第456話:「少し、1人に」
第456話:「少し、1人に」
演説を終えたユリウスがちらりとエドゥアルドの方へ視線を向けてから腰かけると、広間は沈黙に包み込まれた。
誰もが、待っている。
エドゥアルドがこれから、どんな決断を下すのか。
自らがかかげていたはずの大義を、自身の手で決定的に汚してしまったベネディクトとフランツに成り代わり、カール11世からの手紙に従い、自らが皇帝になると、そう宣言する瞬間を。
少年公爵は、人々の注目と、期待とを、自覚していた。
こちらへ向けられる視線はどれも真剣なもので、迷いがないものばかりなのだ。
ユリウスの言葉によって、エドゥアルド以外の腹は決まってしまっていた。
確かに少年公爵はまだ若く、その才能は誰もが認めることであっても、未熟なところも目立っている。
しかし、欠ける部分は自分たちが補えばいいのだ。
ノルトハーフェン公爵を支える臣下たちには、エーアリヒ準伯爵を始めとして豊富な実務経験を持った有能な行政官たちがいる。
軍事面においても、元帝国陸軍大将として帝国中にその名を知られていたアントン参謀総長がおり、その指導の下、ノルトハーフェン公国軍の将校たちは順調に力量を磨いている。
加えて、盟友であるオストヴィーゼ公国のユリウスが、自らエドゥアルドのことを支援すると宣言しているのだ。
彼もまた若いが有能な統治者として見なされており、2万を優に超えるオストヴィーゼ公国軍の助力があれば、勝利は十分に望めるだろうし、諸侯を味方につけていく上でも有利に働くのに違いない。
そしてユリウスが味方するのだから、当然、その父であるクラウスも引き続きエドゥアルドを助けてくれるだろう。
梟雄と評判のその知力、張り巡らされた諜報網が、力強く支えてくれる。
皇帝、カール11世は、10年後を考えていた。
帝国が突如として内乱状態に陥ることなど想像もしていなかったのに違いなく、皇帝は未来に向けて希望を託したのだ。
誰にとっても、現在の状況、ベネディクトとフランツという有力な次期皇帝候補が内戦を戦っているという状況は想定外だった。
少しでも事態を改善しようと懸命に努力をして来たのに、行き着いたのは混迷。
その状況を脱するために、エドゥアルドを皇帝に立てるという手段がもっとも適した手段となってしまったのは、偶然の産物に過ぎない。
それでも、その場にいる人々は「そうする以外にない」という思いを共有するのに至っていた。
ただ1人、当の本人、エドゥアルド・フォン・ノルトハーフェンを除いて。
(僕でなければ、ダメなのか? 本当に……? )
少年公爵は、いらだちを覚えるほどに回らない自身の頭で何度も自問自答しながら、必死に両手で膝を押さえつけていた。
そうでもしなければ、とても自身の身体の震えを抑えることができないからだ。
彼はこれまで、様々な重圧に耐えて来た。
ノルトハーフェン公爵として、数百万の民衆の命運を預かる。
戦場では、万を数える部下たちを進退させ、その生命を預かる。
その責任に、エドゥアルドは立ち向かって来た。
目の前にどんなに高く厚い壁が立ちはだかろうと、なんとかする。
自身の臣民のために。兵士のために。
このためにこそ、エドゥアルドはこれまで決して自己鍛錬を怠らず、幽閉同然の扱いで不遇な扱いを受けていた時も、決して投げ出さず、困難に立ち向かい続けたのだ。
そしてやがては、この帝国全体を。
少年公爵にも野心はあったし、自身の実力にも多少の自信は持っていた。
なにより、帝国を運営している諸侯の旧態依然とした考え、そして自身の都合による陰謀をくり返す貴族社会の在り様にうんざりし、このままではいつかこの国ももたなくなる時が来ると危惧していた。
だから、いつか皇帝に、という、具体的ではない漠然とした望みは持っていた。
しかし、今ではない。
今はまだ、早すぎる。
自国の、ノルトハーフェン公国のことでもやり残していることがたくさんあったし、なにより、この内戦の勃発を阻止できなかったという自責の念がある。
もちろん、この内戦については、ベネディクトとフランツに主な原因がある。
カール11世が不慮の事故に遭ってしまったという不運もある。
しかし、この事態に至るのを阻止できなかったという点で、エドゥアルドに責任の一部があることも確かなことだ。
そんな自分に、皇帝などという地位が務まるのか。
数百万のノルトハーフェン公国の民衆に対する責任だけでも重く感じているのに、その十倍以上もの人々の運命を背負うことができるのか。
そもそも、本当に背負っていいのか。
いくら皇帝からの手紙があり、次期皇帝候補で最有力と見られていたベネディクトとフランツが、彼ら自身の手で自らの大義を汚し皇帝となるべき資格を失っているのだとしても、まだ20歳にもならないような自身が皇帝になっても良いのか。
エドゥアルドにはまったく、自信がない。
あまりにも責任が大きすぎる。
それなのに人々からの期待を一身に受けてしまっている。
この現実は、少年公爵にとっては恐ろしくさえあった。
沈黙は、10分以上も続いただろう。
人々が固唾を飲んで見守っている中で、唐突にエドゥアルドは立ち上がっていた。
いよいよ、皇帝を目指すことを決めたのか。
誰もがそう思い、そう期待した。
しかし、少年公爵の口から発せられた言葉は、そういうことではなかった。
「申し訳ない……。
やはり僕には、皇帝というのは、とても、責任が重すぎる。
皇帝になった自分というのを、まったく想像できないんだ。
僕が皇帝になるのが最適だという、みなの意見は承知している。
だけど今は……、もっと考える時間が欲しい。
どうか、しばらく1人にさせてくれ」
その言葉に、誰もなんの反応も返すことができなかった。
なぜならこの時のエドゥアルドは普段の公爵としての態度ではなく、年相応の、不安にさいなまれた少年の姿をしており、彼の苦悩の大きさ、深刻さに、誰もがかけるべき言葉を思いつくことができなかったからだ。
そうしている間に、エドゥアルドはその場から逃げるように立ち去り、扉の向こうに消えてしまっていた。




