第412話:「卑怯なやり方:3」
第412話:「卑怯なやり方:3」
結局、リヒターはエドゥアルドの抗議にまったく取り合ってくれなかった。
準男爵が、皇帝の直臣ではなく陪臣が、公爵のことを無視する。
そんなことはあってはならないことであるはずだったが、リヒターは療養中の皇帝がいる、という、帝国で最大最強の権威を盾にして押し切った。
やがて部屋から出て来たベネディクトにも、エドゥアルドは抗議した。
しかしヴェストヘルゼン公爵は冷たい一瞥を少年公爵に投げかけただけで、ただ一言、「皇帝選挙を実施せよと、陛下の裁可は下った」とだけ述べ、こちらのことを無視して立ち去って行った。
「皇帝陛下の、裁可が下った? 」
リヒター準男爵をつき従えながら去っていくベネディクトの後姿を、エドゥアルドは屈辱と共に見送った。
「そんなことは、あり得ない!
陛下は……、意識不明であるのだから。
そもそも、そうであるからこそ、我ら公爵がここに集まったのではないか」
その言葉は、ベネディクトには届かない。
彼は強引に、卑怯なやり方で皇帝選挙を実施するつもりでおり、それを阻止しようという企ての一切を、皇帝からの裁可を得たという一言で無視するつもりでいるようだった。
「デニス殿! いったいなぜ、ベネディクト殿の言葉に従ってしまったのですか!? 」
やがてベネディクトと同じように皇帝が療養している部屋から姿をあらわしたデニス公爵に、エドゥアルドは詰め寄った。
本来であれば皇帝選挙の軽率な実行には反対の立場であったはずのアルトクローネ公爵が心変わりさせられてしまったからこそ、こんなことになってしまったのだ。
それは、半ばは八つ当たりであるということはエドゥアルドも自覚はしていた。
元々はベネディクトがまさかこんな強引な手段を取ると予想せず、不毛な議論への嫌悪感に任せて席を立ってしまったこちらにも落ち度があるのだ。
「あ、いや、その……っ」
少年公爵に険しい表情で睨みつけられて、デニス公爵は冷や汗を浮かべながら、しどろもどろになりながら答える。
「し、仕方がなかったのです。
ベネディクト殿の強い求めに加え、リヒター準男爵が、今やらねば帝国が滅びる、などと強く迫って来て……。
アルエット共和国軍が侵略して来た時に、最前線となるはずのヴェストヘルゼン公国を、み、見捨てるつもりなのかと。
このまま新たな皇帝を定めなければ、そうなってしまうと。
必要な決断をせず、大勢を見殺しにする責任を、いったいどう取るつもりなのだと、言われたのです……。
わ、私には、強く反対することなどできなかったのです」
そのデニスの言い分も、分からないではなかった。
確かに共和国との戦争で最前線となるのはヴェストヘルゼン公国である可能性は高く、そして、皇帝不在のままではタウゼント帝国軍はその力を結集して救援におもむくことはできない。
軍を招集し指揮する権限は、この帝国においてはただ1人だけ、皇帝にのみ認められているからだ。
我々を見捨てるつもりなのか。
そうベネディクトとリヒターに責め立てられたデニスは、その人柄のせいもあって、自身の本来の意見を保つことができなかったのだろう。
エドゥアルドはそれ以上デニスのことを責めるつもりにはなれなかった。
あの時、席を立ってしまった自分も確かに悪かったし、デニスにだけ責任を押しつけるのは酷なことであったからだ。
加えて、今となっては無意味なことでもある。
「……もはや、起こってしまったことをとやかく言っても始まらないこと、か」
そう呟いたエドゥアルドは小さく深呼吸して気分を落ち着けると、あらためてデニスに確認した。
「感情をあらわにしてしまい、申し訳ありませんでした。
あの時、席を立ってしまった僕も悪かったのです。
それで、デニス殿。
ベネディクト殿は皇帝陛下から皇帝選挙の実施の裁可を得た、などとおっしゃっておられましたが、実際のところはどうであったのです?
陛下は、お目覚めになられたのですか? 」
「そ、それが……」
デニスは言いづらそうに、言葉を濁す。
それから散々視線をさまよわせ、エドゥアルドが憮然とした表情のまま答えを聞くまで動きそうもないことを確認すると、観念したように言う。
「陛下は、やはり意識不明のままなのです。
医師団にも確認をして参ったのですが、回復の兆候は見られない、と。
しかし、ベネディクト殿は、確かに陛下からご許可をいただいたなどとおっしゃっているのです」
「それは、いったい?
デニス殿がご一緒だったのではないのですか? 」
「い、いいえ。
実は、ベネディクト殿が陛下の寝所に入る際、一度に多くの人間が入ると陛下のご病状に障るかもしれぬから、と、私は一緒には入ることができなかったのです。
そしてベネディクト殿は、確かに、陛下からのお言葉を賜った、と」
そのデニスの言葉を聞いた時、エドゥアルドは激しい憤りを感じていた。
腸が煮えくり返る、というのはまさにこのことかと思うほどの怒り。
腹の奥底が沸き立ち、今すぐに罵詈雑言をわめき散らしながら、ベネディクトの行ったことを非難し、その襟首につかみかかりたいという、そんな激情。
ベネディクトは、おそらく、いや、間違いなく確実に、カール11世の言葉を捏造したのだ。
それも、自分以外には誰も本当にそうであったのかを確認することのできない密室を作り、なんでも、自分の思うままにすることができる状況で。
エドゥアルドはこの世に生まれ落ちて初めて、悪辣という言葉の本当の意味を知った心地だった。




