第394話:「探り合い:2」
第394話:「探り合い:2」
まずは諸侯の動向を把握し、情勢を整理する。
それから、これまでタウゼント帝国との関係を強化することを望んでいた隣国、オルリック王国に対し、起こった出来事を伝え、帝国との関係が破綻しないように引き留める。
おそらく、皇帝が目覚めないことを知れば、アルエット共和国が動き出すはずだった。
今までのタウゼント帝国とオルリック王国の関係を考えればこんなことは起こり得ないとは思うが、そのアルエット共和国の動きに呼応してオルリック王国に攻め込まれたのでは、いかに帝国が強大であろうと苦境に陥ってしまう。
だからオルリック王国との友好関係は、なんとか維持したい。
国内においては、まだ開催日程の残っている第2回公国議会をなんとか円満な形で終了させ、エドゥアルドに一時的に全権を預けることを認めさせなければならない。
たとえ平民であろうとも、選挙で選ばれた者には国政に参加することを許す。
それは徴兵制度の導入と共にエドゥアルドが開始した改革だったが、即断即決を求められる状況が生じれば、議会にはかってじっくりと議論している時間はなく、エドゥアルドが判断を下さねば間に合わない。
このため、議会に事後承認をもらうという形で、一時的にノルトハーフェン公爵にすべての裁量権を認めてもらわなければならない。
そして、ノルトハーフェン公国軍の準備。
ルーシェに頼んで公国軍の参謀総長、アントン・フォン・シュタムを呼び寄せたエドゥアルドは、皇帝が意識不明の重体に陥ったということを知らせ、それから、想定される状況に応じた軍の運用計画を立案するように命じた。
アントンは温厚で冷静な人物だったが、皇帝が意識不明の重体、という状況を知って、さすがに驚きを隠せなかった。
しかし、すぐに彼はいくつかの状況を想定し、エドゥアルドにどんなことが起こり得るかを説明し、そのそれぞれに対応できる作戦計画の立案に入って行った。
(僕は、人に恵まれたな)
自分ただ1人だけでは、まだ右往左往して、ぐずぐず、なにもできずにいたかもしれない。
そんなことを考えながら、エドゥアルドは関係のある諸侯に対して、なにが起こったのか、そして現在得られている情報から起こり得ると考えられる事態を説明し、ノルトハーフェン公国としてどのように動くつもりなのかということを知らせる手紙を書いていた。
書きあがった手紙は、エドゥアルドにつき合って徹夜したルーシェを休ませる代わりにエドゥアルドの身の周りのことを担当してくれている赤毛のメイド、シャルロッテに頼んで外交部へと送り、次々と早馬で届け先に向かわせている。
同じような内容の手紙をもう、なん十通も書いている。
皇帝が意識不明。
ひとまず一命はとりとめたものの、このまま意識を取り戻さないかもしれない。
この重大な情報は、こちらからわざわざ知らせるまでもなく、やがてすべての諸侯に知れ渡ることだろう。
盟友としてのよしみからエドゥアルドにシュピーゲル湖で御座舟が転覆したことを知らせてくれた前オストヴィーゼ公爵、クラウスからの続報によれば、皇帝の側近たちはカール11世が意識不明に陥ったという事実について、箝口令を敷こうとしているらしい。
誰に、どんな情報を伝えるか。
それをうまくコントロールして、この[事件]によって生じる悪影響を最小限にとどめようと考えたのだろう。
しかし、エドゥアルドがこうしてなにが起こったかを知っているように、すでになにが起こったのかは多くの人々に知られてしまっている。
そうして一度広まってしまった情報は、もはやコントロールすることはできない。
だからエドゥアルドがあらためて伝えるまでもなく、諸侯の誰もがこの[事件]について知ることとなるだろう。
それならば、エドゥアルドが自ら教えてやった方が、良い効果が期待できる。
もし相手がこの[事件]についてまだ知らなかったのなら、情報を教えてくれたということで恩に感じてくれるかもしれなかったし、すでに情報を得ていてもこちらが隠しごとをしていないとわかればそれを誠実だと感じて、好意を持ってくれるかもしえない。
同じ言葉でも、受け取るタイミングによってまったくとらえ方が変わってしまう。
そのことを学んだエドゥアルドは、その学んだ成果をすでに活用し始めていた。
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皇帝が意識不明の重体となってから、数日が経過しようとしていた。
タウゼント帝国全体が、段々と、騒然として来ている。
皇帝の側近たちはなんとか箝口令を敷こうとしていたが、シュピーゲル湖で御座舟が転覆した瞬間を目撃していた民衆の数は多く(事件の当日は、普段は決して見ることのできない皇帝の姿を一目でも拝もうと、たくさんの民衆がシュピーゲル湖の湖畔を訪れていた)、なにが起こったのかについての噂は急激に広まっていた。
噂だから、尾ひれがついている。
皇帝は無事だ、というものもあったし、皇帝はすでにお亡くなりになってしまった、というものも流れている。
意識不明の重体であるという正確な情報も、偶然、人々の間で生まれ、一定の広まりを見せている。
皇帝の現在位置についても、様々な憶測が飛び交っていた。
そのままゴルトシュタットにあるアルトクローネ公爵家の居城に運び込まれて治療を受けているという説や、帝都・トローンシュタットに移送されて、ツフリーデン宮殿に運び込まれたという説。
果ては、すでにいずこかに運ばれ、埋葬されようとしている、などなど。
平民はそれらの噂に翻弄され、不安の中にあった。
次期皇帝位を巡って国内で騒乱が起きるのではないか、という予測や、これをチャンスと見た外国が侵略して来るのではないかという心配。
ノルトハーフェン公国では、宰相であるエーアリヒ準伯爵がしっかりと市場の動向を掌握して制御しているため無縁の事態だったが、戦乱の到来を予感し、一部の地域では穀物相場が跳ね上がるなど、経済的な影響も出始めている。
諸侯は平民たちよりも多くの、そして正確な情報を得ていたが、右往左往しているという点ではなんの変りもなかった。
これからなにが起こるのか。
その中で、自身の家を守っていくにはどうするべきなのか。
諸侯は互いに互いの腹の内を探り合い、疑心暗鬼にさえ陥り、悩み苦しんでいる。
そしてこの状況は、着実に、タウゼント帝国以外にも伝わり始めていた。




