第447話:「カール11世の残した手紙」
第447話:「カール11世の残した手紙」
その場にいた人々が心労のあまり、そろって席を外していたということに気づかずにいた2人、ヴィルヘルムとシャルロッテが、小さいが頑丈そうな木箱を持って戻って来たのは、エドゥアルドたちがルーシェのいれてくれたコーヒーをちょうど飲み干したくらいのことだった。
「公爵殿下。
この木箱の中身を、ぜひ、ご覧いただきたいのです」
「その、木箱の中にあるものを? 」
木箱を両手で丁重に捧げ持ったシャルロッテと共に進み出て来たヴィルヘルムが、やたらとうやうやしく跪いて申し出てくると、エドゥアルドは空になったコーヒーカップをソーサーの上に戻しながら怪訝そうな顔をした。
この男、自身がブレーンとして頼みにしている者がなにかを口にする時は、大抵、聞くのに値する内容を話す時だ。
そのことを知っている少年公爵は、今はそれどころではない、という風に突っぱねようとは少しも考えなかったが、しかし、ヴィルヘルムがどうしてこんなことを言い出したのか、予想もつかない。
エドゥアルドが眉をひそめ、近くにいたクラウス、ユリウス、ルーシェたちがみな興味深そうに注視している中、シャルロッテが静かに前に出てきて、その主の目の前に木箱を差し出した。
誰かに見せびらかすために作られたような箱とは違う。
装飾の一切ない、白木の上に厚く何層もワニスを塗り重ね、角などには鉄板を打ちつけて補強された、素っ気なく無骨な外観。
それは、明らかにただ1つの目的のためだけに作られている。
その中に保護されるものを絶対に守り抜くという、そのためだけに、所有者の目を楽しませることも、自身を格式高く見せることも放棄した箱だ。
そしてそれには、鍵穴が2つ、ついている。
シャルロッテが振り返って目配せをすると、跪いていたヴィルヘルムが立ち上がり、彼女の隣に並んだ。
すると2人は、それぞれの懐から小さな鍵を取り出す。
ちょうどこの木箱の鍵穴に合いそうなものだ。
エドゥアルドがまだこれからなにが起ころうとしているのかを理解できずにいると、2人はそれぞれの鍵を木箱へと差し込み、同時にひねっていた。
かちゃり。
なんの抵抗もなく鍵が開き、そういう仕掛けになっていたのか、蓋がひとりでに開いて、その身の内に厳重に保管していたものの正体をさらけ出した。
それは、手紙のようだった。
厚いしっかりとした紙の封筒に包まれたものが、2通。
「こ、これはっ……!? 」「な、なんじゃとっ!? 」「まさかっ!? 」
その封筒に施された、厳重な封蝋。
そこに押印されているものを目にした時、エドゥアルド、クラウス、ユリウスの3人はその目を疑って驚愕していた。
それは、この世界でただ1人だけ、タウゼント帝国の皇帝だけが使用することのできる玉璽によって押されたものだったのだ。
(※作者注・タウゼント帝国には、紙面に押印するための玉璽と、封蝋に印をつけるための玉璽の2種類がある、という設定です。どちらも皇帝の宮殿に厳重に保管されています)
「こちらは、昨年のこと……。
サーベト帝国に戦勝を得て、帝都・トローンシュタットへと凱旋した折に、皇帝、カール11世陛下より賜りました手紙でございます」
驚きのあまりそれ以上は声も出ず、唖然としている少年公爵に、ヴィルヘルムはいつもと少しも変わらない冷静な落ち着いた声で説明する。
「帝都を去る前に、私たちのことを陛下の侍従長殿が、密かに訪ねておいでになりました。
そしてその際に、陛下から、このお手紙を賜ったのです。
しかしながら、「そうと分かる時が訪れるまでは、決して、読んではならない。エドゥアルド公爵にも秘密にせよ」との陛下のご意向により、本日まで、私と、シャルロッテ殿の2人でお預かりしていたのでございます」
それからヴィルヘルムは再び、少年公爵に向かって跪き、深々と頭を垂れた。
「これまで陛下より賜りしこの手紙の存在をご報告しなかったこと、申し訳もございません。
平に、ご容赦を」
「い、いや、それは、いい。それが、陛下のご意思であったのだから」
エドゥアルドは震える声でその謝罪を受け入れていた。
カール11世自身が、「しかるべき時が来たとわかるまではノルトハーフェン公爵に見せてはならぬ」と命じていたというのだから、ヴィルヘルムとしてはそれに従う他はないし、そのことを責める理由はないからだ。
ただ、彼はおそるおそる、ヴィルヘルムと共にその場に跪いているシャルロッテへと視線を向ける。
これは、本当のことなのか。
視線だけでそう問いかけると、そのことに気づいた赤毛のメイドは、はっきりとうなずいて肯定して見せた。
彼女は、少年公爵がもっとも不遇で、困難に直面していた時期も裏切ることなく仕えてくれた、家族同然の相手だった。
そんな人物が間違いありませんと保証しているのだから、もう、[実はこれが陰謀で、この手紙も偽書であり、なんからの目的のためにエドゥアルドを陥れようとしている]などという、妄想に等しい疑念は捨て去ってしまってかまわない。
いったい、なぜカール11世はこのようなことをしたのか。
2通の手紙にはいったい、なにが書かれているのか。
いずれも、この手紙を開封し、目を通さないことにはわからないことだ。
「る、ルーシェ」
「は、はい、エドゥアルドさま! 」
震える声でその名を呼ぶと、あまりの出来事にびっくりし過ぎて硬直していたルーシェが、びくん、と肩を震わせながら姿勢を正した。
そんな彼女の方を振り返ると、少年公爵は半ばかすれた声で命じる。
ついさっきコーヒーを飲み干したばかりなのに、おかしい。
口の中がカラカラに乾いてしまったような心地だった。
「悪いんだが、ペーパーナイフを取って来てくれるか? 」
「……っ! か、かしこまりましたっ」
するとメイドは、すっかり失念していた、と慌て、黒髪のツインテールをなびかせながら急いで、だが公爵家のメイドとしてふさわしい仕草を保ちながら静かに駆けて行った。




