第446話:「いっそお主が」
第446話:「いっそお主が」
ヴィルヘルムとシャルロッテがそろって抜け出した後も、司令部となっている広間の中では、誰もが出口の見えない思考の袋小路に陥ったままだった。
自分たちの行動次第で、ベネディクトも、フランツも、好きなように勝たせることができる。
しかし、どちらを取るにしろ、その行動にはふさわしい大義が見えてこない。
そんな状態で軍を動かしてしまえば、後々その行いについて人々からそしられ続けることになるだろうし、戦場に駆り出される兵士たちも、戦争のために物資や税を取り立てられる民衆も、納得してはくれないだろう。
この内乱を早期に終結させるために。
それは、十分な大義のようにも思える。
だがそれをかかげたところで、人々はそれを無邪気に信じてくれるわけではない。
人間それぞれに異なった思考、別々の人格が存在し、各々で最適と思う判断を下す。
そしてその判断する材料として与えられる情報の中には、内乱を終結させるという大義を疑わせるのに足るものが含まれているのだ。
古今東西、大義なしに行われて成功した戦争というものは存在しない。
それなしには人々の積極的な協力や共感を得ることはできず、そんな状態で戦っても良い結果を生み出せるはずがないからだ。
大義とは、必ずしも[良いこと]でなくともかまわなかった。
それはたとえば、自分たちの持っていないモノを持っている相手からそれを奪い、自分たちがより豊かな生活を送る、あるいは生存する、という即物的な思考でもかまわない。
戦いにおもむく人々が納得してくれるものでさえあれば、それで十分に通用するし、支持されるのだ。
だが、ノルトハーフェン公国、あるいはオストヴィーゼ公国の人々は、「ベネディクトかフランツ、どちらか一方を勝たせてできるだけ多くの分け前をもらう」といった大義ではきっと、受け入れてくれないだろう。
幸いにも両国とも統治が行き届いていて、国民は飢えているわけでもないし、わざわざ利益のために命をかけようとは思わないからだ。
「やれやれ、なかなかどうして、戦争というのは面倒くさいのぅ」
その時、エドゥアルドの隣の隣、ユリウスの右側に用意されたイスに腰かけていたクラウスが、疲れたような口調でぼやいた。
梟雄としてその名を知られた彼にも、都合のいい大義というのは思いつかないらしい。
「のぉ、エドゥアルド殿。
いっそ、お主がならんか? 」
天井を見上げてつまらなさそうな顔をしていたクラウスだったが、突然、エドゥアルドの方へ顔と視線を向けると、ニヤリとした不敵な笑みを浮かべる。
「いっそ、僕が、とは、なんでしょうか? クラウス殿」
堂々巡りの思考に疲れているだけではなく、公爵としてうまく舵取りを行ってこられなかったのではないかと自責の念でいっぱいだったエドゥアルドは唐突に呼びかけられた意味が想像できず、怪訝そうな顔でクラウスに問いかける。
少年公爵と同じように、ユリウスもいぶかしむような顔を自身の父へと向ける。
するとオストヴィーゼ公国のご隠居は、人をからかうような口調で言った。
「じゃから、いっそのことお主が皇帝になったらどうじゃ、と言っておるんじゃ」
その言葉に、2人の若き公爵は共に呆気に取られてしまう。
「そんな、クラウス殿。ご冗談をおっしゃらないで下さい」
ほどなくして、気分転換に冗談を言われただけだと解釈したエドゥアルドは苦笑しながら肩をすくめ、首を左右に振って見せた。
「僕はこの通り若輩者で、自国のことだって精一杯。
まして、このような内乱を阻止することさえできなかったのです。
将来は分かりませんが、僕が皇帝になるなど、あり得ない話です。
とてもそれだけの力量があるとは思えません。不甲斐ない限りではありますが……。
それに、もし皇帝に、というのであれば、こちらにユリウス殿がおられるではないですか。
ユリウス殿の方が僕よりも年長でありますし、十分にお力もおありだと思いますが」
「そうよの……。親ばか込みで言うてしまえば、ユリウスならば十分に皇帝も務まるじゃろう。
エドゥアルド殿と同じく若く経験は浅いが、まぁ、生真面目で人の言うことはよく聞くし、人望もある方だと言えるじゃろ。
わしみたいに後ろ暗いこともしとらん、潔癖じゃしな」
「そんな、父上。あまりからかわないで下さい」
エドゥアルドが矛先を変えさせると、クラウスはまんざらでもなさそうにうなずいたが、今度はユリウスが困惑した顔をする。
「エドゥアルド殿と同じく、私も、今は自分の国のことで手いっぱいなのです。
今のところ大過なく来ていられるのも、臣下たちと、盟友であるエドゥアルド殿のご助力のおかげ。
そしてなにより、父上がいらっしゃるからです。
皇帝など、とても務まりませぬ」
「ふぅむ、2人とも、若いのに野心がないのぅ……。
わしが若い頃なんかは、もっと、こう、ギラギラしとったもんじゃが」
するとクラウスは、つまらなさそうにそう言うと、背もたれに身体を預け、また天井を見上げて嘆息した。
その仕草はなんというか、実に年より臭い。
「残念じゃのぅ。皇帝になったら、いろいろ、好きなようにできてしまうのにのぅ」
ご隠居には未練がたっぷりあるらしい。
冗談とも本気ともつかない、おそらくはどちらのニュアンスも併せ持った口調で、彼はチラチラとエドゥアルドとユリウスの方へ視線を送る。
「無茶をおっしゃらないで下さい、クラウス殿」
その様子に、少年公爵は困って顔をしかめながら、重要な部分を指摘する。
「そもそも、僕か、ユリウス殿、どちらが皇帝を目指すにしても、大義がないではないですか。
僕たちはいずれも、皇帝選挙に名乗りを上げてさえいなかったのですよ」
大義。
この広間にいる全員を深く悩ませている、大問題。
クラウスが言うように、皇帝になればいろいろなことができるだろう。
諸侯による合意を必要とするタウゼント帝国の伝統的なあり方を考えれば、皇帝になりさえすればなんでもできる、というわけではないが、その権力と影響力は、このヘルデン大陸で望みうる中でも最大最強のものだ。
しかし、エドゥアルドとユリウスのどちらにも、皇帝になる大義が存在しない。
少なくとも帝国の諸侯や民衆がそろって肯定してくれるような、強烈で鮮明なものはない。
「そうよのぉ……」
そしてその問題は、クラウスでも解決できないものであるらしかった。
彼は実に退屈そうにうめくと、ちょいちょい、と指先を動かし、近くで待機していたルーシェにコーヒーを用意してくれるように合図した。




