第443話:「泥沼化」
第443話:「泥沼化」
「……以上が、ベネディクト公爵の[皇帝軍]と、フランツ公爵の[正当軍]との間で戦われた、ルーイヒ丘陵の戦いの顛末でございます」
ノルトハーフェン公国を治める少年公爵。
エドゥアルド・フォン・ノルトハーフェンは、始まってしまった帝国の内乱の初戦の様相を、アントン・フォン・シュタム参謀総長から聞いていた。
そこは、ノルトハーフェン公国の政庁であり、公爵の居城でもあるヴァイスシュネーの中にある広間の1つ。
内乱の勃発を受け、軍の指揮・統率を行うための司令部として準備された場所だ。
そこには、エドゥアルド以外にも大勢の人間が集まっていた。
いずれもみな、ノルトハーフェン公国の国政に深くかかわっている要人たちだ。
公国の宰相。ルドルフ・フォン・エーアリヒ準伯爵を筆頭に、各政務機関の長として国政に参加している大臣の面々。
加えて、ノルトハーフェン公国軍に設立された3つの師団の師団長と、軍事的な知識や事情についてエドゥアルドたちに説明する役割を担うために参謀本部から派遣されてきた参謀将校たち。
エドゥアルドのブレーンであるヴィルヘルムの姿もあった。
もちろん、毎度おなじみのメイド、ルーシェもシャルロッテも、いつでも用事を言いつけられればこなせるようにひかえている。
さらには、外国からの要人もこの場にいた。
ノルトハーフェン公国の盟友であるオストヴィーゼ公爵、ユリウス・フォン・オストヴィーゼと、その父であり、前公爵であるクラウス・フォン・オストヴィーゼ。
それとその随員たち。
ノルトハーフェン公国の重要人物たちが一堂に会しているのは、そうすることで迅速に情報を共有し、判断を下し、指揮をとるためであった。
早馬が最速の情報伝達手段である現状では、どうせここに伝わってくる情報な何日も前のものになるのだが、それでも1分1秒でも早く動ける体制は作っておかなければならない。
それだけの緊急事態が現在進行形で起こっているのだ。
ここに隣国の国家元首たちまでもが同席しているのは、オストヴィーゼ公国がタウンゼント帝国のもっとも東方に位置しており、そこにいては情報の取得がさらに遅れてしまうということと、なにか動くとすればその時は必ずノルトハーフェン公国と歩調を合わせることになるからだ。
最近の軍制改革でノルトハーフェン公国軍の戦力は充実しており、実際に軍事行動を起こす際には主力となるに違いなく、オストヴィーゼ公国軍が合同する、という形になる。
情報伝達網という点では、むしろエドゥアルドたちの方が助けられていた。
梟雄と呼ばれたクラウスが構築した諜報網は、未だ再建途上にあるノルトハーフェン公国の諜報網を遥かにしのぐ情報の伝達速度を有しているだけでなく、その内容も詳細なものなのだ。
今、アントンが行った報告も、このオストヴィーゼ公国の諜報網が得た情報を軍事専門家としての立場から整理したものであった。
「それで、その後の戦況はどうなったのだろうか? 」
「はい。皇帝軍、正当軍はその後、互いに後退し、対峙しております」
エドゥアルドが固唾を飲んで見守っている人々を代表してたずねると、アントンは静かな物腰のままうなずき、報告を再開する。
「皇帝軍は5キロ、正当軍も5キロ後退し、野営地を構築いたしました。
ベネディクト公爵は帝都へ向かおうとし、フランツ公爵はそれを阻止しようというお考えのようです。
どちらも防御のための陣地の構築に入っており、補給線を設定して、必要な兵站を確保する体勢を作り上げております。
両軍の兵力は、公称10万としておりますが、現状ではそれよりは少ないと見られます。
しかしながら、後から加わる諸侯の姿も出始めており、最終的には実際に10万を数えるようになると予想されます」
アントンが再び言葉を区切ると、その場に集まった人々の内から、物憂げなため息が漏れ聞こえてくる。
「これは……、長引きそうじゃな」
その気分を代弁したのは、クラウスのその呟きだった。
内乱の火ぶたは切って落とされた。
実際に戦闘も行われ、双方に数千の死傷者が生じたのだという。
だが、決着はつかなかった。
ベネディクトもフランツも、まだまだ戦い続けるつもりでいる。
その証拠に、引き続き諸侯に対し自身の軍に加わってくれるように要請し続けているし、指揮下の軍には防衛線を構築させ、補給を手配して物資を集積している。
その総兵力は、互いに10万。
ルーイヒ丘陵の戦いではフランツの側により大きな損害が出たものの、全体で見れば兵力差はないと言えるだろう。
誰の目にも、内乱がこのまま長期化していくことは明らかであった。
対峙している両軍ともその場にとどまり続けることができる体制を作っているだけではなく、双方の戦力に差がないから、互いに相手の防御を崩せずに、決定打を与えることができずに睨み合いを続けることになる可能性が高いのだ。
この内乱は、泥沼化しつつあると言って良かった。
これからも戦いは続くが、双方が大軍であるだけにこまごまとした小競り合い程度では決着がつくことはない。
しかも、兵力差がないために互いに相手の防御を崩せない限りは積極的な攻勢に出ることもないだろう。
下手な動きをすれば、逆に相手側にそこを突かれて敗北してしまう。
いわゆる、「先に動いた方が負ける」という情勢だった。
まるで、天秤が完璧に釣り合ってしまった時のように。
戦況は美しいほどに均衡してしまい、対峙している両軍はその状態を崩してしまうことを恐れて、ひたすらに守りを固めている。
(いっそ、ルーイヒ丘陵で決着がついてしまっていれば良かったのにな……)
内乱が長期化し始めたことにエドゥアルドは憂鬱な気分になったが、それは、ルーイヒ丘陵の戦いで勝利をつかみ損ねたリヒター準男爵こそが考えていることにちがいなかった。




