第451話:「野に放たれた火:2」
第451話:「野に放たれた火:2」
タウゼント帝国の新たな国家元首、皇帝となる
そのためにこそ、ベネディクトは皇帝軍を作り、フランツは正当軍を作って、互いに戦っている。
その勝者がどちらになるのかはわからなかったが、勝った側は帝国を支配する。
そこに暮らす人々の主として君臨し、統治していくことになるのだ。
その、将来の臣民から、略奪を行った。
もたらされたその報告は、エドゥアルドたちを大いに驚愕させた。
(今日は、なんという日だ……)
少年公爵は伝令の士官からより詳細な報告を受けながら、沈鬱な気持ちになっていた。
皇帝、カール11世から、自身へ託されていた手紙といい。
やがて自らのものとなるはずの民衆から略奪を行い、大勢の犠牲を生じさせたベネディクトとフランツの行いといい。
頭の受容能力が限界を超えてしまうほどのことが、立て続けに起こっている。
実際には、この略奪事件が発生してから、すでに数日が経過していた。
早馬による伝達手段では、数百キロメートルも先で起こったことが伝わってくるのには、どうしても時間がかかってしまうからだ。
エドゥアルドたちがまだなにも知らないでいた時に、戦火によって多くの人々が傷ついていた。
そして今も、まだこちらの耳には届いていないだけで、どこかで、誰かが、新たな犠牲者になっているのかもしれない。
そう思うと、焦燥感ばかりがつのって来る。
タウゼント帝国の内乱は、野に放たれた火のように無秩序に広がり、消火する者もいないままに、加速度的に拡大していると思われた。
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この略奪事件が起こった間接的なきっかけは、ベネディクトの皇帝軍と、フランツの正当軍による内乱が長期化する様相を見せ始めたからだ。
ルーイヒ丘陵の戦いの後、互いに距離を取って対陣した両軍は、それぞれの防御態勢を整えつつ、未だ去就を明らかにしていない帝国諸侯を味方につけようと盛んに工作を行っていた。
その甲斐もあってか、両軍はわずかに勢力を増していったのだが、結局どちらか一方が優勢を確保することはなかった。
初戦が引き分けに終わり、互いの勢力が拮抗して戦況が膠着してしまったために、様子見を決め込んでいた諸侯の多くはどちらの陣営にも積極的に協力しようとはしなくなってしまったのだ。
ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国、互いに強固な盟友関係にあり、戦況に影響を及ぼし得る[第三勢力]として存在しているエドゥアルドたちとは異なり、多くの諸侯は弱小で、それ単独では戦局に関与できないわずかな力しか持っていない。
そんな彼らが生き残り、この戦乱の中から少しでも多くの取り分を得ようと考えれば、様子見をしてどちらか勝ちそうな方に味方をするのが安全策だった。
だからこそ多くの諸侯がベネディクトとフランツの呼びかけに対して曖昧な態度を取り、参戦を迫られても回答を先延ばしにしていた。
その状況は、両公爵を困窮に追いやった。
対陣の長期化によって兵站の負担が増大し、満足のいく補給を継続することが難しくなっていったからだ。
というのは、ベネディクトもフランツも自軍の補給を自らの領地の生産力と蓄えで賄っていたのだが、どちらの領国も、そもそも4、5万程度の軍勢を支えることができる程度の国力しか持ち合わせていなかったのだ。
それなのに、10万を数える軍勢を養おうとするなど、そもそも無茶な話だった。
ベネディクトもフランツも、少しでも自身の陣営に加わる諸侯の数を多くするために、彼らが参戦する際には、その補給上の負担の一切を引き受けると約束していた。
これは、両公爵ともに内乱を長期化させるつもりなどなく、短期間で、1回の決戦で決着をつけるつもりでいたからだ。
だが、双方の勢力が拮抗し、「先に動いた方が負ける」という状態に陥ってしまったことで、アテが外れた。
自国の蓄えを切り崩して補給を継続することでなんとか間に合わせはしたものの、このまま対陣が長引けばそれもやがてはできなくなる。
そうして追い詰められた両軍は、まるで申し合わせたかのように、同じ時期に行動を起こした。
近隣の、まだ去就を明らかにしていない諸侯の領地を手勢に襲撃させ、略奪を働かせたのだ。
これには、2つの狙いがあった。
1つ目は単純で、不足気味の物資を強引に確保するというものだ。
もう1つの目的は、見せしめにすることだった。
我が大義を軽視し、日和見を決め込む不心得者がどんな末路をたどるのか。
それをはっきりと見せつけることにより恫喝し、去就を明らかにしていない諸侯に対し、自身に味方せよと迫るという狙い。
そして、自分には[懲罰を加えることができるだけの力]があるのだと示し、誰に味方するべきかを武威によってアピールしたのだ。
この行為によって犠牲となったのは、ルーイヒ丘陵の近隣に領地を有しながらも、突如として勃発した内乱に中立の立場を示し、どちらの軍にも参加していなかった3人の諸侯とその領民たちだった。
まず、2人の男爵、カミル・ツー・コーレ男爵と、ゲレオン・フォン・ネルケ男爵の領地が、それぞれ皇帝軍と正当軍によって襲われた。
男爵というのは帝国ではもっとも下級な貴族であり、封建制度ではその下に騎士がいるだけであったが、騎士の名がすっかり形骸化した現在となっては、貴族社会の最も末端を構成する存在となっていた。
だが、貴族であることには違いなく、動員できてもせいぜい数百名程度しか集められない弱小勢力である彼らは、見せしめとして実に都合の良い存在だったのだ。
実際、2人の男爵は自領で略奪が行われるのを見ていることしかできなかった。
相手は皇帝位を争い、10万の軍勢を率いる権勢を誇っている。
そんな存在に、たかが数百の手勢で立ち向かったとしても玉砕以上の結果は望めないからだ。
そのために両男爵は、互いに近くの諸侯へ助けを求めた。
エッケハルト・フォン・シュテルケ伯爵。
それはタウゼント帝国では由緒正しい家柄の一つであるシュテルケ伯爵家の当主であり、ルーイヒ丘陵の近隣にある諸侯の中ではもっとも力のある人物だった。




