第441話:「ルーイヒ丘陵の戦い:6」
第441話:「ルーイヒ丘陵の戦い:6」
フォルカー・フォン・モーント準伯爵。
代々ズィンゲンガルテン公爵家に仕えて来たモーント家の主であり、タウゼント帝国陸軍大佐の階級を持つ、ズィンゲンガルテン公国軍に残された数少ない古参の将校。
サーベト帝国軍による侵略を受けて起こったヴェーゼンシュタットの攻防戦においては、救援に来たノルトハーフェン公国軍などと共闘し、奮戦したこともある、有能と言ってよい指揮官だ。
先行したフランツ公爵を追って駆けつけたその兵力は、わずかに5000名程度。
しかし、彼が率いる一軍が戦局にもたらした変化は劇的なものだった。
「まさか、モーントが……」
フランツは馬上で、部下が拾った自身の帽子を受けとりながら、起こっている現実が信じられないという表情でそう呟いた。
ズィンゲンガルテン公国軍にとって貴重な古参の将校を後方に置いて来たことには、後続する諸侯の寄せ集めの部隊を統率させるのに然るべき人材が必要であったから、というのもあるが、フランツが正当軍を興した際に、モーント大佐が強硬に反対したから、という事情もあった。
「今軍を興せば、内乱となります。
しかしながら、我が公国は先年のサーベト帝国による攻撃により疲弊し、兵も万全とは呼べぬ状況です。
閣下は、疲れ果て、消耗した民衆に鞭打ち、未熟な兵を酷使して、その上さらに、帝国全土を戦火にさらすおつもりなのですか」
実際にはモーントはもっと口調に気を使い、遠回しに、フランツに配慮して諫言したのだが、その内容を要約すればこのようになる。
このモーントの[意見]に、フランツは激怒した。
「私には、果たさねばならない崇高な責務がある。
民衆が苦しむというのは理解しているが、やらねばならぬことなのだ」
彼は静かに怒りの炎を体内で燃やしながら、そう言ってモーントの諫言を突っぱねた。
フランツが果たさなければならないという責務。
それは、ベネディクトを皇帝にしてはならない、というものだ。
これは、元々2人の関係が険悪であったから、というだけではない。
ベネディクトのやり方がフランツにとってはどうしても許せないものだったからだ。
皇帝の言葉を捏造し、皇帝選挙を強引に実施しただけではなく、自身が1票差で勝利したことを理由に他の諸侯の合意もないまま黒豹門をくぐり抜けようとした。
そのやり方は、どうにも「美しくない」。
ベネディクトには彼なりの勝算なり、合理性があって取って来た行動なのだろう。
実際のところ、彼が皇帝の意志を偽ったことは完全に証明できることではなかったし、黒豹門をくぐって玉璽を手にした後に、彼に逆らえる者もいないはずだった。
しかしそれは、タウゼント帝国にとっては歴史的な汚辱となるはずだった。
なぜなら、この帝国の歴史とは、「諸侯による合意」の上に成立してきたものだからだ。
この帝国で最大の権力者である、皇帝。
誰もが跪き、忠誠を誓う存在。
絶対的な権力者と思われるその存在も、実際にはそうではない。
この帝国では常に、その下にある諸侯、貴族たちの合意こそが国家を動かして来た。
皇帝とは帝国諸侯の頭領であり、すべてに優越する存在でありながら、決して諸侯の意向を無視して頭ごなしに物事を決めることなどできなかった。
その帝国のあり方に対し、ベネディクトのやり方はあまりにも反している。
タウゼント帝国の伝統的な制度。
それは、フランツが幼少期から教え込まれ、崇拝するも同然に信奉しているものだった。
その大切なものを汚すような行為は、断じて認めることができない。
1000年も、先祖代々の人々が続けて来た制度を、今の自分たちの都合によって軽々に変えることなど、絶対に許されるべきことではない。
ましてや、自らの野心のために、その帝国の古き良き伝統を無視するなどと。
先人たちが作り上げ、長く保ち続けて来たこの国のあり方を守り、後世に末永く伝えていくことこそ、貴族の美学であるはずなのだ。
自身が起こした軍に、[正当]という名を使ったのには、こういう帝国のあるべき伝統的な姿を守ることを目的としているからであった。
その[正義の軍]を、モーントは否定した。
だからこそフランツは、諫言に腹が立った。
困窮している民衆に配慮し、兵を起こすべきではない。
そんな言い分は、貴族としての大義を理解しない青臭い理想論に過ぎないとしか思えなかったのだ。
(まるで、あの青二才のようなことを……)
その時、自身の脳裏をちらりと小憎らしく思っているノルトハーフェン公爵のことがよぎり、モーントに重なったこともあった。
結局、フランツは諫言を退けて兵を起こした。
本来であればモーントは除隊させ、謹慎の上、ズィンゲンガルテン公国の首府・ヴェーゼンシュタットに置き捨てようと考えたのだが、「それではモーント準伯爵家の名に傷がついてしまいます」との声が臣下の中からあがり、それを容れて一軍を任せて従軍させることになったのだ。
こうした[寛大な]処遇にも関わらず、モーントは自身の立場を変えなかった。
近くに置いておくとうるさく、しつこく諫言をしてくるためにこれを疎み、フランツは彼を自分の指揮する軍にはおかず、「正当軍に参加した諸侯を統率するのに然るべき者が必要だから」ともっともらしい理由をつけて後方に置いて来たのだ。
しかし、そのモーントに、自分は救われようとしている。
その奇妙な巡りあわせに、フランツは釈然とせず、複雑な気持ちだった。




