第457話:「メイドよ、ゆけ! 」
第457話:「メイドよ、ゆけ! 」
広間は再び沈黙に包まれていた。
エドゥアルドは、皇帝になるという責任の重大さを受けきることができずに、考える時間が欲しいと、この場から逃げ出してしまった。
ただ、そのことを責めようとか、やはり皇帝は無理なのではないかと言い出す者は1人もいなかった。
状況から言って、帝国の在り様を刷新して時代に合わせて適応させていくには、エドゥアルド以上の適任がいるとは思えなかった。
それに彼がこの場から去ってしまったことを責めるのは、その年齢がまだ満16歳に過ぎないことを考えれば酷なことだと、誰もがそう考えていた。
ヘルデン大陸に一千年もの長い間、大国として存続し続けて来たタウゼント帝国。
その数千万の民衆の運命を握り、次の一千年に備えた礎を築くという事業に重大な責任が伴うのは明白なことであり、それはあまりにも大きい。
そして少年公爵が結論を先延ばしにしたのは、皇帝として背負うべき責任の重さを誰よりも痛感しているからなのだ。
大きな決断を先延ばしにするというのを、非難するべきこととは誰も思わなかった。
「ふむ。厄介なことになってしまったのぅ」
果たしてエドゥアルドは皇帝になることを決意してくれるのかどうか。
その場に集まっていた人々が不安に思っている中そう呟いたのは、イスの背もたれに身体を深く預け、腕組みをしているクラウスだった。
「エドゥアルド殿が容易には決断できんというのは、しかたのないことじゃ。
ワシだって、こんなに急に皇帝になれと迫られたら、さすがに怯むじゃろうしな。
しかし、最後には皇帝になる、と決めてもらわなければ、困る。
ベネディクト殿とフランツ殿がシュテルケ伯爵を死なせ、将来の臣民から略奪を働いた以上、もはや両公爵のどちらも支持することはできぬからの」
その言葉に、ユリウスやヴィルヘルムを始め、何人もの人間が首肯する。
エドゥアルドが決断を先延ばしにしたくなる気持ちは、理解できる。
しかし、なってもらわなければ、このタウゼント帝国に未来はないかもしれない。
そして帝国に未来がないということは、そこに属しているノルトハーフェン公国やオストヴィーゼ公国にも、未来はない、ということだった。
帝国の制度の中で実質的な独立国家として存続して来た両国だったが、それ単体で生き残るには、あまりに小さ過ぎる。
これまで通り盟友として協力し、周辺諸侯と力を合わせたとしても、50万もの総兵力を動員できるアルエット共和国に太刀打ちすることは不可能だろう。
善戦はできるだろうが、それだけだ。
最後には圧倒的な戦力によって押し潰される。
「はてさて。誰か、エドゥアルド殿をうまく説得してくれる者はおらんものかのぅ」
クラウスがそう呟きながらその場に居合わせた人々を見渡すが、誰も目を合わせようとはしなかった。
エドゥアルドの苦悩が理解できるだけに、彼をうまく説得できるという自信を持っている者はいないのだ。
「ふむ」
しかしクラウスは、たった1人だけ、自身と目が合った相手を発見して、興味深そうにうなずいていた。
━━━それは、ルーシェだ。
といっても、彼女に少年公爵を説得できるという自信があったわけではない。
ましてや、自分にそういう役割が回ってくると考えていたわけでもない。
ただ、メイドは突然去って行ってしまったエドゥアルドのことを心配しながら、これからどうなってしまうのかとハラハラしていただけだ。
クラウスと目が合ったのだって、偶然に過ぎなかった。
「……案外、適任かもしれんのぅ」
しかしクラウスはそう呟くと、彼女のことを値踏みするように双眸を細める。
公爵と、メイド。
主人と、召し使い。
エドゥアルドと、ルーシェ。
その2人の関係性についてクラウスはよく知っている。
何度か直接会っているというだけではなく、少年公爵の身近にいる者として、相応にルーシェのことも調べてあるからだ。
自身にとって脅威となる恐れがある相手ではないが、彼女という存在には軽視できないものがある。
それは、エドゥアルドにとってはただ1人、自然体で接することのできる人間だという点だ。
年が近い、1歳差、ということもあるのだろう。
だが、それだけではない。
ノルトハーフェンの港町のスラム街で育ったルーシェには、貴族社会の臭いが少しもしない。
彼女は階級社会の絶対性というものにはまったく無縁で、公爵という高位の貴族とそれ以外の者の間に自然と発生する壁を持っていない。
だからこのメイドは常に色眼鏡なく、少年公爵のことを[主]としてだけではなく、[エドゥアルド]という[1人の少年]として見ているところがある。
そのために、エドゥアルドの方もルーシェの前では重大な責任を背負った国家元首としてではなく、時に弱音を吐き、迷い苦しむ、年相応の存在でいられるのだ。
この場には、爵位や、高い地位を持つ者が大勢いる。
しかし、この中でエドゥアルドと本音で語り合うことのできる存在は、おそらくはただ1人だけ。
ルーシェだけだろう。
そう考えたクラウスは一つうなずくと、真顔でメイドに命じていた。
「よし。やはりお主しかおるまい。
メイドよ、ゆけ! 」
「……ぅえっ!? ど、どこに、で、ございますか? 」
突然指名されたルーシェは素っ頓狂な声をあげて驚き、戸惑う。
するとクラウスは、広間の出入り口の扉を指さしながら、大真面目に言う。
「もちろん、エドゥアルド殿のところへ。
そなたの主のところへじゃ。
そして、エドゥアルド殿が皇帝になってくれるよう、説得するのじゃ。
おそらくこの中でそれができるのは、ルーシェ殿。
そなたしかおらん」
その言葉に、メイドはぱちくりと、きょとんとした表情でまばたきを繰り返している。
エドゥアルドが皇帝になるべき状況だというのは、彼女もきちんと理解していた。
この場にいる者みながそのことに賛成していることもわかっている。
そして、誰かが少年公爵を説得しなければならないのだということも、知っている。
しかし、まさか自身がその役割を果たさなければならないとは、夢にも思っていなかった。
なぜなら、自分はただのメイドに過ぎないと考えていたからだ。
戸惑っている少女のことを、クラウスはじっと見つめ続けている。
すると、彼が本気でエドゥアルドの説得をさせようとしているということが、自然と理解できた。
「えっ、えっ、えぇぇぇぇぇぇぇっ!? 」
突然に任された大役の責任の重さに、ルーシェは思わず、そう悲鳴をあげてしまっていた。




