第387話:「競争」
第387話:「競争」
無事にノルトハーフェン公国へと帰り着いたエドゥアルドは、査問会によって停滞させられていた分を取り返そうとする勢いで職務を開始した。
競争なのだ。
自分がノルトハーフェン公国を改革し、その成果をタウゼント帝国の全体へと波及させ、新しい時代に対応できる存在にするのが早いか。
それとも、時代の進歩に追従できず、滅んでしまうか。
皇帝ではなく、1人の公爵、1つの領邦を治める君主でしかないエドゥアルドにとっては、大きすぎる課題であるかもしれない。
しかし、今のエドゥアルドには、希望があった。
自分の考えを、皇帝が認めてくれた。
たとえ自分自身にその権限がないのだとしても、タウゼント帝国の国家元首がエドゥアルドの意見を採用し、実施してくれるのならば、この国を生まれ変わらせることはずっと容易になる。
頑張れば、手が届く。
そんな思いが、エドゥアルドを張りきらせている。
彼は帰国するとまず、公爵不在の間に溜まっていた書類を決裁し、自分の下で様々な仕事をしている各部署が円滑にその職務を遂行できるようにした。
それから、皇帝、カール11世の名で出された布告を根拠に、ノルトハーフェン公国へ平民を入校させるための手続きを開始した。
エドゥアルド公爵について流されていた謀反の噂は、事実無根である。
皇帝が自ら査問を行った結果、そう認める。
その、エドゥアルドにかけられていた無実の嫌疑を晴らす布告と共に発せられた、平民を士官に採用することを許可するという布告。
その布告は、ほとんどの諸侯にとっては驚きと共に迎えられた。
なぜなら、以前からエドゥアルドが熱心に推進して来た政策ではあったものの、[平民が貴族に命令できるようになる]という貴族社会を揺るがしかねない点を多くの諸侯は憂慮しており、必要性自体には理解を示しつつも実行には反対、という者が多数を占めていたからだ。
それを、タウゼント帝国の皇帝が、貴族制度の頂点に位置するはずの人物が許可してしまった。
エドゥアルドの意見に賛同を示していた少数の諸侯でさえ、そのカール11世の決断には驚きを隠すことができなかった。
エドゥアルドは、そういった諸侯の動揺について関心がなかった。
なぜなら、自分の考えが皇帝に認められ、これからタウゼント帝国が変わっていくという大きな希望しか、彼には見えていなかったからだ。
強い光を目にしてしまうと、それに目が眩んでしまって、他のことは認識できなくなる。
そんな状態になっていることにまるで気づかず、エドゥアルドは自身の仕事に邁進した。
タウゼント帝国には、士官を養成するための士官学校がいくつか存在している。
自前で編成する軍隊の規模がある程度大きい5つの公国にはそれぞれ自前の士官学校があり、他には皇帝に直卒される帝国軍の士官を養成するための士官学校が2校。
他の諸侯はこれらの士官学校のいずれかに貴族出身の将来有望な下士官を入学させて、将校として必要な教育を受けさせるという体制になっている。
中でも大きいのは、タウゼント帝国が直接運営している2つの士官学校だった。
これらには多くの人材が集まり、常時数百名の士官候補生が学んでいる。
他の5つの公国がそれぞれ有している士官学校はさほどの規模はなく、多くても百名程度の士官候補生が学んでいるのに過ぎない。
だが、規模が小さくとも自前で士官学校を運営しているということは、その所有者であるノルトハーフェン公爵は、平民に士官への道を開くという政策を即座に実行できる、ということでもあった。
ノルトハーフェン公国の軍事に大きな役割を果たすようになっている参謀本部の長、アントン・フォン・シュタム参謀総長の手によって、すでに将来有望な下士官たちがリストアップされ、後は実際に士官学校へ入学させるだけ、というところにまで来ていた。
そして大勢の士官を育成し、およそ10年後には、戦時になれば15万もの勢力に拡大するノルトハーフェン公国軍を円滑に運営するための体制を確立するのだ。
平民出身者に士官教育を施す当事者となる士官学校はというと、多少の戸惑いもあるようだった。
なぜなら、そこで教育を行っていた人員の多くは貴族出身の将校経験者であり、彼らの率直な意識としては、多くの諸侯と同様に平民の士官について懐疑的であったからだ。
だが結局は、彼らはエドゥアルドの方針に従った。
この平民を士官に採用するという政策は若き少年公爵が思いつきで始めたことではなく、しっかりとした根拠のある考えに基づいた政策で、しかも現在のタウゼント帝国において最も能力に優れ経験も豊富と考えられている元帝国軍大将、アントンが強く推進していることだからだ。
おまけに、皇帝のお墨つきまでいただいている。
不平不満があろうと、逆らえるはずがなかった。
こうして、ノルトハーフェン公国では真っ先に、平民の士官への採用が開始された。
一気に300名もの士官候補生が入校することとなり、士官学校の機能も大幅に強化される。
生徒が増えれば、それを教える教官たちも大勢、必要となる。
その手配もアントンはすでに整えており、退役した将校経験者から有能な者を招き新しく教官として迎え入れたほか、アルエット共和国への侵攻戦争、サーベト帝国からの防衛戦争と、実戦を経験した現役の将校の中から数名が選ばれ、士官学校に転属となった。
士官学校を卒業し、将校となるためには、通常は数年もかかる。
兵士たちを効果的に運用し、勝利を得られる優秀な士官を養成するためには、相応の年月がかかるのだ。
一般的な期間は3~4年程度だったが、この300名の士官候補生たちは、2年の教育期間で将校としての力量を身につけることが求められていた。
というのは、すでに徴兵制度が動き始めており、通常通りのカリキュラムで士官の教育を行っていては、軍の規模の拡大に追いつかない可能性があるからだ。
短期で育成された将校は、本当に役に立つのか。
そういう懸念は当然持たれたが、アントンは「可能です」と断言していた。
「できる人材だけを選び抜きましたから」
懸念を示したエドゥアルドにそう述べるアントンは落ち着いていて、確信がある様子だったし、その姿を目にした者は誰もそれ以上は不安を口にしなかった。
こうしてエドゥアルドは、影で動き始めた新たな策謀の存在など知らないまま、自分の仕事に取り組んでいった。




