第432話:「黒豹門:4」
第432話:「黒豹門:4」
エドゥアルドとベネディクトの睨み合いは、長くは続かなかった。
数分もしないうちに、オストヴィーゼ公爵・ユリウスが、警護の兵士10名程度を引き連れて到着したからだ。
ユリウスはエドゥアルドと同じホテルに宿泊している。
異常事態を伝えに来た侍従はその足でそのままオストヴィーゼ公爵の下へと向かい、ほんの数分の差でノルトハーフェン公爵の盟友をこの場に至らしめたのだ。
「……フン」
事態を知らせに走った侍従に案内されながらこちらへ向かって来るユリウスの姿を目にしたベネディクトは、いまいましそうに表情を歪め、鼻で笑う。
だが彼は身に着けたマントを翻して背後を振り返ると、一言だけ、そこにひかえていたリヒター準男爵に命じた。
「今日はこれにて、引き上げる! 」
その言葉にほっとしたのは、エドゥアルドたちだけではなかった。
ベネディクトに率いられていた兵士たちの多くもまた、実際の武力衝突に発展しなかったことを歓迎している様子だった。
仕える主が異なっているとはいえ、同じ帝国の人間だ。
地方分権的な性質の強いタウゼント帝国では、それぞれが暮らす領邦に対する帰属意識の方が強いのだが、[帝国人]というアイデンティティがまったくないわけでもない。
ここで争い、流血沙汰になることは、多くの者にとって不本意であることだったのだ。
ベネディクトは、エドゥアルドの方を振り返りもせずに去っていく。
すでに少年公爵が到着してしまった時点で、問答無用で皇帝になってしまおうという目論見は阻止されたのと同然の状態であり、今さらそのことについてなにかを考えるだけ時間の無駄、と思っているのだろう。
彼は、礼儀から軽く一礼してすれ違ったユリウスも、返礼せずに無視した。
オストヴィーゼ公爵がノルトハーフェン公爵の盟友であり、常に連帯していることをよく知っているためか、あるいは、明確に[敵]としての立場を示した相手に払う敬意などない、ということなのだろう。
「ユリウス殿、駆けつけていただいて助かりました」
「エドゥアルド殿こそ。いち早くベネディクト殿を制止していただけなければ、事態はもっと深刻なことになっていたでしょう」
ひとまず合流を果たしたエドゥアルドとユリウスは、互いにそう言い合うと親愛のこもった微笑みを浮かべ、握手を交わした。
皇帝選挙を巡る問題が解決したわけではなかったが、とにかく、重大な危機のひとつは去ったのだ。
そのことを今は喜び合いたかった。
だが、帝都を覆う混迷が晴れたわけではない。
それどころかそれはより不吉な影となり、戦雲となって、漂い始めていた。
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ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトと、ズィンゲンガルテン公爵・フランツが、共に帝都を去った。
その知らせは、黒豹門での騒動と同じく、唐突にエドゥアルドの下へともたらされた。
ノルトハーフェン公爵とオストヴィーゼ公爵はその時、ちょうど同じ場所に居合わせていた。
これまでずっとそうしてきたように、この状況をどうすれば円満に解決できるのか、知恵を絞り合っていたのだ。
すでに、かの梟雄、前オストヴィーゼ公爵・クラウスには助けを求める手紙を出している。
若い公爵たちは自力でこの事態を納めることは不可能だと痛感しており、頼れそうな相手にはプライドを捨てて助けを求めるべきだと、そう見解を一致させていたからだ。
エドゥアルドにはヴィルヘルムというブレーンがおり、ユリウスも、信頼のおける側近というのを持っている。
しかし、今回ばかりはそのブレーンたちの知恵でも足りず、状況を少し改善する程度のことしかできずにいる。
なにか手を打っても、ベネディクトが別の手を打ってくる。
皇帝選挙で2人が支持したフランツも、別に協調しているというほどの関係ではなく、独自の行動を取っているために決して味方とは呼べない。
エドゥアルドとユリウスの持っている思惑と、フランツの有している思惑は、決して同じものではなかったからだ。
こうした複雑な情勢は手に余ることだったし、なにより、エドゥアルドとユリウスには決定的に欠けているモノがあった。
それは、公爵としての経歴だ。
2人とも現在の地位と権限を手にしてからまだ年数がなく、一部の、2人の実力をよく知っている諸侯をのぞいては未熟者と思われている。
帝国諸侯には、皇帝選挙の投票権を持った諸侯だけでも数百人もいる。
そのすべてにエドゥアルドとユリウスの実力を認めさせ、その言説に従わせるためには、時間がなさ過ぎたのだ。
だが、その点においては、クラウスという存在には絶大な価値がある。
豊富な公爵としての経験があるだけでなく、梟雄としての名声は諸侯の間にすでに知れ渡っており、若造の声には耳を傾けない者でも前オストヴィーゼ公爵の言葉なら耳を貸すはずだった。
クラウスからの返事を、あるいは梟雄それ自身の登場を待つ間にも、2人は考えることだけはやめなかった。
頼る、と決めはしたものの、現役の当主として、一国の命運を預かっている者として、その責任と義務を放棄し、思考を止めることはあってはならないと、そう考えてもいるからだ。
わかりきっていたことではあるが、成果は得られていない。
ただひたすらに時間だけが過ぎ去り、コーヒーの消費量が増えただけだった。
そんなところにもたらされた、突然の知らせ。
「なぜ、ベネディクト殿とフランツ殿が、共に帝都を去られたのだ?
それも、これほどに急に? 」
報告を持って来たエドゥアルドのメイド、赤毛を持ち、いつも凛としたたたずまいを崩さないシャルロッテは、主からのその問いかけに険しい表情でうなずくと事情を説明する。
それは、エドゥアルドとユリウスの驚きを、より一層強いものにする内容だった。
「フランツ様の馬車を、ベネディクト様の手の者が襲撃した、との噂が流れたためでございます」




