第391話:「青天の霹靂:1」
第391話:「青天の霹靂:1」
「この情報の出所は……、どなたなのだ? 」
事件のあらましを聞き終えたエドゥアルドは、まずそのことを疑った。
皇帝が重体に陥った。
それは間違いなく緊急性のある、重大な出来事だ。
だからこそ、その出所について確かめ、その信憑性を確かめなければならない。
なんらかの目的の下に発せられた虚報である可能性もあるのだ。
世の中には様々な情報が飛び交っているが、中には、ある効果を得るために意図的に流される情報というものも存在している。
そのことをエドゥアルドは、前オストヴィーゼ公爵・クラウスの助けを得ながら査問会を乗り切った際に知った。
もし、この重大な情報が、なんらかの陰謀の下に流されたものであるとしたら。
謀反を企んでいる、などというありもしない噂を流された経験を持つエドゥアルドとしては、警戒せずにはいられなかった。
特に、こんな晴天の霹靂のような情報に接し、慌てた人間というのは、誤った判断というのを下しやすい。
1歩引いて、冷静になることが必要だった。
「前オストヴィーゼ公爵、クラウス様からもたらされた情報でございます。
信頼してもよろしいかと」
「なに? クラウス殿が?
クラウス殿は確か、査問会が終わった後、数日帝都を観光してから故郷に帰ると、そうおっしゃっておられたはずだが……」
「私はその点については詳しく存じ上げてはおりませぬが、どうやらクラウス様は皇帝陛下がアルトクローネ公国へ行幸なさるのに合わせて、ゴルトシュタットを訪れていたご様子です」
情報の出所がクラウスだというのならば、エドゥアルドとしては疑う必要を感じない。
彼が老獪な人物であることはよく知っているが、今、オストヴィーゼ公国とノルトハーフェン公国は盟友関係にあり、こちらを騙すようなことをするはずがないのだ。
エドゥアルドは、口をへの字に引き結び、やや顔をうつむけて考え込む。
クラウスから情報なのだから信用はできるのだが、なぜ「そこに」クラウスがいたか、ということが新たな疑問として浮かび上がって来たからだ。
皇帝の乗った御座船が、波も風もないのに転覆し、カール11世が意識不明の重体に。
そんな重大な場面にこれほどタイミングよく居合わせることなどできるのだろうか。
(クラウス殿のことだ。
もしかすると、なにか兆候をつかんでいたのかもしれないな)
エドゥアルドはあの抜け目のない前オストヴィーゼ公爵のことだからそうに違いないと考え、そして恐ろしいことにも気がついていた。
なにか、クラウスが探りを入れたくなるような[兆候]があったのだとしたら。
それはつまり、この[事件]が、偶然に発生したものではない、ということだった。
「クラウス殿からは、他にはなにか、そう、アドバイスのようなものはなかったか?
僕たちがどう動くべきか、とか、なにか、あるいは誰かの動向に注意を払うべき、とか」
顔をあげたエドゥアルドがそうたずねると、エーアリヒはしばし考えた後、小さく首を左右に振った。
「いえ、特に心当たりはございません。
仕事を終えまして屋敷に帰ろうとしていたところに駆けこんで来たクラウス殿の手の者は、ずいぶん急いでおられる様子でした。
これよりオストヴィーゼ公国のユリウス様にもご報告を申し上げねばならず、ここにお立ちより下さったのは、ついでに知らせてやれとの命令であったからだ、と。
ことはあまりにも重大です。
クラウス様としても、まずは一報を入れておこうということで、我らがこの件についてどのように動くべきかどうかはまた後で、様子を見ながら考えようと、そういうところではないでしょうか」
「なるほど……、エーアリヒ殿のおっしゃる通りだろうな」
自身が信頼している宰相の言葉に、エドゥアルドも納得してうなずく。
皇帝が重体に陥ったとなれば、帝国中が動揺することは必至だった。
だが、今回もたらされた情報は速報であり、事件が起こった経緯と、その直後の様子までしか明らかではない。
早馬でこの知らせがもたらされるまでに、3日もかかっている。
通信手段が限られている現状では、どうしても情報の伝達には時間がかかるのだ。
そしてその3日間の間に、もしかすると、カール11世は意識を取り戻し、回復している可能性だってあるのだ。
もしカール11世がそのまま崩御した場合には、大事だった。
タウゼント帝国では慣例によって皇帝選挙によって国家元首を選ぶ必要があり、それを実施するのに当たって諸侯は混乱に陥るのに違いなかった。
すでに次期皇帝位を巡って、水面下で2人の公爵が、ヴェストヘルゼン公爵・ベネディクトと、ズィンゲンガルテン公爵・フランツが激しく対立していることを、諸侯は誰もが知っている。
去就を決めきれずにいる諸侯も多い中で皇帝選挙が開かれるということは、誰もがもう少し先でいいだろうと考えていた判断を今すぐに行わなければならないということだったし、皇帝位を争う両公爵は少しでも味方を増やすために盛んに工作し始めるだろう。
蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。
影響は、国内だけにはとどまらない。
ズィンゲンガルテン公国の首都、ヴェーゼンシュタットを巡る攻防戦で大打撃を受けた南のサーベト帝国は気にせずともよいかもしれないが、西にはアルエット共和国があり、東にはオルリック王国がある。
オルリック王国はサーベト帝国と共に戦った仲だからまず動くことはないと思えるが、アルエット共和国は、国家元首不在という、国家の意思決定プロセスが機能不全を起こしている隙を見逃さないだろう。
だが、カール11世が無事に回復を果たしたのなら、なんのことはない。
今までと状況は大きく変わらないのだ。
皇帝が重体に陥ったという、急報。
しかしその後どうなったかを確かめない内には、どう動くべきなのかなにも決めることはできない。
続報がクラウスからもたらされるのを待つしかない状況だったが、しかし、エドゥアルドたちにもやっておけることもあった。
それは、どんな続報がもたらされても迅速に対応できるよう、ノルトハーフェン公国の体制を整えておくことだ。
「ルーシェ。すまないが、ヴィルヘルム殿をお呼びしてきてくれ」
「かしこまりました。エドゥアルドさま」
エドゥアルドが視線を向けると、これまでの会話を聞いていたためことの重大さをよく理解しているメイドは、真剣な表情でうなずき、一礼する。
そして彼女は、公爵家のメイドとしての節度を守りながら、できるだけ素早く、ヴィルヘルムのところへと向かって行った。




