第474話:「ヴィルヘルムの賭け:1」
第474話:「ヴィルヘルムの賭け:1」
皇帝軍も正当軍も、動きを見せない。
その報告を、エドゥアルドはアルトクローネ公国からズィンゲンガルテン公国へと向かう道中で受け取っていた。
「さて……、簡単にはいかなくなってしまったな」
敵の様子を探りに出していた偵察将校の報告を聞き終え、その働きをねぎらって自身の天幕から返した後、少年公爵はイスの背もたれに深く身体を預けて嘆息する。
公正軍は南へと突然進路を変え、急進すると見せかけた後、その進軍を停止し、防御態勢を構築していた。
そうして野営を作り、兵力を展開させてから、すでに2日が過ぎている。
ベネディクトが見抜いたとおり、エドゥアルドは本拠地を奪われまいと慌てて出撃して来た皇帝軍と正当軍を有利な場所で迎撃するというつもりでいたのだ。
しかし、その作戦に敵は乗ってこなかった。
アルエット共和国によるバ・メール王国への侵攻もあり、帝国の内乱を可能な限り短期に収束させて体制を整えなおしたい少年公爵にとっては、これは困った展開だった。
「申し訳ございません、公爵殿下。
どうやら、私の作戦に不備があったようでございます」
顔をしかめて天幕の天井を眺めているエドゥアルドに向かって、ノルトハーフェン公国軍の参謀総長であるアントンが謝罪する。
この作戦はそもそも、彼が参謀将校たちと共に発案したものであったのだ。
敵は防御陣地をかまえて守りを固めている。
そこを正面から襲っては、勝つとしても損害は大きく、もし失敗すれば内乱のさらなる長期化にもつながってしまう。
だから敵に動きたいと思わせる状況を作り、決戦を生起させる。
そういう腹積もりであったのだが、相手は相手で自身の思惑があり、ことは円滑には進まないようだった。
「いや、アントン殿の責任ではないさ。
ひとまずは、ベネディクト殿もフランツ殿も、相応の経験と想像力を持っていたのだと、そう思うことにしよう。
また別の作戦を考えてもらえれば、それでいい」
頭を下げて来るアントンに、エドゥアルドは首を左右に振って見せる。
実際のところ、今回の作戦が成功しなかったのはアントンの責任だとは言えなかった。
戦争とは、相手がいるから起こるものなのだ。
そしてその敵には敵の都合や事情、思惑がある以上、こちらの望んだとおりに動かないことだって当たり前にあり得ることだった。
いちいち細かく責任を問うていては、返って良い働きをしづらくなるだけだろう。
「公爵殿下。アントン参謀総長殿。
よろしいでしょうか? 」
その時、アントンと共に少年公爵と同じ天幕の中にひかえていたヴィルヘルムが進み出てきて2人に視線を送り、発言の許可を求めて来る。
「ヴィルヘルム。
なにか作戦があるのか? 」
その言葉に、エドゥアルドは姿勢を正し、乗り気になってたずねる。
ブレーンとしてこれまで知略をつくしてきてくれたこの人物なら、この状況を打開する良策を思いついたのではないかと、そう期待したのだ。
「はい。策がございます。
我が軍はこのまま全力を持って、ズィンゲンガルテン公国へ、その首府であるヴェーゼンシュタットめがけて、直進するのでございます」
信頼のまなざしを向けて来る主の顔をまっすぐに見つめ返し、ヴィルヘルムは最近ようやく見せるようになってきた彼の生の感情、真剣さを感じさせる雑念の無い表情を向けながら、そう進言する。
「このまま、直進するのか? 」
だが、その言葉にエドゥアルドは驚かされる。
なぜならこのままヴェーゼンシュタットに、それも全軍で進軍するというのは、あまりにもリスキーな作戦であったからだ。
このまま南に向かうということは、防御を固めている皇帝軍と正当軍を横目に、タウゼント帝国を北から南に縦断するということになる。
ということは、公正軍の補給線は長くのび、そして、その無防備な横っ腹を敵軍にさらけ出すことになってしまうのだ。
もしそうなったら、敵は喜び勇んでその補給線を寸断しにかかることだろう。
そうなればエドゥアルドたちは敵地で孤立無援となり、逃げ場も失ってしまうことになる。
それが危険であることは、作戦の立案に関わった者であれば誰もが承知しているはずのことだった。
ズィンゲンガルテン公国を襲うと見せかけて敵軍を誘い出すという今回の作戦の趣旨を説明する際にアントンは、なぜ本当に敵の本拠地を突かずに見せかけるだけなのかということについて、補給線を断たれてしまう危険があるためだということを十分に説明してくれていたからだ。
そういった経緯があるためか、アントンがヴィルヘルムへと向けた視線は厳しいものだった。
だが、すぐに制止することはしない。
彼としては、エドゥアルドがブレーンとして信頼している相手の言葉なのだから、なにかちゃんとした考えがあるに違いないと思い、まずはそれを聞いてからどう反応をするか決めようと、そう冷静に判断したのに違いなかった。
「確かに、殿下もアントン殿も、また他の方々もご承知の通り、これ以上南に向かうことは危険なことでございます。
しかしながら、敵軍の様子を観察するに、そうでもしなければあの陣地から出てくることはないでしょう。
内乱を短期間で収束させる。
その目的を果たすためには、ここは、危険を承知の上で賭けに出なければならない時であると、そう考えます」
エドゥアルドとアントンが注視している前で、ヴィルヘルムはその意見を変えず、ひるまず、はっきりとそう断言した。




