第482話:「忠義の在り処」
第482話:「忠義の在り処」
進駐は少数の兵力によって実施され、行政、司法への介入はしない。
また、公正軍は一切の暴虐を禁じられ、違反した者はエドゥアルドの名によって逮捕され、ヴェーゼンシュタットの当局へと引き渡し、ズィンゲンガルテン公国の法によって裁かれる。
そしてなにより、公爵家の嫡子、ハインリヒ・フォン・ズィンゲンガルテンの身柄の安全は保障され、しかも拘束されず、監視も行わない。
その、甘んじて占領を受け入れるための条件について保証する書類が欲しい。
そうモーントが主張するのは当然であった。
古今東西、口約束ほど[なかったこと]にし易いものはないからだ。
もし後で約束を違えたと糾弾しても、「どこにそんな約束をしたという証拠があるのか? 」と開き直られたらどうしようもない。
占領される側の人間が書類で保証を、などと言って来たら、ベネディクトやフランツであれば「無礼な! 」と気分を悪くしたかもしれない。
あくまで立場上は占領する側の方が上であるはずであり、そうした書類を発行するにしても、それは出す側が[与える]ものとなると、そう考えるのに違いないからだ。
しかしエドゥアルドは気分を害することはなかった。
あくまでこの交渉は、自分と、ヴェーゼンシュタットの代表との対等な立場でのもの。
最初からそういう意識でことに臨んでいたからだ。
紙とペンを用意する。
その少年公爵の言葉で、あらためて命ずるまでもなく、側にひかえていたメイドのルーシェがかしこまって一礼し、必要な道具を取りに行く。
彼女もメイドとしての経験を積み、主のことであれば以心伝心で行動できるように成長しているのだ。
「それにしても……、少々、意外でした」
無事に開城が成ると思い、ほっとしていたエドゥアルドとモーントだったが、その時、これまでずっと黙って話を聞いていたヴィルヘルムが突然口を開いた。
「意外、とは? 」
モーントがまた、やや警戒するように表情を険しくしながらたずね返す。
少年公爵も、驚いた顔で自身のブレーンの方を振り返っていた。
彼はこの知恵者を交渉がこじれた際の助っ人として頼みにし、この場に同席してもらっていた。
しかしながら、交渉はこうして無事に、双方が納得できる条件で成立しようとしているのだ。
それなのに、このタイミングで今さら言葉を、しかも主になんの確認もなく発するというのは、いったいどんな意図があってのことなのか。
エドゥアルドには不思議でならず、不安でさえあったが、ひとまずは黙っていることにした。
ヴィルヘルムが自分に不利益になることをするはずがないと、そう思ったからだ。
「意外、というのは、いくらそちらに防衛のための兵がなく、こちらが穏当な提案をしたからといって、貴殿があっさりと開城を受け入れた、という点です。
モーント準伯爵家といえば、ズィンゲンガルテン公爵家で重んじられてきた、格式ある格別な家柄であるはず。
そして今は、我が軍の進駐を受け入れずに抵抗し、少しでも時間を稼ぐことこそが、主君のためとなる時です。
もし、武器などなくとも身体ひとつで抵抗すると宣告されたら、我が方としても困ったことになるところでした。
前方にはヴェーゼンシュタット。
そして、後方からは連合軍。
これに挟み撃ちをされたら、我が方は窮地に陥ったところです。
貴殿ならば、その程度のことはご理解されているはずではないですか?
それなのに、重恩ある主君に対し奉り、こうもあっさりと開城してしまって良いのか。
モーント殿。貴殿の忠義の在り処はいったいどこなのかと、はなはだ疑問に思った次第なのです」
(ヴィルヘルム! おい、ヴィルヘルムーっ!!! )
エドゥアルドは内心で悲鳴をあげていた。
今、ヴィルヘルムは公正軍が抱えている決定的な弱点について露呈しただけではなく、「あなたに忠誠心はないのですか? 」と、公然と侮辱と取れることをのたまったのだ。
せっかくうまくいった交渉が台無しにされかねない。
少年公爵はさすがに声を荒げて叱責しようと口を開きかけた。
だが、彼はなにも言うことができず、代わりに、きょとんと呆けた顔でモーントの方を振り返っていた。
くすっ、と吹き出すような笑い声を聞いたからだ。
「私の忠誠心の在り処、ですか……。
当然のご指摘であろうかと存じます」
モーントは、まったく気分を害している様子がなかった。
それどころかこれまでの真面目な雰囲気が薄れ、打ち解けたような印象の態度を見せている。
「武器がなくとも、身一つで貴軍に抵抗し、時間を稼げば、我が主君であるフランツ様に勝利をもたらすことができる。
そのことはもちろん、存じ上げておりました。
なぜなら、実際にそのようにせよと、我が主君よりも命令を受けていたからであります。
民衆を城壁に並べ、貴軍を防ぎとめる盾にせよと。
そうすることで謹慎を受けた私の名誉も挽回することが叶うであろうと。
そうフランツ様はお命じになられたのです」
少年公爵は、今度はポカンと口を半開きにしてしまっていた。
フランツが命じたことの内容には心底から呆れるしかなかったからだ。
「ご指摘の通り、我がモーント準伯爵家は、代々ズィンゲンガルテン公爵家の臣として重用されて来ました。
ですからフランツ様をはじめ、公爵家の方々には返しきれない御恩がある。
ですが、それはあくまで我が一族のこと。
それ以外の民衆にとっては、かかわりのないことでございます。
フランツ様は、臣民を自身の所有物のようにお考えなのでしょう。
ですから自分の民について相応に大切になさろうとはいたしますが、必要とあればこうして、肉壁となって敵に抗えとお命じになる。
しかし民衆は、私のように格別なご恩を受けているわけではないのです。
彼らはズィンゲンガルテン公爵家に統治され、庇護されてはきましたが、その対価として税を払い、労役についております。
統治する側、される側という違いはございますが、私からすれば対等な、一方的に命を差し出せと命じることのできる相手ではないように感じられるのです。
私の忠誠心の在り処、ですか。
少なくとも、民衆に対し肉壁になれなどと命じて来るようなお方に寄せる忠義の心など、私にはございません」
そのはっきりとした言葉に、エドゥアルドはごくり、と唾を飲み込んだ。
臣下からこうも突き放されることになるというのは、少し恐ろしいというか、身につまされるような感じがしたのだ。
これは、相手の自業自得だ。
しかし、もしも自分も道を誤ったのなら、こうなるのではないのか。
今まで忠誠を誓ってくれていた者たちが次々と、あっさりと自分のことを見限って離れて行ってしまうのではないか。
臣下といえども人なのだと、そうあらためて実感させられる言葉だった。
そんなエドゥアルドの頭上で、ヴィルヘルムがモーントに向かって深々と下げる。
「モーント殿。ご無礼のほどは、平にお許しくださいませ。
しかしながら、どうしても貴殿の本心を確かめさせていただきたかったのです」
「いや、貴殿がそうお考えになるのは、当然でございましょう」
その謝罪にモーントは快く応じ、それから、あらためて真剣な顔で少年公爵のことを見つめた。
「殿下。我が方は、必ず約定を履行いたします。
ですから、殿下の方にも何卒、取り決めました条件を履行していただきたい」
「ああ、分かっている。
貴殿の信頼、決して、裏切らぬようにしよう」
その言葉に、エドゥアルドははっと我に返り、そして、すぐに深々とうなずいてみせていた。




