにもかかわらず、より強力な砲兵を有していることを把握していた。

 だからこそ、最初から全力で砲撃戦に応じたのだ。


 乾坤一擲、劣る火力を補うための出し惜しみなしの砲撃。

 しかし、それが仇となった。

 連合軍はその野戦砲を配備した位置を自らの発砲炎によって早々にすべて暴露してしまい、そこを、エドゥアルドたちが隠していた6個砲兵大隊によって狙い撃ちにされることとなったのだ。


 この時代、利用されている大砲の多くは砲員が直接目視で目標を把握して射撃を行うタイプの、カノン砲などを始めとする直射砲だった。

 山なりの放物線で榴弾を撃ち出す榴弾砲も一定数装備されてはいたが、あくまで主役はカノン砲などの直射砲だ。


 というのは、放物線で砲弾を発射する場合は目標に着弾するまでの弾道が必然的に長くなるため、精度の低い滑腔砲ではただでさえ芳しくない命中精度がさらに悪化するという問題があり、曲射砲にさほど利点がなかったからだ。


 だから、両軍ともに直射砲を主力として運用している。

 また、通信技術が未発達のこの時代では、前方に観測員を配置して敵情を観察させ、その情報を後方の砲兵に伝達し、敵兵からは直視できない遠距離や遮蔽物の向こう側から間接射撃を行う、などということは当然できない。


 このために、砲兵というのはみな、前に出て戦っている。

 歩兵同士がマスケット銃を直接向け合って戦っているように、砲兵たちも互いの砲口を向け合って戦っているのだ。


 連合軍の砲兵たちは、公正軍の砲兵から狙い撃ちにされていることにすぐに気がついた。

 互いに目視し合える位置に出て戦う運用が主なのだから、こうして、敵の砲兵から撃たれる、などということは十分に想定し得ることだったからだ。


 しかし彼らはすぐには対応することができなかった。

 なぜならすでに別の砲撃目標が指示されて交戦を開始してしまっており、上からの命令、ベネディクトやフランツからの指示がなければ自分に向けて射撃してきている敵砲兵に反撃することが許されていないからだ。


 そもそも、反撃することも困難だった。

 公正軍の砲兵はすでに連合軍の砲兵の位置を把握してから射撃を開始しており、命中率が低くとも狙いは正確で次々と命中弾が生じている。

 こういった、敵弾が次々と飛来する中であらためて敵情を冷静に観察しその位置を発見し、落ち着いて正確に狙いを定めるなどという芸当をできる者は少ない。


 グラオベーアヒューゲルの会戦は、双方が野戦築城を行わずに正面からぶつかり合う完全な野戦であった。

 だから砲兵たちは自らの身と大切な大砲を保護するための防御陣地をまったく築いていなかったから、敵弾を防ぐ手立てがなにもない。


 連合軍の砲兵は公正軍からの対砲兵射撃になすすべなく、その戦力をすり減らしていった。


────────────────────────────────────────


 丘の上に登って放列を敷いた砲兵同士による激しい砲弾の応酬が交わされている中、前線でも激しい射撃戦が行われていた。

 戦列歩兵の前進を援護するために進出した軽歩兵同士の撃ち合いから、密集した銃兵の横隊同士の整然とした射撃戦。


 場所によっては、激しい白兵戦も展開されていた。

 それは特に、戦術上の要地となるはずの場所でくり広げられていた。


 おおよそ南北に別れて戦っている両軍の間に形成された4キロメートルを超える前線の東側に、大きな農場がある。

 西と南側を高さ10メートルほどの低い崖で守られた頂上が平らに成形された小高い丘の上にあり、北側には広々とした収穫を間近にひかえる黄金の麦畑と牛などの家畜の放牧地が、さらに東側の戦場の外れには戦火を恐れて住民たちがみな逃げ出してしまった集落がある。


 農場はこの辺りの大地主の持ち物で、地主の一家が暮らしていた貴族のものと見紛うばかりの豪華で大きな屋敷に、使用人たちが暮らしていた家屋、馬と牛の家畜小屋、納屋が数棟もあるだけでなく、粉ひきのための風車小屋まである。そしてその農場の区画は腰の高さほどの石垣で区分けされていた。


 もしこの農場を確保することができれば、おおよそ、戦場の全体を見渡すことができるのに違いなかった。

 西を見ればそこは北の連合軍と南の公正軍がぶつかり合う前線が連なっているし、その場所が高所であるというだけではなく、風車小屋など背の高い建物もあるから、そこにのぼれば本当に前線から敵陣の後方の配置まですべてを明らかにすることができてしまう。


 この農場が存在することは、事前の偵察によって両軍が把握していた。

 そしてどちらも、最優先の攻略目標として指定していた。


 敵の配置がどうなっているかを俯瞰することができれば、当然優位に立つことができる。

 相手の意図や弱点を見抜くことができるし、新たな作戦のために兵力を動かしたとしてもすぐに把握することができるからだ。


 この会戦の戦況全体を左右するかもしれない要地を確保するために、連合軍はベネディクトの腹心であるグランツ・フォン・リヒター準男爵に率いられたヴェストヘルゼン公国軍2万を中心とした総計4万の兵力を注ぎ込んだ。

 これに対するのは、オストヴィーゼ公国軍、ユリウス・フォン・オストヴィーゼに直接指揮されている3万5千が差し向けられていた。


 ほぼ確実に激戦地となるこの農場にオストヴィーゼ公国軍を中核とする軍が差し向けられたのは、ユリウスが自らそう望んだ、というのもあったが、オストヴィーゼ公国軍を一塊として軍を編制したためにこの軍が公正軍の中ではもっとも大きく、結果的に一番戦力が充実していたからだ。


 こうして、両軍の主力が差し向けられた前線東側の農場では、凄惨な、血みどろの激戦がくり広げられることとなった。


※:作者注 あくまで作者の個人的な見解ですが、この時代の榴弾砲が曲射弾道を取っているのは、冶金技術が未発達であるため榴弾を発射するには発射薬を少なく抑えて初速小さくし、「そっと」撃ち出す必要があり、カノン砲と同様に平射すると著しく射程が劣ってしまうため、放物線で撃ちだして射程を確保しているものだと思われます。


 以上、蛇足でした(*- -)(*_ _)ペコリ


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