第485話:「進むしかない:2」
第485話:「進むしかない:2」
ヴェーゼンシュタットが公正軍の手に落ちたところで、ベネディクトもフランツも進み続けるしかない。
ノルトハーフェン公国軍の参謀総長、アントンの予測したとおり、連合軍は公正軍の補給線を遮断するのと同時に、決戦を挑むために南へ向かって進軍してきていた。
その数、号して20万。
こちらの全力、12万を圧倒する大兵力だった。
敵は、もはや勝ちは決まったと思い込んで進んで来るのに違いなかった。
公正軍は補給線を断たれただけではなく、他に逃げ場もなく、数でも劣る。
単純な理屈で、このまま戦えば数の多い連合軍の方が勝利するのに違いないと、そう考えているはずだ。
ヴェーゼンシュタットと挟み撃ちにする構想が水の泡と消え去っても、両公爵が抱いている勝利するビジョンというのは変わらない。
敵に優越する戦力で圧倒し、逃げ道を塞いで殲滅するのだ。
(果たして、追い詰められたのは僕たちなのか。
……それとも、向こうなのか)
ヴェーゼンシュタットの占領完了を見届けたあと、連合軍との決戦に応じるために北に向かって進軍する公正軍隊列の中で、愛馬である青鹿毛の馬にまたがって進みながら、エドゥアルドは不敵な笑みを浮かべていた。
敵はその数を20万と公称しているが、これまでの偵察と諜報活動により、その実態は15万程度に留まるということが判明している。
だとすれば、十分に勝算がある。
それがエドゥアルドたちの見通しだ。
数の差というのは、古今東西、勝敗を占うのに当たって大きな要素をしめている。
特に、タウゼント帝国の内乱という、互いに似たような兵器、編制、ドクトリンで戦い合う場合には、数の差というのがそのまま戦力の差に直結する。
乱暴な言い方をすれば、敵軍とキルレシオ1対1で刺し違えることになっても最後に兵力が残るから勝てる、という理屈だ。
しかし、少し戦史を紐解けば判明するように、必ずしも数の優劣だけが勝敗に関わってくるわけではなかった。
時に、圧倒的な少数の側が勝利を得るというのは十分にあり得ることなのだ。
それは歴史的な事柄としてよりセンセーショナルに残るように誇張されて記録されることもあるが、作戦面で優れていれば寡が衆に打ち勝つことはあるし、なによりも実際に戦闘を行うことになる兵の戦意の違いというのが大きく関わって来る。
勝利のためなら命をかけると決心して戦っている兵と、命が惜しいと考えている兵士。
どちらがより勇敢に戦うかは論ずるまでもない。
古代、こことは違う場所で行われた戦いで、[背水の陣]、という故事として語り継がれている戦いがある。
とある将帥が敢えて川を渡り逃げ場のない戦場で戦うという、敗北すれば殲滅されるしかない危険な状況で戦って大勝利を得たものだ。
常識で考えれば、このような用兵はリスクばかりが目立つ。
まともな将帥であればまずは採用しない作戦だった。
それなのになぜそんな危険極まりない作戦で勝利できたかと言えば、そこにはもちろん、理由がある。
1つには、あえて川を渡ることで敵にこちらが絶体絶命のピンチにあるということを見せつけ、守りを固めていた城から出陣させた隙に伏兵を用い、逆に敵の城を占拠して後方を遮断したということ。
そしてもう1つは、川を渡り、渡って来るのに使った船をすべて焼き払うことによって、兵士たちに対し[生き延びるためには戦って勝利するしかない]と信じさせ、決死の戦いをさせたことだ。
敵は、わざわざ逃げ場のない不利な戦場にやって来た相手を見つけて、なんて愚かな、物の分からない将軍に率いられているのだと嘲笑し、同時に、自らの勝利を確信した。
そうして意気揚々と出撃した敵軍だったが、もはや勝利するしか生き残る道はないと奮起した兵士たちは必死に戦うから打ち崩せない。
止むを得ず、いったん安全な城に引き返して再度仕切り直しをしよう。
そう考えた敵軍が目にしたのは、伏兵によって占拠された自分の城だった。
簡単に勝てると思っていたのに、そうならなかった。
それどころか、袋のネズミに追い詰められて罠にはめられたのは、自分たちの方だった。
そう理解した敵軍はパニックに陥って戦意を喪失し、そこに、ここが勝機と奮起した死力を尽くしての攻撃を受け、大敗した。
そしてこの勝利を演出した将帥の名は歴史に刻み込まれ、現在にもその名が伝わっている。
誰にでも真似のできる作戦ではなかった。
追い詰められた状況でも兵たちをよく統率することのできる強力な指導力があったからこそ成功したのだ。
常人には成せないことだからこそ、背水の陣は故事として今の時代にまで伝わっている。
公正軍は、その時と似たような状態にあった。
どこかの川を渡ったというわけではなかったが、補給線は寸断されて孤立し、正面の敵軍を打ち破る以外には生還する道は失われている。
問題なのは、エドゥアルドが本当に、兵士たちの心をつかむことができているのか、という点だった。
もしもこの絶体絶命の窮地において兵士たちが奮い立つのではなく、このような作戦を取る者は無能か気違いだと考え、戦う意欲を失ってしまっていたら。
勝利など得られず、脆くも公正軍は瓦解し、少年公爵は敵軍にとらえられ両公爵の望むままにされるか、戦場で命を落とすこととなるだろう。
馬上のエドゥアルドは、ちらり、と背後を、マスケット銃を肩に担いだ兵士たちの隊列に続いて進んで来る馬車を見やる。
それは公爵家の馬車で、古くから自身の御者を務めてくれている老紳士ゲオルクに操られ、他の馬車と一緒にガラガラと車輪を回し、歩兵の速度に合わせて走行している。
そしてそこには、この戦場にもついてきているメイドたちが乗っている。
赤毛のメイド、シャルロッテ・フォン・クライス。
そして、黒髪ツインテールのドジっ子メイド、ルーシェ。
自分の命が奪われるのは、まだいい。
自身の判断によって招かれた結果なのだから、納得することはできる。
その運命を受け止める覚悟は、すでにできている。
しかし、彼女たちまで危険にさらすというのは、想像したくないことだった。
ノルトハーフェン公国に残れ、と、いつもそう言いたくなる。
だが、メイドたちは無理やりにでもついてきてしまう。
ルーシェなどは最初、エドゥアルドの荷物の鞄の中に密航してきたほどなのだ。
それほどまでにしてついて来てくれる彼女たちのことが心配で、そして、その存在がなんとも言えないほどに嬉しく、頼もしく思える。
「勝つ。……そう、勝てばいいんだ」
エドゥアルドはそう呟くと、その視線を、前に。
これから起こる決戦の舞台となる戦場がある方へと向け、まっすぐに見つめた。




