第484話:「進むしかない:1」
第484話:「進むしかない:1」
ヴェーゼンシュタットは一切の抵抗をせず、無血開城した。
その支配者であるはずのズィンゲンガルテン公爵・フランツは、この報告を、決戦に向けて前進中の皇帝軍・正当軍が共同して設営した本営で受け取った。
「馬鹿な!? なぜ、無抵抗で開城するのだ!? 」
彼はその報告を聞くなり、激高し、イスを蹴るようにして立ち上がりながら手にしていたグラスを地面へと叩きつけていた。
ガシャン、という音と共にグラスは砕け、その中の赤ワインが地面の上に広がり、報告をもたらした伝令はまるで自身が叱責されているかのように恐れ、身体をすくみあがらせる。
「落ち着かれよ、フランツ殿。伝令を怒鳴り散らしたところで、どうにもなるまい」
怒りに震えているフランツを、険しい表情のヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトがいさめる。
それから彼はあごで合図をし、使用人たちに倒れたイスを直させ、砕けたグラスを片づけて代わりのものを持ってくるようにと命じた。
「フランツ殿、まずは、座られよ。
なにがあったのか、詳しく話を聞こうではないか」
使用人がイスの位置を直すのを見計らってベネディクトがそう言うと、フランツは小さく口の中で悔しそうなうめき声を漏らす。
だが彼は言われた通りに腰かけると、使用人が用意した新しいグラスを受け取り、そこに注がれた赤ワインをぐぃっと荒々しい仕草で飲み干す。
どうやら、アルコールでもなければ耐えられない、という心境であるらしい。
「伝令。ヴェーゼンシュタットでなにが起こったのか、分かっている範囲で良い。
報告せよ」
「はっ、ご、ご報告いたします」
ひとまずフランツが話を聞ける程度には落ち着きを取り戻したことを確認してベネディクトがあらためて命じると、伝令は、なにが起こったのかを震える声で詳細に説明し始める。
公正軍から降伏を迫られたヴェーゼンシュタットでは当初、開城派と抵抗派で意見が割れていたこと。
大勢としては開城派の方が多数派ではあったものの、公子ハインリヒを筆頭に地位のある者が抵抗派を形成し、その命令によって籠城の準備が進められていたこと。
しかし、フランツから民衆を盾にせよという命令が届いたことによって、形勢が一変してしまったこと。
開城派はもちろん、抵抗派の多くもこの命令に驚き、籠城の意志を失っていった。
そして抵抗派の旗頭であったハインリヒもとうとう翻意し、ヴェーゼンシュタットの意見はほとんど開城派によって統一され、最終的にモーント準伯爵を使者に立ててエドゥアルドに降伏を申し入れることとなった。
「おのれ、モーントめ!
多年に渡る我が一族からの恩を恩とも思わぬ、裏切り者がっ! 」
開城に当たってはモーントが主体的な役割を果たしたことを知ったフランツは、そう憤りながら自身の拳で自分の膝を強く叩いた。
「決戦に勝利し、あの小僧を処断する時には、奴の絞首台も隣に並べて、一緒に吊ってくれるわ! 」
怨嗟の気炎をあげるフランツとはテーブルを挟んだ反対側に腰かけているベネディクトは、口をへの字にしながら伝令に手を振り、下がってよいと仕草だけで伝える。
(厄介なことになったものだな)
それから彼は、小さく嘆息した。
というのは、ヴェーゼンシュタットと公正軍を挟み撃ちにするという作戦が失敗しただけではなく、憎しみを爆発させている仮の盟友をどうやってなだめようかと、頭が痛くなるような思いだったからだ。
「まさか、このようなことになるとはな」
使用人からワインのボトルを受け取り、フランツのグラスに自ら注いでやりながら、ベネディクトはズィンゲンガルテン公爵の怒りをなだめるように言う。
「モーント準伯爵も、愚かなことだ。
多年に渡る恩顧に報い、名誉を回復するために与えてやったせっかくのチャンスを不意にするのだからな。
はてさて、これから、どうするべきか」
「どすうるべきか、ではないだろう!? 」
そんな彼に、フランツの怒りの矛先が向く。
「もとはと言えば、貴殿だぞ!?
ヴェーゼンシュタットの民衆に盾となり、時間を稼げと命じよと提案してきたのは!
すべて逆効果ではないかっ!? 」
すると、ヴェストヘルゼン公爵は苦々しい顔をする。
確かに、元はと言えば自分がそう提案した。
しかしこうも簡単にヴェーゼンシュタットの人々が開城することを選ぶとは思ってもみなかったし、それは自分の責任ではないと思うのだ。
(臣下を手懐けておけぬ、貴殿にこそ責任があるのではないか? )
すべて、フランツが人々からの支持を得られていなかったことが悪い。
ベネディクトからすれば、自分が非難されるいわれなどなかった。
ただし、彼は忘れていた。
先年のサーベト帝国からの防衛戦争の折、フランツの力を削ぐために徒に戦争を長引かせようと画策したのが、自分であるということに。
そうしてズィンゲンガルテン公国の力を削いだからこそ、ズィンゲンガルテン公爵は民衆に対して過度な負担を強いる統治を行わねばならず、それによって信望を失って行ったのだ。
決して、ベネディクトにはまったく責任がない、などとは言えないはずだった。
「フランツ殿。
恐縮至極だが、今さら、責任をうんぬんしたところでなんにもならないのではないか?
いずれにしろ、我々はもう、進むしかない。
ヴェーゼンシュタットが落ちた以上、こちらも補給が足りぬ。
小僧の補給線を寸断したからといって、ゆるゆるとかまえてはおるまいよ。
だが、決戦に勝てば良いのだ。
勝てば小僧を始末することができるし、ヴェーゼンシュタットも取り戻すことができる。
敵は占領軍として5000名を割いた。
想定よりも遥かに少ないが、兵力が分散したというのは間違いない。
敵軍、11万5千。
対する我らは15万。
まずまず、勝算はあるとは思わぬか? 」
「む……。それは、その通りだが」
そう指摘されると、フランツはわずかだが表情を緩める。
感情的にはなっているものの、まだ、話をできる冷静さは保てている様子だった。
「さ、決戦を前に、辛気臭くするのはやめにしよう。
勝利の前祝だ。
今宵はじっくり、飲みかわそうではないか」
そのフランツの様子に少しほっとしながら、ベネディクトはビンをかかげもち、酒を勧める。
すると、渋々とではあったが、仮の盟友はグラスを差し出してくる。
「よかろう。
なんにせよ、酒でもなければうっ憤が溜まっていかんからな! 」
こうして両公爵は、その心中に憤りと焦燥を抱きつつも、夜遅くまで酒を酌み交わし、アルコールによって焦りと憤りを紛らわせることとなった。




