第481話:「開城交渉:3」
第481話:「開城交渉:3」
エドゥアルドはこの内乱に勝利し、帝国に新しい体制を築き上げるつもりだった。
しかし、敵対しているヴェストヘルゼン公爵家とズィンゲンガルテン公爵家を、取り潰しにするなどというつもりはなかった。
だから敵軍との決戦に決着がつくまでの間ヴェーゼンシュタットを抑えておくことができればそれでよく、恒久的に自領に編入するために行うようなことは一切しない。
進駐させる兵力は、戦いに勝つためにはより大きな兵力があった方がいいから城内を抑えておける最小限度しかいないし、行政や司法を掌握して、ノルトハーフェン公国の法律を適用させることもしない。
それは、相手に徹底的な抵抗を試みようという気持ちを持たせないための妥協という側面を持ってはいたが、なにより、エドゥアルドには領土的な野心が小さかったからだ。
領土の広大さは、その国の国力に比例することが多い。
産業の基盤が農業であったり、その土地で採取できる資源とイコールであったりした時代が長く、国家の国力とは活用することのできる土地の広さ、産物の豊かさ、そしてそれらを生産するための人口の多さで決まって来るのが今までの常識なのだ。
だが、ノルトハーフェン公国はタウゼント帝国の海の玄関口として交易で栄えてきた国家だ。
元々物流による関税収入が歳入の大黒柱になっていたし、近年になって産業化が進んで来ると、物流が盛んであることを生かして工場の積極的な設立を行い、生産力を増して来ている。
領土を広めずとも交易を安定させ、拡大させることで力をつけている。
だからエドゥアルドには、どうしても領土を広めたいという、そういう望みはない。
それ以外の方法で国を富ますことができるのだということを、これまでの経験からよく知っているからだ。
産業を育成し、他国よりも進んだ技術と生産能力で、必要な資源を輸入し、それを加工して、より価値のある製品として輸出する。
そうすることによって国家の経済が成長し、人々の生活は豊かになり、ノルトハーフェン公国の税収も増大する。
もちろん、そういった政策のために工場を建てたり、人々を住まわせ、生活させたりするには土地は必要だ。
だから領土の保全には関心があるし、もし正当な理由で拡大できるのならば喜んでそうする。
しかしそれは、他の諸侯とは異なって少年公爵にとっての最優先事項ではなかった。
諸侯にとって国を富ますというのは領土的な拡張が真っ先に思い起こされるのに対し、エドゥアルドは別の方法を知っているからだ。
むしろ今のノルトハーフェン公国にとっては、無理な拡張を志して周辺諸国との摩擦を増やすことの方が不利益につながることだった。
他国との交易が止まることこそ、もっとも恐れる事態だった。
だからヴェストヘルゼン公国にもズィンゲンガルテン公国にも、取り潰したり、大幅に領土を割譲させるといったことを求めたりはしない。
後々、恨みや復讐につながるようなことはしない。
ただ、現在の当主、この内乱を引き起こした張本人たちに対いては隠居させ、爵位はそれぞれの嫡子に引き継がせるつもりだった。
ベネディクトにもフランツにもこの内乱を引き起こした責任を取らせる必要があったし、なにより、彼ら自身は自覚しておらずとも、もはやその評判は地に落ちてしまっており、そのまま公爵位にとどまったとしてもなにも良いことなどないはずだからだ。
仮に取り潰しにした所で、混乱を生じさせるだけだっただろう。
両公爵家には独自に召し抱えている準伯爵や準男爵といった者たちが大勢いたし、もし公爵家が取り潰し、などということになれば、彼らは突然路頭に迷うこととなってしまうかもしれないのだ。
もしそうなるとわかったら、今従軍している者たちは必死に戦おうとすうのに違いなく、そうなれば厄介な敵となるはずだった。
そしてエドゥアルドが過酷な占領政策を取らないのは、ヴェーゼンシュタットの民衆を敵に回さないためという意図もあった。
これから起こる決戦。
その勝算は、こちらの将兵が上から下までエドゥアルドの理想に共感し、一体となって戦うのに対し、敵方の将兵は濃厚な厭戦機運を抱えたまま戦う、という点によって成り立っている。
もし公正軍がヴェーゼンシュタットの民衆に対して暴虐な行為を行ったら。
そこに縁故を持つ兵士たちはみなそのことに憤り、フランツへの忠誠心ではなくエドゥアルドに対する怒りによって激しく戦うだろう。
アルエット共和国軍との決戦、ラパン・トルチェの会戦でのことが思い起こされる。
あの時の敵軍の将兵の戦意はすさまじく、ノルトハーフェン公国軍の巧みな撤退戦がなければ、タウゼント帝国軍全体が消滅していたかもしれないと、そう思わせられるだけのものがあった。
その戦意の理由は、共和国軍にとってそれが祖国の防衛戦だという危機感があったからだ。
そしてその意識を決定的に芽生えさせたのは、タウゼント帝国軍自身が行った、民衆に対する略奪であった。
決してあの時と同じことをしてはならない。
強い戒めと共に、エドゥアルドは今回の開城交渉に臨んでいた。
ただ、その考えのすべてをモーントに披見することはしなかった。
説明し、正しく理解され、共感されることは大切だ。
しかしそれはあくまで味方の内のことであって、未だに敵の臣下である相手に対し、馬鹿正直にすべてあけっぴろげにすることなどないからだ。
「公爵殿下の寛大なお申し出に、感謝申し上げます」
いくつか言葉のやりとりをし、少年公爵が確実に約束を守るつもりがあるのだと理解したモーントは、ほっとした様子でそう言うと頭を下げた。
だが顔をあげた時には、その表情はまた引き締まっている。
「ハインリヒ殿下を始め、城の者にこのことをお伝えすれば、開城は成りましょう。
ですがこの開城交渉の内容を保証する書類をいただきたい。
もちろん、エドゥアルド殿下のサインと、その見届け人のサインつきで。
その書類さえいただけますならば、ヴェーゼンシュタットは殿下に対して抵抗しないと、そうお約束いたします」
やはり主君への忠義のために戦う。
そんなことを言い出すのではないかと身構えたエドゥアルドだったが、そのモーントの言葉には合点がいった。
「ああ、もちろんご用意しましょう。
紙とペンを用意いたしますから、少々お待ちください」




