第452話:「シュテルケ伯爵の悲劇」
第452話:「シュテルケ伯爵の悲劇」
ベネディクトとフランツが、去就を明らかにしない諸侯へ見せつけるためにコーレ男爵とネルケ男爵の領地を襲撃したのは、このシュテルケ伯爵に決断をうながすためであった。
数百程度の手勢しか集められない男爵たちとは異なり、伯爵ともなれば、その手勢は数千を数えるようになる。
この内乱の戦局を決定づけるほどの数ではなかったが、膠着した戦況を一刻も早く打破しようと焦る両公爵にとっては少しでも多くの軍勢をかき集めたいという気持ちがあり、シュテルケ伯爵が抱えている3000名の兵力は大きな魅力を持っていた。
慌てて駆けこんで来たコーレ男爵とネルケ男爵から事態を知らされ、助けを求められたシュテルケ伯爵は、両公爵の思惑通りに決断した。
ただし、望んだものとは180度、真逆の。
「同じ帝国貴族を襲撃し、罪なき民を殺傷するなど、言語道断!
我がシュテルケ伯爵家は、このような行為を働く者を、皇帝になど認めぬ! 」
シュテルケ伯爵家の当主、エッケハルトは、ベネディクトとフランツの行為に激怒した。
両公爵ともそれぞれの大義をかかげてはいるが、エッケハルトにはどちらも胡散臭い、自身の内側の野心を美しく飾り立てるためのものとしか見えなかった。
自領の近くで戦端を開いたことも、彼には不愉快なことだった。
ここで内乱を起こすことは無用のことに他ならず、徒に民衆を苦しめ、ひいては帝国そのものの命運を傾けるだろうと、そう危惧してもいた。
そこに加えて、両公爵は、末端とはいえ同じ帝国貴族に連なる者の領地を襲い、略奪し、人々を殺傷した。
それはもはや、エッケハルトには、ベネディクトとフランツが、自らには皇帝になる資格がないとはっきりと示した行為に見えた。
2人の男爵から救いを求められたということもあった。
直接的な縁戚関係こそないものの、領地が近いということから常日頃から交流があり、なにかと協力しあって来た間柄なのだ。
この略奪行為は、決して、看過できない。
エッケハルトは皇帝軍にも正当軍にも加わらず、両公爵とは以後、断交することを宣言すると、兵を挙げ、自らの居城に立てこもった。
そしてこれに、コーレ男爵、ネルケ男爵の手勢も参加し、略奪に怒った民衆からの志願兵も加わって、最終的に4000名を超える兵力が結集した。
困ったのは、ベネディクトとフランツだった。
エッケハルトを味方に引き入れるためにこそ蛮行に踏み切ったというのに、逆に敵に回してしまったのだ。
しかも、その兵力は4000名を超える。
10万の軍勢とは比較にならないが、少なくともその一部同士が衝突する1つの戦場においては、その勝敗を決することができる程度の、意味のある兵力だ。
実際の脅威と思えた。
問題はその兵力の大きさだけではなかった。
今後、エッケハルトのように皇帝軍にも正当軍にもつかず、むしろ敵対して自領に立て籠もるような諸侯が出て来てしまった場合、戦うどころではなくなってしまうからだ。
ベネディクトもフランツも、その本国との連絡線には、まだ去就を明らかにしていない諸侯が数多く存在していた。
彼らは積極的に協力もしてはくれないが、妨害もしてこない、無害とも思える存在ではあったが、自分に味方していない、中立、すなわち、自分自身のコントロール下にないということは、恐怖だった。
エッケハルトが歯向かって来たのと同様、両公爵にとってはまったく想定外の事柄によって反抗され、補給線を脅かされでもしたら、全軍が崩壊する危機に直面するのだ。
その潜在的な危険因子を取り除くために、どうするか。
ベネディクトとフランツが出した結論は、またしても同じものだった。
諸侯が敵対行動を取ることを抑止するために、エッケハルトを見せしめにすることを決めたのだ。
このために、皇帝軍、正当軍の間では、一時的な停戦協定が結ばれた。
エッケハルトが抵抗を続けているということは両軍にとって等しく危惧するべき状況であり、彼を始末する間は手を結び共闘することに利があったからだ。
そして、それぞれが1万の兵力を差し向け、合同してシュテルケ伯爵領を攻撃した。
総勢2万。
5倍の兵力での攻撃だった。
エッケハルトとその兵士たちは、決死の戦闘を見せた。
投降したところで伯爵は見せしめにされるということを理解していたし、兵士たちは、理不尽な略奪を実行に移しただけでなく、ご都合主義的に連合して攻め寄せて来た皇帝軍と正当軍に対して激しく怒り、不信を持っていただけでなく、これまで善政を敷いて来た主に深く感謝し、慕っていたからだ。
この戦いに参加したコーレ男爵とネルケ男爵の手勢も、志願兵たちも奮戦した。
理不尽な略奪により、故郷を焼かれ、家族を奪われた者たちなのだ。
その戦いぶりは鬼気迫るものであり、自ら陣頭に立って兵たちを叱咤する両男爵の姿は、兵たちを強く勇気づけた。
だが、多勢に無勢であった。
しかもシュテルケ伯爵家の居城は現代的な火薬兵器に対応した要塞ではなく、弓や槍で戦っていた時代の、古式ゆかしい形式を残す旧式な防御施設でもあった。
籠城軍は徐々に押され、その防衛線は1つ、また1つと、突破されていった。
籠城した者たちは押しよせる敵軍を迎撃し、何度も叩き返した。
弾雨によって城壁の石は砕け散り、打ち崩され、それは無数の死傷者から流れ出た血に濡れて赤黒く輝いた。
燃え上がった炎は建物の窓を突き破って壁をなめるように荒れ狂い、渦を巻いてあらゆるものを焼き尽くした。
戦闘の狂騒の中で、やがてエッケハルト・フォン・シュテルケ伯爵は戦死を遂げた。
指揮所としていた塔を敵軍の砲弾が貫き、その崩落に巻き込まれたのだ。
だが、籠城軍はその力の続く限り戦い続けた。
その戦意は、城の命運が尽きるまで決して色褪せなかった。
力によって、恐怖によって押さえ付ければ、従うだろう。
ベネディクトとフランツのその傲慢な考えが、浅慮に行われた理不尽な略奪と殺戮が、4000名の将兵を決死の兵へと変えていたのだ。
この戦闘は、6時間に及んだ。
最終的に籠城軍は壊滅し、残った人々はエッケハルトの家族と共に秘密の抜け穴から城外へと脱出した。
その居城は完膚なきまでに破壊しつくされ、多くの遺体と共に焼け落ちることとなった。
それは、8000名を超える死傷者を敵軍に与えた上での、凄絶な落城であった。




