第400話:「物陰:2」
第400話:「物陰:2」
物陰からのびて来た手がつかんだのがルーシェではなくシャルロッテだったら、まったく状況は異なっただろう。
シャルロッテはメイドとして優秀だったが、それ以上に、エドゥアルドの身辺を守る護衛としての能力に秀でている。
体術、剣術を身に着けており、銃の扱いも難なくこなせる、並みの人間なら数秒で数人は蹴散らせるようなメイドなのだ。
しかし、ルーシェにはそんなことはできない。
突然、なにが起こったのか。
これからいったい、なにが起こるのか。
驚き、戸惑い、そして恐怖でいっぱいになったが、しかし、ルーシェは自分を物陰に引き込んだ者の隣にいる人物の姿を見て、落ち着きを取り戻した。
「手荒なことをしてすまんのぅ、ルーシェ殿。
しかし、大っぴらに声をかけるわけにもいかんでの。
ワシがここにいるとは、あまり知られて欲しくはないのでな」
それは、前オストヴィーゼ公爵、クラウスだった。
彼はエドゥアルドにとっては味方と言ってよい存在だった。
ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国は盟友関係にあり、そういった外交的な結びつきだけではなく、経済的な交流も深い。
そんな関係だからクラウスはエドゥアルドに対して好意的で、少年公爵が謀反などというあらぬ噂で陥れられそうになった時も手助けをしてくれた。
エドゥアルドの味方なのだから、それは、ルーシェにとっても味方と言ってよい。
メイドが落ち着くのを見計らってクラウスがあごをしゃくると、ルーシェを物陰へと引きずり込んだ張本人、前オストヴィーゼ公爵が召し抱えている諜報員の1人で今は使用人の姿をしている男性は手を離してくれ、それからすまなそうな顔で一礼した。
「あの、クラウスさま?
突然、どのようなご用件でしょうか? 」
ルーシェは、エドゥアルドの下に皇帝が意識不明の重体となったことが知らされた経緯から、アルトクローネ公国の首都、ゴルトシュタットにクラウスがいることは知っていた。
だから状況がのみ込めるとすぐに、この梟雄と呼ばれる老獪な人物が、なにか用事があって自分を物陰に引きずり込んだのだということが理解できる。
それが分かると、驚かされたことにあらためて怒る気持ちにもならない。
そんな彼女に、クラウスはひそひそ声で言った。
「おう、話しが早くて助かるぞぃ。
ちと、エドゥアルド殿に伝言して欲しくてな」
ここで会話していることは、他の誰にも気づかれてはならない。
雰囲気でそう察したルーシェも声をひそめ、クラウスたちにだけ聞こえるようにしながらたずねる。
「伝言、ですか?
以前のように、エドゥアルドさまのところにまでご案内いたしましょうか? 」
「いや、それはダメじゃ。
皇帝陛下もおわすでな、さすがにこの居城の奥まで行くと、警備が厳しくていかん。
ワシの顔を見知っておる者もわんさかおるでな。
この辺りに潜り込むのだって、やっとだったんじゃ。
本当は直接話をしたくてここまで忍びこんで来たんじゃが、そういうわけで困っておったんじゃ。
お主がこの人気のない場所まで来てくれて、助かったわい」
「そういうことでしたら、かまいませんけど……、どうして、私なんでしょうか?
こういうことは、シャーリーお姉さまの方が良いのではないですか? 」
「ここであの赤毛が来るまで待っておることも難しいのでな。
それにあ奴、ワシにアタリが強いんじゃもの」
シャルロッテはエドゥアルドの身辺警護だけではなく、ノルトハーフェン公国で公爵位を簒奪しようという陰謀がくり広げられていたころは、情報収集など諜報的な任務も行っていた。
だからクラウスがなにか伝言を頼むのなら彼女の方が適任だとルーシェには思えたのだが、クラウスは苦々しい表情を浮かべる。
今では盟友であるクラウスだったが、彼はかつてエドゥアルドと対立したこともあり、過去に暗殺などを実行したのではないか、という黒い噂がつきまとう[知恵者]だ。
だからシャルロッテは彼のことを警戒しており、態度が厳しい。
その点、ルーシェは「エドゥアルドさまが信用していらっしゃるのだから」と、クラウスのことを信じ、丁重に接している。
だからこそ、伝言を頼むならルーシェの方が話しやすいと、とクラウスも考えたのだろう。
「まぁ、そういうことでしたら……。
それで、いったいどのようなことをエドゥアルドさまにお伝えすればよろしいのでしょうか? 」
「まず、1つめ。
これは、わしの息子、ユリウスのことじゃ」
うなずくと、クラウスは真剣な表情でルーシェに言伝をする。
「知っての通り、ユリウスがここに到着するまではまだ数日はかかる。
そこでじゃ、なんとかエドゥアルド殿には、時間を稼いでもらいたいのじゃ」
「時間を、稼ぐ? 」
「そうじゃ。
すでにここにはユリウスを除く4人の公爵が集まっておる。
そして、陛下のご容態は、思わしくない……。
もしかするとユリウスが到着せん内に、皇帝選挙を実施するかどうか決められてしまうかもしれぬ。
それではあ奴があまりにも不憫じゃし、なにより、我がオストヴィーゼ公国が出遅れることとなってしまう。
そんなことになっては困るんじゃ。
じゃから、なんとかエドゥアルド殿に引き延ばし工作を頼みたい。
情勢が切迫しておるのはワシも知っておるが、数日だけ、どうにか延ばして欲しい」
「承知しました。そうエドゥアルドさまにお伝えいたします」
「それと、2つ目」
ルーシェがうなずくのを確認すると、クラウスはすかさず、次の伝言を続ける。
「エドゥアルド殿には、知っておいてもらった方が良かろう。
……この[事件]の、[裏]を、な」




