第419話:「メイドにしておくには惜しい」
第419話:「メイドにしておくには惜しい」
アルエット共和国と対峙するのに、軍事力で正面から対決する以外にも、方法はある。
そのルーシェの意見を聞いた3人、エドゥアルド、クラウス、ユリウスの反応は、対照的だった。
前オストヴィーゼ公爵、クラウスは、嬉しそうにしている。
半分は冗談でルーシェに意見を求めただけだったのに予想以上にまっとうな答えが返ってきたことも喜んでいる様子だったが、それ以上に、50万もの総兵力を有するアルエット共和国を切り崩すためにどんな手段が取れるのか、あれこれと考えるのが楽しくてしかたがないといった感じだ。
まるで、いたずらを考えている子供みたいに。
クラウスはニヤニヤとした悪い顔で、含み笑いを漏らしながら、あれこれと考え込んでいる。
ノルトハーフェン公爵・エドゥアルドと、オストヴィーゼ公爵・ユリウスの様子は、大きく違っている。
なぜ、正面から軍事力で対決する以外の手段について、思い至らなかったのか。
それ以外に方法がないと思い込んでしまっていたことがやはり恥ずかしい様子で、2人とも憮然としたまま、顔をうつむけて悩みこんでいる。
ルーシェはというと、嬉しさと困惑が入り混じった複雑な顔をしていた。
自分の考えが認められ、高く評価されているのは喜ばしいことなのだが、自身の発言によって主人であるエドゥアルドを落ち込ませてしまったのは喜べないのだ。
数分経って、公爵たちの沈黙に耐え切れなくなったメイドは、おずおずと声をかける。
「あ、あの、ヴィルヘルムさまもおっしゃっておられたのですが……、外交でなにかをするにしても、やっぱり、軍事力も大切、ですから!
だから、ベネディクトさまを次の皇帝に選ぶのも、その、よろしいのではないかと……」
ベネディクトを次の皇帝にするべきだ。
それは2人の現役の公爵たちの一致した見解であり、その考えも決して間違いではないのだと教えることで、ルーシェはなんとかエドゥアルドたちに元気を取り戻して欲しかった。
実際のところ、外交でなにかをしようと思う時でも、軍事力は必要だった。
もしこちらに相応の軍事力がなければ、そもそも、相手が交渉の場に乗ってこないこともあるからだ。
圧倒的な軍事力を行使してしまえば、問答無用で相手を従わせることができ、得られる利益を折半せずに自分の総取りにすることができる。
そんな状況に直面した時、実際に軍事力を行使せずに穏便に交渉し、双方に利益のある形で問題を解決することになるかどうかは、圧倒的な軍事力を持った側の考え次第となる。
その良心に頼るほかはない、ということだ。
必ずしも勝っている必要はない。
しかし、一方的に劣っていてはいけない。
少なくとも交渉をしたいと思う相手が、それによって双方に利益のある形で問題を解決する方が[得策だ]と思わせる程度の軍事力がなければ、話し合いに至れないこともある。
だから、ベネディクトという、フランツよりは軍事的な指揮能力のある者を皇帝にするという意見も、決して間違いではない。
ルーシェはそのことを指摘した。
しかし、あまり効果はなかった。
2人の公爵にルーシェの声は聞こえていた様子だが、反応は薄く、暗い表情は晴れない。
メイドは(どうしよう……)と慌て、オロオロとし始めた。
「まったく。お主、なかなかどうして、メイドにしておくのは惜しいぞぃ」
その時、ルーシェの方へ視線を向け、ぐっと口角をあげた、喜びと感心と、そしてもしかしたら[手強い相手]になるかもしれないメイドへの敬意、そして警戒心の入り混じった、獰猛さも感じさせる笑みを浮かべながら、クラウスがそう言った。
彼はルーシェのことを、これまでの[ただのメイド]から、[侮ってはならない存在]として、認識をあらためたらしい。
クラウスから向けられる視線に込められたその感情に、ルーシェはたじたじとなって、数歩、よろめきながら後ろに下がる。
自分が高く評価されるのは嬉しいのだが、なんだか恐ろしい気もするのだ。
もしこれからクラウスがなにかを考える時には、ルーシェも員数に含まれることとなる。
考慮するべき[影響]を与えうる存在として、マークされることになるのだ。
それはつまり、クラウスがなにか謀略を考える時、メイドもそれに巻き込まれる可能性が出てくる、ということでもあった。
今までも何度もルーシェはクラウスと関わって来てはいるが、それはあくまで[エドゥアルドのメイド]としての関わりに過ぎなかった。
しかし、これからはそうではなくなるのだ。
「それで、ユリウス、エドゥアルド殿。
ベネディクト殿とフランツ殿、我々はそのどちらを支持するべきだとお考えかな? 」
エドゥアルドのメイドという今までの立場が変わりつつあることに戦々恐々としているルーシェから、悩んでいる若い公爵たちに視線を向けなおしたクラウスは、あらためてそうたずねる。
「アルエット共和国の力を分散させるために外交工作をしかける……。
そうするのでしたら、フランツ殿に投票するべきでしょう」
まずそう答えたのは、ユリウスの方だった。
彼は難しそうなしかめっ面で、右手で自身の額を抑えながら言う。
「フランツ殿の下には、フルゴル王国の王族、アルベルト殿が庇護されています。
内戦に敗れてこちらに落ちのびて来られたところとはいえ、その影響力は無視できません。
我らの方で支援し、あらためてフルゴル王国で立っていただければ、アルエット共和国はその鎮圧のために少なくない兵力を割かなければならなくなるでしょう」
「ユリウス殿のおっしゃる通り……、そういったことを考えるのならば、ベネディクト殿よりもフランツ殿を支持するべきでしょう」
ユリウスの言葉に、憮然とした顔で腕組みをしていたエドゥアルドも賛同する。
「ズィンゲンガルテン公爵家には、婚姻政策を多用し、各方面に多くの縁故があります。
それを利用すれば、フルゴル王国だけではなく、イーンスラ王国にも働きかけることも不可能ではない……。
それに、僕と、ユリウス殿がフランツ殿を支持すれば、公爵の数の上では5対3。
帝国諸侯の大勢がベネディクト殿に有利であるのだとしても、互角に戦えましょう。
逆転することも不可能ではないはずです」
あらためて2人の公爵の意見を聞いたクラウスは、フフフ、と笑った。
それはこれからこのタウゼント帝国で巻き起こる政争の嵐を前に、武者震いでもするような笑みだった。
「どうやら、我らの方針は定まったようじゃな! 」




