第33話:「囚(とら)われのクラウス」
第33話:「囚われのクラウス」
オストヴィーゼ公爵、クラウスは、ノルトハーフェン公爵の居館であり、ノルトハーフェン公国の政庁でもあるヴァイスシュネーに与えられた1室で、悶々(もんもん)とした時間を過ごしていた。
若き公爵であるエドゥアルドを、権力基盤の弱体な年少公爵と侮り、増長し、油断して、まんまと囚われの身となってしまったからだ。
国家元首が人質にされることは、歴史上、これまでにまったくなかったわけではない。
しかし、それは数例しか数えられないような稀なことであり、囚われた国家元首は悲惨な末路をたどるか、釈放されても引きかえに過酷な条件を飲まされることが常であった。
(ユリウスの……、跡継ぎの負担を軽くしてやろうなどと言っておきながら、このザマか……。
ああ、なんと、情けないことか! )
クラウスは与えられた部屋の窓際に運び込んだイスに腰かけながら、屈辱に歪んだ表情で歯ぎしりしていた。
ヴァイスシュネーにおけるクラウスの待遇は、決して、悪いわけではない。
クラウスに与えられた部屋は高位の貴族にふさわしい豪華で手の込んだ内装を持ち、広々としていて、部屋の中にいくつも部屋があるくらい、充実している。
また、クラウスのためにいつでも使用人が待機しており、クラウスが呼べばすぐにあらわれて、用事を片づけてくれる。
出て来る食事も、質が良かった。
ノルトハーフェン公国の公爵家では、タウゼント帝国の西の隣国、帝国に匹敵する大国のアルエット王国で花開いた宮廷料理を取り入れており、タウゼント帝国風の料理にアレンジされて提供される。
その味わいは奥ゆきがあって、捕虜であることを忘れてしまいそうになるほどに美味だったし、量も十分に出されている。
酒も、各種そろっている。
クラウスの故郷の良質で有名なオストヴィーゼ公国製のビールや、アルエット王国やタウゼント帝国の南部地域で盛んに製造されているワイン、海の向こうに浮かぶ島国、イーンスラ王国産の蒸留酒に、各地の名のある地酒。
酒そのものだけではなく飲み方についても、使用人たちがしっかりと対応してクラウスの要望に応じてくれる。
酒好きにとっては天国と言っても良い環境だ。
歓待されていると言っていい。
クラウスが捕虜に取られたのではなく、物見遊山でここに来ていたのだったなら、毎日さぞや楽しかったことだろう。
しかし、やはりクラウスは捕虜だった。
部屋の外には警備を名目として兵士が常に警戒しているし、クラウスの世話をしてくれる使用人たちもみな、クラウスのことを監視している。
クラウスが外出したいと言っても、当然、却下される。
特に怖いのが、シャルロッテという名前の、若い赤毛のメイドだった。
彼女がどうやらクラウスを世話する使用人たちのリーダーであるようなのだが、メイドとして完璧な立ち居振る舞いを見せるだけではなく、まったく隙を見せず、クラウスのことを見張っている様子なのだ。
たとえば、クラウスが窓から脱出できないかと探りを入れていると、
「どうなされましたか? 」
と、シャルロッテが音もなく背後に立っている。
また、クラウスが仮病を使って医者に連れて行くように頼んだ時も、
「ご心配なさらず。すぐに我が国で随一の名医をお呼びできますので」
などと言って、ノルトハーフェン公国の名医と看護師たちをすぐに連れてきた。
さらに、クラウスが「こんな老人を閉じ込めて、身体がなまってしまうわい! 」と年甲斐もなく駄々をこねてみても、
「私、健康長寿のツボというのを心得ておりますので、身体がなまらないようにもみほぐして差し上げます」
などと涼しい顔で言い、クラウスをベッドの上に寝かしつけるとマッサージなどをしてくれた。
ちなみに、そのマッサージは痛みをともなうが心地よさも同時に感じられるもので、終わった後はまるで20歳くらい若返ったような心地になるほど身体が軽くなっていた。
とにかく、クラウスがあの手この手を尽くしてみても、この部屋から脱出することはできなかったし、シャルロッテがいる限りそれは不可能だと思われた。
そうして、すでに2日が経とうとしている。
クラウスの脳裏をよぎるのは、オストヴィーゼ公国軍の陣中に残された息子、ユリウスのことだった。
(どんな顔をして、息子に会えばよいのやら、のぅ……)
ユリウスはきっと、クラウスを救い出すために必死に考えてくれていることだろう。
しかし、大々的に軍事行動に出るわけにもいかず、クラウスがノルトハーフェン公国の中枢深くに連れ去られてしっかりと囚われている以上、容易には手出しできないことだろう。
ユリウスの負担を減らしてやるなどと言っておきながら、結局、クラウスは息子のことをひどく苦しめることになってしまっていた。
だがクラウスは、屈辱に耐えながら、待つしかない。
クラウスの脱出に対する警戒は強く、つけ入ることができるような隙はなく、なにかしようとしてもすぐシャルロッテがあらわれて阻止されてしまう。
クラウスにとって意外だったのは、弱体な権力基盤しか持たないはずのエドゥアルドが、国内においてはしっかりと人心を掌握しているらしい、ということだった。
たとえば、クラウスは使用人や兵士たちを買収しようとしてみたのだが、誰1人として取り合わず、興味すら示されなかった。
加えて、エドゥアルドの政治を裏から支配しているだろうとクラウスが考えていたエーアリヒが、どうやらエドゥアルドに忠実に仕えているらしいということもわかって来た。
ノルトハーフェン公国の内情は、クラウスの想定とはかなり違っている。
クラウスとしては、行動を起こす前に十分な下準備を行ったと思っていたのだが、エドゥアルドが公爵位についてからの情報には、欠けていた部分が多くあったと認めざるを得なかった。
振り返ってみるとクラウスは、手に入った断片的な情報を元にノルトハーフェン公国の状況を推し量っていたところがあり、結果、自身に都合の良い予断をしてしまったようだった。
(わしは、耄碌したのかのぅ……)
クラウスが無駄な抵抗をやめて大人しくしようと思ったのは、自信をすっかり失ってしまったということも大きかった。
だが、すべてをあきらめたわけではない。
クラウスが窓際に座っているのは、そこの日当たりが良いというだけではなく、窓から外の景色をうかがい知ることができるからだ。
この部屋はクラウスの脱出を阻止するために3階の高さにあり、そこからは外の景色が良く見える。
そして、クラウスの見るところ、この2日間、ヴァイスシュネーでは頻繁に馬車の出入りがあった。
(若造め。いったい、なにを企んでおるのだ? )
馬車の出入りが多いということは、人の出入りが多いということ。
すなわち、エドゥアルドが盛んに人と連絡を取り合って、なにかを企んでいるということだった。
しかし、それがわかったところで、今のクラウスにはどうすることもできない。
クラウスはただひたすら、待つことしかできなかった。