第439話:「ルーイヒ丘陵の戦い:4」
第439話:「ルーイヒ丘陵の戦い:4」
もし、皇帝軍を迎撃するためにルーイヒ丘陵に展開している兵力が、ベネディクト公爵の腹心、リヒター準男爵が指揮している2万と同程度か、少ないのならば。
正面から突撃し、突破することは不可能ではないはずだった。
リヒターは正当軍に重装備がないことに気がつくのと同時に、その将兵の練度が十分ではないことも見抜いていた。
硝煙の向こうに見え隠れする敵兵たちがマスケット銃に装填する速度はこちらよりも遅れがちで、手つきもまだぎこちないように見えた。
しかも、兵士としては少し年を取り過ぎていたり、逆に若過ぎたりすると思える者が、望遠鏡でのぞいてすぐに気づける程度には多数、混ざっている。
思い出されるのは、先年、一昨年と、ズィンゲンガルテン公国は戦災により大きな被害を受け続けてきた、ということだ。
アルエット共和国軍との決戦となったラパン・トルチェの会戦では、フランツが自ら率いていた兵力がほぼ壊滅した。
外征に用いるためにできるだけ元気で体力があり訓練も十分に積んだ精兵を集めていたはずだから、これはズィンゲンガルテン公国軍の主力が失われたということを意味する。
その次の年には、サーベト帝国による侵略があり、またしてもズィンゲンガルテン公国は痛手を受けた。
領地は荒らされ、臣民は困窮し、再建途上にあった軍隊は十分に訓練を積むことができなかった。
それに対して、リヒターが率いているヴェストヘルゼン公国軍は、ここ数年、大きな被害は受けていない。
ラパン・トルチェでの被害は少なくなかったが補いがつく程度にとどまったし、先年のサーベト帝国軍との戦争では、ほぼ無傷。
戦闘による死傷者よりも、長期の対陣によって生じた傷病者の損失の方が遥かに大きい、というような状況だったのだ。
兵士たちは十分に経験を積んだベテランぞろい。
実際、射撃戦が行われている前線では、すでに皇帝軍の側が優勢だった。
なにより大きいのは、士官・下士官の質の差だ。
歩調を合わせ、隊形を維持しつつ行進し、号令に従って小銃を射撃・装填するという動作をくり返すことができれば恰好がつく兵士と異なり、彼らを指揮する側の人間に、兵を効果的に戦わせる術を習得させるためには長い時間がかかる。
そして、ズィンゲンガルテン公国軍の士官・下士官の質は、兵に毛が生えた程度、というレベルにその大半がとどまっている様子だった。
命令を出すのがもたついているし、確信をもって兵を指揮している者が少なく、多くは不安と怖れの表情を隠せずにいる。
ヴェストヘルゼン公国軍の精兵が、この、未熟な軍隊に突撃を敢行すれば、容易く崩せるのに違いない。
そう確信したリヒターは、全軍に突撃の命令を発し、伝令を四方に走らせて各歩兵連隊に命令を伝達させつつ、自らもサーベルを引き抜くと、予備兵力として温存しておいた兵力を率いて前進を開始し、決戦兵力として温存していた騎兵部隊にも地形がより平滑な皇帝軍左翼(正当軍右翼)から突進し、敵の後方を断てと指示した。
リヒターからの命令を受け取った各隊、そして共に戦っていた諸侯それぞれの部隊は、一斉に突撃を命じた。
激しく、早いテンポでラッパが吹き鳴らされ、その音で新たな命令を知った兵士たちは、士官や下士官の号令を受け、射撃戦をやめて走り出す。
皇帝軍の兵士たちが喚声をあげ、銃剣の切っ先を連ね、ルーイヒ丘陵の斜面を駆け上る。
無数の軍靴が土くれを跳ね上げて兵士たちの体躯を丘の上へと押し上げ、彼らは敵を威圧し、そして自らを鼓舞し、恐怖を振り払うように絶叫した。
「Hurra!!! 」
兵士たちは口々にそう叫びながら、突き進んでいく。
硝煙の霧の向こうで突如として巻き起こったその怒涛に、リヒターが見抜いた通り経験の浅い将兵で構成されていたズィンゲンガルテン公国軍には、たちまち、動揺が広がった。
経験のある指揮官に率いられていた兵士たちは、幸運だった。
上官は即座に敵軍の突撃が開始され、敵兵が銃剣の切っ先をこちらへ向けて斜面を駆けあがってくることに気づき、部下たちにそれに備えるように号令を出すことができたからだ。
そうでない部隊の兵士たちは、悲惨だった。
経験の浅い指揮官たちは兵たちとまったく同様に、巻き起こった敵兵の喚声と、大地を蹴りあげる万の人間たちの足音、滝を知っている者はその瀑布のただ中に放り出されたようだと感じたその轟音に気圧され、パニックとなって、なんの命令も発することができなかった。
このために彼らは無防備なまま、硝煙の煙幕を破って突っ込んで来る敵兵の銃剣にさらされることとなってしまったのだ。
身構えることのできた中隊は持ちこたえ、踏みとどまって、自らも銃剣を振るって敵兵に対抗したが、未熟な指揮官に指揮されていた中隊のほぼすべてが突き崩された。
彼らは硝煙のベールに隠され、なにが起こっているのか状況を正確に把握できないまま、漫然とマスケット銃への装填を続けていたところに直撃を受けたのだ。
さらけ出された正当軍の兵士たちの胸は、皇帝軍の兵士たちにとっては、訓練に使う人形と同じだった。
それは逃げることも反撃して来ることもない的であり、銃剣の扱いにも習熟していたヴェストヘルゼン公国軍の兵士たちは心臓や首筋、鼠径部など、人間の急所として周知されている場所めがけて切っ先を次々と突き入れた。
訓練と違っていたのは、それが、人形ではなく生身の人間である、ということだった。
磨かれた銃剣は、兵士たちが身に着けたコートを、下着を貫き、その肉体へと深々と突き刺さったが、そこには藁人形とは違って、[ズブリ]という、重みがあって生々しい感触が伴っていた。
そして、痛みにうめく声。
死を目前にし、恐怖に叫ぶ声。
驚愕し、恐れ、双眸をかっと見開いて、自身に死を与える者を食い入るように、恨みと絶望のこもった視線を向けて来る。
その姿に、皇帝軍の兵士たちも、訓練されて戦場に慣れたベテランたちにも、ちらりと、人間的な感情が蘇る。
しかし彼らは突撃をやめなかった。
それが命令であり、そして、どれほど心が痛もうと、彼らには勝利を主君にもたらすという義務があったからだ。
兵士たちはそのためにこそ雇われ、給養されてきた。
突撃する皇帝軍の将兵は敵兵の身体から銃剣を引き抜くと、倒れ伏すそれらには目もくれず、新たな目標を見定め、雄叫びをあげて突き進んでいった。




