第444話:「メイドの疑問」
第444話:「メイドの疑問」
ベネディクトの皇帝軍と、フランツの正当軍は互いに長期戦のかまえを見せている。
そして、泥沼化していく帝国の内乱の様相に、エドゥアルドたちはみな、頭を悩ませ、憂鬱そうな顔をしている。
(エドゥアルドさまは、なぜ、これほどお悩みなのでしょうか? )
ルーシェには、その理由が分からなかった。
なぜならこの状況は、彼女には「チャンスだ」と思えていたからだ。
皇帝軍と正当軍の戦いが膠着状態に陥ってしまっているのは、その両者の勢力が均衡してしまっているからだ。
では、どうすれば均衡を崩すことができるのか。
簡単なことだ。
ここにいる、エドゥアルド、そしてユリウスの盟友が手を組み、ベネディクトかフランツのどちらかに味方してやればいい。
軍制改革により、ノルトハーフェン公国軍は以前、総兵力で3万を超える程度であったのに、現在は5万を数えるほどになっている。
その何割かは徴兵されたばかりで十分に訓練を積んでいない兵士たちではあるものの、半国営化された軍需工場を有しているために兵器の供給は安定しており、その装備は充実している。
現状でも、その武力はベネディクトもフランツも軽視し得ないものがある。
加えて、エドゥアルドはユリウスと盟友関係にある。
これを計算にくわえれば、8万弱程度は余裕でかき集めることができる。
そこに、両国と関係の深い諸侯に声をかけて兵力を結集させれば、10万以上の兵力は集めることができるだろう。
これだけの軍隊が、ベネディクトかフランツか、どちらかに合流すれば、対立している相手に倍する戦力となり、戦局は一気に決定づけられることだろう。
さらに好条件なのは、現状でエドゥアルドたちの後背に敵がいない、ということだった。
ノルトハーフェン公国の後背はフリーレン海であり、ひとまずここから敵が攻めよせてくる心配はいらない。
オストヴィーゼ公国の後背に当たるのはオルリック王国だったが、これも、同国の王女、アリツィアとエドゥアルドは個人的に懇意にしているし、そのツテもあって国家同士の関係も良好だ。
すなわち、状況としては前だけを気にして、全力でどんどん押し出していくことができるのだ。
ベネディクトとフランツ、そのどちらに勝利をもたらすかはすべて、エドゥアルドとユリウスの考え次第ということになる。
なのに、どうしてエドゥアルドたちは悩んでいるのだろう?
「あの、シャーリーお姉さま」
その理由が分からなかったルーシェは、自身の主人になにか意見を言う前に、先輩メイドであるシャルロッテに、どうしてみなが憂鬱そうにしているのかをたずねてみることにした。
「なんですか? ルーシェ」
シャルロッテはルーシェの方は振り向かず、小さな声で答えてくれる。
この場にいる要人たちの邪魔にならない範囲でなら、話を聞きますよという態度だった。
だが、彼女はルーシェの質問を聞くと、少し驚いた顔で振り返った。
どうやら、せいぜいちょっと所用で席を外したいとか、そういうことを聞かれる程度に考えていて、エドゥアルドたちの戦略についてだとは考えていなかったらしい。
「公爵殿下たちがお悩みでいらっしゃるのは、ベネディクト様とフランツ様、そのどちらに大義がおありなのか、ということでしょう」
ルーシェはそんなことはメイドの考えることではありません、とたしなめられることも覚悟していたのだが、シャルロッテは少し考え込んだ後に、真面目に答えていた。
この、ようやくちんちくりんの少女から、少し大人の女性らしさも見えるようになってきた後輩のメイドが、忙しい仕事の合間にエドゥアルドのブレーンであるヴィルヘルムから勉強を教えられていることはよく知っていたからだ。
「大義、で、ございますか? 」
「そうです。……公爵殿下とユリウス公爵が、ベネディクト様とフランツ様のどちらかにつくかで勝敗が定まるというのは、貴女の考えている通りでしょう。
ですが、兵を動かす、ということは、必然的に死傷者が生じる、ということでもあります。
それだけではなく、多くの物資が必要となり、国庫から多額の出費も必要となるでしょう。
そしてそれらはすべて、民衆が負担することとなるのです。
ですから、公爵殿下が軍をお出しになる、とお決めになったとしても、そこにはそうするだけの、ふさわしい理由、大義が求められるのです」
「な、なるほど……」
ルーシェは言われて初めて、人を動かすにはそれ相応の理由が必要である、ということを意識した。
今まで人を動かす側の立場に立ったことがなかったから、まったく思いつかなかったのだ。
考えてみれば、納得しかない。
困窮し、食うや食わずやの貧しい暮らしをしていたことのあるかつての自分に立ち戻って考えてみれば、軽々しく軍を動かして多額の資金や物資を消費し、兵士たちに多くの犠牲まで出る、ということになれば、たまったものではないだろう。
相応の理由がなければ、そんなことは到底、受け入れられることではない。
ノルトハーフェン公国の民衆はみな、エドゥアルドの臣民であり、その命令には従わなければならない。
しかし国家元首が、民衆からはまったく支持できない理由で軍を起こし、無用としか思えない労苦を強い、多くの資源を消費し、いくら「やめてくれ! 」と叫んでもそれを続けたのならば、その義務をみな忘れてしまうに違いない。
そうして過酷な統治を行った結果、民衆に愛想をつかされ、反逆されて惨めな末路をたどった君主が歴史上に何人もいることを、ルーシェはヴィルヘルムの授業で学んでいる。
(エドゥアルドさまに、そんな風にはなって欲しくないですもの)
主人の悩みの正体を理解したメイドは、すっかり得心して、今は黙っておくことに決めた。




