第399話:「物陰:1」
第399話:「物陰:1」
なるべくエドゥアルドの部屋の近くに用意している。
アルトクローネ公爵家のメイドの説明通り、シャルロッテとルーシェのために用意された部屋はエドゥアルドのものの近くにあった。
当然だが、公爵の部屋のように、部屋の中に部屋がある、というものではない。
個室ですらない。
シャルロッテとルーシェが寝泊まりするためのベッドが2つ並んでいる2人部屋で、広さも狭苦しさをぎりぎり感じない程度にしかなく、窓も1つしかない。
家具に至っては、クローゼットが1つ、ベッドとベッドの間に置かれているだけだ。
そもそもメイドのために広い個室を用意してもらえるなど誰も期待はしていなかったから、2人は特に不満はなかったし、これで十分だと納得した。
それどころか、シャルロッテなどは喜んでさえいた。
「これは好都合ですね」
そう言うと、赤毛のメイドは、自身の荷物が入った旅行鞄を持って部屋の出入り口の辺りで突っ立っている、灰色がかった黒髪をツインテールにしたメイドの方へちらりと視線を向ける。
「これで貴方のことをしっかりと管理することができます」
ルーシェは、苦笑するしかない。
管理する、といっても、別にルーシェが怠けるので見張らなければならない、という意味ではない。
むしろ、その逆。
ワーカホリック気味のメイドが働き過ぎないようにコントロールするという意味だ。
チクリと釘を刺した後は、シャルロッテはてきぱきと自分の荷物を整理し、この場所で滞在する準備を整えていった。
スペースはきっちり、公平に半分ずつで、ルーシェも自分の荷物を整理していく。
その作業はすぐに終わった。
エドゥアルドは、儀礼などのために様々な衣装が必要だったり、ノルトハーフェン公爵としての威厳を保つために一定の生活水準を保つことが求められたりするので持ち込んだ荷物の量も多かったが、メイドたちはそうではない。
着替えや身の回りの必需品など、最低限の荷物を、旅行鞄1つにまとめて持ち込んでいるだけだ。
だから荷物の整理はすぐに終わった。
おそらく、30分もかからなかっただろう。
「あの、シャーリーお姉さま。
少しだけ、お屋敷の中を見て来てもよろしいでしょうか? 」
荷物の整理を終え、部屋の使い勝手も確認し終えた後、エドゥアルドのところに戻ろうと立ち上がったシャルロッテに、唐突にルーシェがそんなことを言った。
「あら、珍しい」
シャルロッテは、少し驚いた様子で振り返る。
「あなたのことだから、すぐに公爵殿下のところに戻るのかと思っていましたが」
「そうしたいのは山々なのですが」
ルーシェはうなずき、本音を我慢しているような顔で言う。
「このお屋敷の厨房とか、洗濯場とか、そういう場所を確かめておきたいのです」
「ああ……、なるほど」
その言葉で、シャルロッテにはルーシェがなにをしようとしているのかが理解できた。
ルーシェは公爵家のメイドとなって以来、エドゥアルドの警護の兵士たちのために時折夜食を差し入れるということを続けている。
それは旅先でも同じことで、出征に同行していた時も、帝都・トローンシュタットに査問のために呼ばれていた時も、炊事のための設備を借りてアイントプフなどの料理を作っていた。
それを、ここでも続けるつもりなのだろう。
だからこのアルトクローネ公爵家の居城の厨房の場所を確かめ、そこを借りられないか、働いている使用人たちにお願いするつもりなのだ。
加えて、エドゥアルドの着ている物を洗濯するのも、主にルーシェの仕事になっている。
この城館には元々大勢の使用人たちが働いており、彼らに頼めば洗濯なども行ってもらえるかもしれなかったが、公爵の着る物、ということで、なにか変な細工でもされたら困るという[念のため]の警戒もあって、なるべく頼らないようにしているのだ。
つけ加えると、ルーシェはエドゥアルドの衣服の洗濯を「これは私の仕事です! 」と頑なに譲らず、シャルロッテにさえ任せようとしないから、自分が使うことになる洗濯場の場所と設備の具合を確認しておきたいということなのだろう。
「分かりました。……それでは、しばらくの間、公爵殿下の身の回りのことは私が何とかしておきましょう。
このお屋敷の方々にご迷惑にならないように、そして迷ったりしないように。
大丈夫だとは思いますが、念のため」
「あ、あはは……」
強調された念のため、という言葉に、ルーシェは苦笑いする。
信用されていないわけではないのだが、やはりシャルロッテからすれば、まだまだ未熟さが見え隠れするのだろう。
そうして2人のメイドは別れ、それぞれの仕事に向かって行った。
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ルーシェは、幸いなことに、厨房も、洗濯場も貸してもらえることになった。
実を言うと、厨房というのはけっこう、外部の者の出入りを嫌う場所だ。
人が生きるのには欠かせない食事を作るための場所ということもあり、主のための料理の安全性を絶対確実に確保するという理由などで、見知らぬ者の出入りを拒絶する場合が多いのだ。
また、厨房は普通、独立した部署であり、「管轄が違うから」と、自分の仕事の領分を侵されることを許さないこともある。
だが、ルーシェがノルトハーフェン公爵家のメイドである、ということと、見た目からして、食事に毒を盛るとか、そんなことをするようにはまったく見えない人畜無害そうな雰囲気が良かったのか、アルトクローネ公爵家のコックは事情を話すとあっさりと許可を出してくれた。
(早く、エドゥアルドさまのところに戻らないと)
首尾よく目的を果たしたルーシェは、上機嫌で、鼻歌なんかを歌いながらアルトクローネ公爵家の居城の中をのんきに歩いていた。
もちろん、道に迷うようなへまはしない。
まだこの居城の内部構造のすべてを把握しているわけではないが、エドゥアルドの部屋までたどりつく道順は、伝書鳩の帰巣本能の如くすでに身に着けている。
帰ったらエドゥアルドにどんなコーヒーを用意しようか。
そんな想像をしながら、ニコニコとした笑顔で曲がり角に差しかかった時だった。
にゅっ、とのびて来た手が突然ルーシェのことを捉え、口も塞がれて悲鳴を上げることもできずに、彼女は物陰へと引き込まれてしまったのだ。




