第398話:「部屋」
第398話:「部屋」
エドゥアルドが普段暮らしているノルトハーフェン公国の政庁であり公爵の家でもある城館、ヴァイスシュネーもそうなのだが、アウトクローネ公爵家の居城も、来賓を宿泊させるための施設を備えている。
やはり、部屋の中に部屋がある、大きなものだ。
入ってすぐのところには使用人たちが控えているための小さな部屋があり、その奥に来客に対応するための応接室、そして部屋の主となる人物がくつろぐためのリビングに、休むための寝室がある。
しかも部屋の中には入浴できる浴室の設備もあり、水洗式のトイレまで完備されている。
こういった設備があるのは、まだ珍しい時代だった。
「よいお部屋です。感謝いたします、デニス殿」
部屋を案内されたエドゥアルドがそう礼を述べると、デニスはほっとした笑みを浮かべた。
「それでは、ひとまずはここでお待ちください。
陛下をお見舞いなさる場合は、おっしゃっていただければ医師に確認いたします。
本日は夕食会も予定させていただいております。
それまでは、どうぞおくつろぎくださいませ」
「承知いたしました」
エドゥアルドがうなずくと、デニスは急いで去って行った。
デニスにとってカール11世は皇帝であるのと同時に父親でもあるから、その病状に対し心を痛め、回復のために手を尽くすので忙しいのだろう。
それからエドゥアルドたちは、この場所に滞在するための準備を始めた。
馬車から荷物を運び込み、部屋を快適に使用できるように整える。
するとそれを見計らったようなタイミングで、デニスの使用人たちが、エドゥアルドの随員たちのために用意された部屋に案内するためにやって来た。
「あの、私はこちらのお部屋でもかまわないというか、むしろこちらのお部屋がいいというか」
毎度おなじみのツインテメイド、ルーシェが、エドゥアルドの部屋の入り口付近にある、使用人が休憩するための小部屋へ視線を向けながらそう言い出したのは、その時だった。
「ルーシェ。この部屋がいい、というのは? 」
主人からノルトハーフェン公爵の随員たちを部屋に案内せよと命じられているためにルーシェの申し出に困った顔をしているこの屋敷のメイドに代わって、エドゥアルドがルーシェにたずねる。
すると彼女は、「はい! 」と元気良くうなずいてみせた。
「だって、その方がエドゥアルドさまのために働きやすいではないですか!
それに休憩のためのお部屋でも、私が寝泊まりするのには十分な広さがあります! 」
「しかし、そこにはベッドさえないじゃないか」
首をのばし部屋をのぞき込んだエドゥアルドがいぶかしみながらそう言ったが、ルーシェは意見を変えない。
「ベッドなんていりません。ちょっとしたマットでも持ち込めば……、あ、いえ、そのまま床で寝るのでも大丈夫です!
私、そういうのは慣れていますから! 」
その時、エドゥアルドたちは彼女が元々スラム街で暮らしていたのだということを思い出していた。
もう2年以上も前の話であるはずなのだが、未だにルーシェは現在の公爵家のメイドとしての暮らし方を[当たり前のモノ]として考えられていないようだった。
エドゥアルドはしかめっ面をして、にこにこと能天気な笑顔を浮かべているメイドの姿を見つめる。
自分はきちんとした部屋などいらない。
エドゥアルドの部屋の一画で、床に寝るのでもかまわない。
それは、ルーシェの本心から出た言葉であるのだろう。
そしてその言葉は、「その方がエドゥアルドのために働きやすいから」という一心から出たものだ。
仕えている主への忠誠、献身。
わずかな曇りもない純粋な気持ちではあるのだが、しかし、エドゥアルドは嬉しいとは思えなかった。
ルーシェが普段から自分のためにどんなに頑張ってくれているかは、エドゥアルドはよく知っている。
そしてそれを当然のことではなく、ありがたいことなのだと思い、いつも感謝しているのだ。
それなのに、そんなメイドを床の上で寝かせるなど。
エドゥアルドはきっと、心苦しくて一時も安らげないだろう。
「ばかな考えは捨てなさい」「あだっ!? 」
その時、ルーシェのことを三白眼で睨みつけた赤毛の先輩メイド、シャルロッテが素早く手をのばし、黒髪ツインテールのおでこをパチンと指で跳ねた。
「そんなことをして、風邪でも引いたらどうするのです?
公爵殿下にも、このお屋敷の方々にも、ご迷惑になるではないですか」
「でも、ルー、このくらいで風邪をひいたりなんか……」
「い・い・で・す・ね? 」
ルーシェはしぶとく反抗しようとしたが、シャルロッテの目力に圧倒されて押し黙った。
どうやら、きちんと自分の部屋に案内されることを受け入れた様子だ。
「そ、それでは、あらためてお部屋にご案内させていただきますね。
その、なるべくこのお部屋の近くに、ご用意させていただいておりますので」
とりあえず一件落着したのを見て取って、戸惑った表情のまま成り行きを見守っていたデニス公爵の使用人が、引きつった愛想笑いを浮かべながらそう言う。
ルーシェの育った場所を知らない者としては、自分は床に寝泊まりするなどという主張は理解しがたい、奇異なものだったのだろう。
普通は、きちんとした部屋を用意してもらえれば喜ぶはずなのだ。
「むーっ。その方が、エドゥアルドさまと一緒にいられるのに……」
メイドは不満顔で、まだそんなことを呟いていたが、シャルロッテにジロリと怖い顔で睨みつけられると慌ててデニス公爵家のメイドについて行く。
その後ろ姿を、エドゥアルドは安心と呆れの入り混じった表情で見送った。




