第420話:「皇帝の命」
第420話:「皇帝の命」
次の皇帝選挙では、ベネディクトではなく、フランツを支持する。
話し合いの結果、エドゥアルドとユリウスはその見解で一致した。
これによって、タウゼント帝国に5人いる公爵の内、3人がフランツを支持することになる。
そしてこの3人と関係の深い諸侯も、その多くは歩調を合わせ、フランツに投票することになるだろう。
大勢としては、ベネディクトが有利であることは周知のことだった。
エドゥアルドとユリウスがそうであったように、総兵力50万というアルエット共和国軍の、直接的で差し迫った危機は、多くの諸侯に軍事的な資質に優れた皇帝の存在の必要性を痛感させている。
だが、エドゥアルドとユリウスがフランツを支持すると明らかになれば、状況は徐々に変化していくだろう。
軍事力以外の方法でアルエット共和国を切り崩していくという構想を説明し、そのことに納得を得られれば、ベネディクトを支持しようと考えていた諸侯の中からきっと、翻意してくる者もある。
皇帝選挙でのフランツの勝算は、間違いなくあるはずだった。
そして実際にフランツが皇帝に即位した際には、ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国に、少なくない利もあるはずだった。
もしフランツが皇帝になれたとしたら、それはエドゥアルドとユリウスのおかげ、ということになるからだ。
2人の若き公爵がフランツを支持しなければ、彼が皇帝になれる可能性は限りなく低いというのが現状なのだ。
きっと、新しい皇帝はさぞや感謝し、様々な優遇を与えてくれることだろう。
アルエット共和国と正面から対決するのではなく、外交的な手法でその力を削ぐ。
それでも共和国軍は強力な存在であるのに間違いなく、ましてや、あのアレクサンデル・ムナール将軍に指揮されているのだから、勝利を得るのは決して容易なことではない。
これまでの戦績が悪いフランツでは、やはり不安があるのも確かだった。
しかしそのリスクは、補うことができるはずだった。
フランツが皇帝となれば彼を支持しその地位につかせたエドゥアルドとユリウスの発言力も大きくなるのに違いなく、タウゼント帝国軍の軍事行動について口を挟むことができるはずだからだ。
数が限られるためにあまり過度な期待はできなかったが、エドゥアルドのノルトハーフェン公国軍は、精強と言ってよい集団だ。
徴兵された兵士たちはまだ完全に戦力化されてはいなかったが、少年公爵がこれまで進めて来た軍事改革により編成を効率的なものに変え、最新鋭の火砲を豊富に装備した彼らは、フランツが皇帝となっても避け得ないはずのアルエット共和国軍との対決においても頼りになるはずだった。
少なくともエドゥアルドのノルトハーフェン公国軍は、これまでの2度の戦争でいずれも武勲をあげているのだ。
そしてそれは、ユリウスのオストヴィーゼ公国軍も同様だった。
ノルトハーフェン公国軍にくわえられたような大規模な軍事改革こそなされてはいなかったが、オストヴィーゼ公国軍は着実に戦果をあげてきているし、ユリウスもできるだけの改良を施してきている。
両軍を合わせれば、会戦の場においてその勝敗を左右する程度の活躍を見せることはできるはずだった。
そうと決まれば、エドゥアルドたちの行動は素早かった。
一刻も早くそれぞれの領地に戻り、フランツを皇帝に就任させるべく政治工作を進め、かつ、その中で自国の国益を最大限に確保するために、したたかに動かなければならないからだ。
エドゥアルドもユリウスも、話し合いの翌日には故国に帰ることに決めた。
────────────────────────────────────────
2人の若き公爵がアルトクローネ公国の首都・ゴルトシュタットから旅立とうという日。
その朝、彼らは共に、皇帝・カール11世が眠り続けている寝室を訪れていた。
皇帝の部屋にしては、質素な部屋だ。
壁も床も黄金でできているかと思えばそうではなく、壁は白の漆喰で塗り固められ、柱も丁寧な彫刻が成されてはいるが木製。
床も一面絨毯が敷き詰められているかと思えば違っていて、確かに最上級の絨毯が敷かれてはいるが、木製の床も見えている。
それもそのはず。
この部屋は、カール11世がまだ皇帝ではなく、アルトクローネ公爵であったころのものをそのまま利用している場所だからだ。
もちろん、世間一般の生活水準からすれば、遥かに豪勢な部屋だ。
天井は表面に花をモチーフにした模様を描かれた化粧板で美しく飾られていたし、調度品もすべて最高級の、カール11世の趣味に合うもので統一されている。
その部屋の中央に、天蓋付きの、広々としたベッドがある。
そしてその上で、仰向けに、未だに意識を取り戻さない皇帝が眠っている。
顔色は、病人とは思えないほどに良い。
大きな窓から差し込む明かりと天井から吊り下げられたシャンデリアの明かりに照らされている皇帝は、少しやつれてはいるものの、今も彼が生きているのだということを血色の良い肌の色で教えてくれている。
なんでも、意識不明であるにもかかわらず、流動食を食べることができるのだそうだ。
それは半ば無理やり流し込むようなものなのだが、少しずつ口の中に流動食を入れると、皇帝の身体はそれを飲み込む。
人間の身体に備わっている、意思によらない反射的な動作であるらしい。
(陛下は、生きておられる。……少なくとも、その肉体は)
口を半開きにしたまま静かに呼吸をくり返しているカール11世に向かって義兄であるユリウスと共にひざまずきながら、エドゥアルドは皇帝の病状を思っていた。
生きているのに、死んでいる。
矛盾しているはずなのに、何一つ矛盾してはいない。
そしてそのことによってタウゼント帝国は混乱し、危機に陥っている。
たった1人の、命。
見れば見るほど、ただの老人にしか見えない、人間の生命。
彼が皇帝であるからというだけで、多くの人々の、国家の命運を左右する。
(それが、皇帝というモノなのか)
エドゥアルドはそんな実感を抱きつつ、無言のままユリウスと共にカール11世への別れを済ませると、立ち上がり、踵を返す。
外の天気は、穏やかなものだ。
しかし、その裏では、タウゼント帝国を、そしてヘルデン大陸を揺るがすような事態が差し迫っている。
数千万を数える民衆の、運命。
それを左右する立場に自分はいるのだという自覚が、エドゥアルドの唇をきつく左右に引き結ばせる。
皇帝に比較すれば小さいとはいえ、ノルトハーフェン公爵にも相応の責務というモノがある。
少年公爵はそれを、自分の力の限り、果たすつもりだった。




