第392話:「青天の霹靂:2」
第392話:「青天の霹靂:2」
皇帝が重体に陥った。
その報告を受けたその日の夜、エドゥアルドは私室に帰ることなく、一晩中ずっと執務室に留まり続けた。
いつ、クラウスから続報をもたらされても対応できるように。
エドゥアルドはエーアリヒとヴィルヘルムと共に、新たな知らせが入るのを待ち続けた。
それは、長い夜だった。
じれったい、苦しい時間だった。
事故、なんらかの陰謀があった可能性は高いが断定はできないためにそう呼ぶが、皇帝の乗った御座船が転覆してからすでに3日も経っている。
情報を伝達するのに時間がかかるから仕方がないことだったが、エドゥアルドたちがなにも知らなかった間に、すでにカール11世が崩御してしまっているという可能性もあるのだ。
事態はとっくに動き出しているのに、自分たちは動けない。
そのことがあまりにももどかしく、続報を待つエドゥアルドたちはみな会話も少なかったが、緊張で張り詰めたままだった。
メイドのルーシェも、ずっとエドゥアルドと共にあった。
主が眠ろうとしないのだからそのメイドである自分も眠るわけにはいかないという考えもあったが、なにより彼女は、少年公爵のことを支えてやりたかった。
支えると言っても、メイドにできることは少ない。
眠気を覚ますためと、ストレスを減らすために何杯もお代わりされるコーヒーを手早く用意し、エドゥアルドたちに不自由を感じさせないことくらいしか、ルーシェにはできない。
ルーシェは、エドゥアルドたちのために夜食を作ったりもした。
今日はアイントプフの仕込みをしていなかったので、簡単にサンドイッチだ。
ハムにチーズ。
それを夕食で使い切れなかったソースをアレンジしたものをぬったパンで挟む。
エドゥアルドはその夜食をすべて平らげてくれたが、しかし、「お味はいかがですか? 」とルーシェがたずねても上の空だった。
味もわからないほどに緊張しているらしい。
やがて日付をまたいだころに、続報は来た。
事件のあったアルトクローネ公国の首都、ゴルトシュタットにいるクラウスから放たれた手の者が、早馬を乗り継いで短い言葉で報告し、そしてオストヴィーゼ公国のユリウス公爵にも同じ内容を知らせるべく、短い挨拶を残して去って行った。
「皇帝陛下は、一命をとりとめられたのか……」
もたらされた続報に、エドゥアルドはほっと、胸をなでおろしていた。
もし、皇帝が命を落としてしまっていたら。
タウゼント帝国は次の皇帝位を巡って大混乱に陥り、まったく無防備な状態になりかねなかった。
だが、一命をとりとめ、もっとも危険な状態からは脱したというのなら、この事件の影響は限定的なモノに留まるかもしれない。
「ご安心なさいますのは、まだ早いかと思われます」
あからさまにほっとしている様子のエドゥアルドとエーアリヒに、ヴィルヘルムが、いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべたまま釘をさす。
「皇帝陛下は、まだ意識を取り戻されたわけではございません。
一命をとりとめた、というのならば、これからご快復なさる可能性は大いにありますし、私としてもそう願ってはおりますが……。
しかしながら、過去には、こうして命だけは助かっても、意識を取り戻されないという事例もございます」
「あまり考えたくはないが……、ヴィルヘルム、貴殿の言う通りだ」
その指摘に、エドゥアルドは緩んでいた表情を引き締める。
皇帝は一命をとりとめたものの、意識を取り戻さない。
崩御、という事態を最悪のものとして考えていたのだが、もしかすると、この中途半端な状態の方が、厄介かもしれなかった。
意識不明であるのだから、皇帝は国家元首として求められる意思決定を、なにもすることができない。
その一方で、カール11世は存命であるのだから、皇帝選挙を行って次の皇帝を定める、というのもやりにくい。
政治的な空白が生じ、カール11世の病状次第では、それが長期化する恐れがあった。
そんな時に隣国が、とりわけアルエット共和国が動くことになれば、タウゼント帝国はそのトップが不在のまま、苦境に陥ることとなるだろう。
(そうならないように、祈ろう)
エドゥアルドは内心でそう思い、事実、そのように願った。
だが、その願いは通じなかった。
眠れぬ一夜が明けた朝、クラウスから、皇帝の意識が容易には戻りそうもないという連絡が届けられたのだ。
「これは、まずいことになったな」
オストヴィーゼ公国に向かうために慌ただしく去って行ったクラウスの諜報員の姿を見送ったエドゥアルドは、徹夜明けの疲れの見える顔で、心底困り果てた口調でそう呟いた。
皇帝がすぐに意識を取り戻してくれればよかったのだが、クラウスから簡単にはいかないとの連絡があった。
ということは、このまま皇帝が意識不明の状態にあり続けそうだという、そう信じられるようななんらかの情報がクラウスの手に入った、ということなのだろう。
だとすれば、事態は想定しうる中で最悪のものとなる。
タウゼント帝国は国家元首不在という状態のまま、皇帝が存命であるためにその次を決める選挙を開くこともできずに、混乱することとなるのだ。
それは、1000年以上もの長い歴史を重ねて来たタウゼント帝国が初めて直面する危機だった。
前例がないのだから誰も対処法など知らないし、すぐには考えつかない。
さらに悪いことに。
仮に妙案が存在するのだとしても、「そうする」と決めることができ、その方針に皆を従わせることのできる人物が不在なのだ。
(どうして、こうなってしまったんだ……)
エドゥアルドは自身のあずかり知らぬところで再び、困難な状況に陥ってしまっていた。




