第422話:「帝国の混迷:2」
第422話:「帝国の混迷:2」
諸侯に向けて手紙を書き、返書を受け取ってはまた手紙を書く。
ノルトハーフェン公国に帰り着いてからも、エドゥアルドは忙しかった。
祐筆の助けを得られるようになってかなり負担は軽減されたのだが、それとは別の悩みどころが増えてしまったせいだ。
エドゥアルドから出された手紙に対して諸侯から寄せられる返答は、様々なものだった。
そしてその返答の内容に合わせて、あらためて返書を書くという仕事のためには、ずいぶんと頭を悩ませなければならなかったのだ。
こちらの説明に納得し、協調しようと約束してくれた相手に対する返書は、簡単だ。
そのことに対する礼をしたためて返書をすればよいだけだからだ。
それ以外の返答に対する返書は、難しかった。
諸侯にはそれぞれの言い分や考え方があり、それに応じた文面を考えて返書を送らなければならないからだ。
悩まなければならないことは、他にもあった。
皇帝選挙に名乗りをあげることとなったベネディクトとフランツからエドゥアルド宛てに送られて来た手紙にどう応じるかについてだ。
どちらも、当然だがエドゥアルドを自陣営に引き込もうという内容だ。
ベネディクトからの手紙は、まず、今回の自身の暴挙と言って然るべき行いについて様々な理由を並べて理解してくれるように願う内容で始まった。
それから、現在の国際情勢においてはなによりも軍事指揮能力こそが必要だと解き、その点においては間違いなく自分の方がフランツよりも上であると、そう売り込む内容が続く。
彼は自分がこれまでアルエット共和国に対する帝国の防衛線の矢面に立ってきたことを述べ、我こそがもっとも共和国の情勢に詳しいと誇った。
そしてそんな自分であればこそ、必ずや帝国を勝利に導き、それによって多くの利益をもたらすこともできるのだ、とも。
エドゥアルドの取り分についても、食指を動かしたくなる気持ちにさせるための誇張もあるのだろうが、その分を差し引いても大きなものを約束してきていた。
その[褒美]の原資はまだ獲得してもいないアルエット共和国に対する勝利によって得られるはずのものが多くを占めていたが、ノルトハーフェン公国から帝国の国庫に納められるべき税金の免除や、交易によって得られる関税収入に対して発生する上納金の免除などの特権も約束されていた。
もしこの求めに応じたとしても、まったくの空手形となることはない、相応に魅力的な条件ではあった。
これに対し、フランツからの手紙には、まずはベネディクトの行いに対する糾弾の言葉が並べられていた。
皇帝の言葉を捏造した、とまでは直接的な証拠がないために断言されてはいなかったものの、5人いる公爵の内たった2人から発案されたことを押し通すのは唾棄すべきことだと、真っ向からベネディクトのやり口を否定している。
それからフランツは、アルエット共和国に対する必要があるという点ではベネディクトと見解を同一にしつつも、自分は軍事的な手段ではなく政治的な手段で物事を解決できると述べている。
ズィンゲンガルテン公爵家にはこれまで培ってきた多くの縁故があり、それを活用して、ヘルデン大陸にアルエット共和国包囲網を形成しようという、壮大な構想だ。
その中にはエドゥアルドたちが考えたとおり、こちら側に亡命してきていたアルベルト王子を支援してフルゴル王国に内乱を起こさせることや、イーンスラ王国に働きかけて共和国を牽制させることが言及されている。
しかもフランツの構想はより広範で、オルリック王国のそのさらに東側に存在する大国、ザミュエルザーチ帝国との関係を深めることや、サーベト帝国と公式な講和条約を締結して、タウゼント帝国の背後を固めるということも考えている様子だった。
(この点は、やはりフランツ殿の方が優れている)
エドゥアルドは、フランツがオルリック王国を通り越して同国と関係が良くないザミュエルザーチ帝国の名をあげたことに不満を覚えつつも、戦略面におけるフランツのベネディクトに対する優越を確信させられていた。
エドゥアルドを感心させたのは、それだけではなかった。
フランツはベネディクトと同じように、味方をしてくれた際には様々な特権を与えることを約束してくれていたが、その中には、カール11世が意識不明となってしまったことで棚上げにされかけていた、サーベト帝国に対する戦勝に貢献したことに対する恩賞もきちんと与えると約束されていたのだ。
それは、カール11世から公式の書状を持って約束されていたことだった。
皇帝が意識不明となったことで履行されるか怪しくなってきていたのを、フランツはきちんと覚えていたのだ。
この点は、ベネディクトには欠けている配慮だった。
彼は武人としての気質を有してはいるものの、それだけに多面的に物事を考えることがフランツほどにはできないのだろう。
(なるほど、だからベネディクト殿の策略は、粗いのか)
両者からの手紙を見比べたエドゥアルドは、妙に納得した気持になった。
ベネディクトの強引なやり方は、フランツのような配慮ができないためにそうなっているのだと、両者からの手紙を目にして実感したのだ。
ベネディクトとフランツ、そのどちらにつくかという結論は、すでに決まっている。
悩ましいのは、ベネディクトに断りの手紙をわざわざ用意するべきかどうかだった。
エドゥアルドは2、3日悩んでから、結局、フランツにだけ返書を用意することにした。
ズィンゲンガルテン公爵に対しては受け取った勧誘の手紙に記された条件を間違いなく履行してくれるように求めておく必要があるが、ベネディクトに対しては投票するつもりがないのだから、わざわざ返書を欠く必要はないだろうと思ったのだ。
もし馬鹿正直にあなたを支持することはない、などと返書をしたためたら、ベネディクトはそれに対して怒るだけではなく、皇帝選挙が開かれるまでの短い期間に、なんらかの策略をしかけてくるかもしれない。
だからエドゥアルドは、返書を書かないことで、ベネディクトに対して自身の意図を隠すことにした。
少年公爵からの返書が到着しないのは到着が遅れているだけかもしれず、ヴェストヘルゼン公爵にはノルトハーフェン公爵の意図はわからない。
わからなければ、なにかを行動に移すこともできない。
つまり、ベネディクトの初動を遅らせることができ、その分、フランツを有利にすることができるかもしれないのだ。
エドゥアルドはフランツに味方してくれるように願う手紙を諸侯に向けて多く出しているのだから、その中からノルトハーフェン公爵の動向をベネディクトに注進する者もいるかもしれない。
だが、エドゥアルドからわざわざ教えてやるよりは、時間が稼げるはずだった。
少年公爵は度々貴族社会の陰湿な策謀に触れることで、着実にしたたかさを身につけつつあった。




