第28話:「拉致」
第28話:「拉致」
オストヴィーゼ公爵、クラウスは、ノルトハーフェン公国軍の突然の夜襲に驚き、混乱する野営地から、ミヒャエルら、オストヴィーゼ公国軍の将兵に変装した者たちによって、連れ去られた。
ユリウスと合流するために進んでいるのだとクラウスが思っていた道は、実際には、ノルトハーフェン公国軍の陣中へと続く道だったのだ。
気づいた時には、もう、どうすることもできなかった。
周囲にオストヴィーゼ公国軍の将兵は1人もおらず、クラウスはただ、まんまと拉致されてしまったことへの屈辱と後悔を噛みしめながら、ミヒャエルたちにうながされるままに進む他はなかった。
たどり着いたノルトハーフェン公国軍の野営地では、エドゥアルドが、数名の護衛と側近を従えて待っていた。
満面の、笑みだ。
「これは、クラウス公爵殿。
またお会いすることができて、嬉しく思います」
「ぬぅ、若造が、白々しいわい! 」
そんなエドゥアルドを睨みつけ、クラウスは吐き捨てるように言う。
「若造、これで、勝ったつもりになるなよ!?
貴様は、皇帝陛下が発せられた、帝国永久平和令に背いたのじゃからな!
我が息子、ユリウスもおる!
必ずや、天誅が下されようぞ! 」
「はてさて、いったい、なんのことでございましょう? 」
しかし、エドゥアルドは余裕そうな笑みを浮かべているだけだった。
「なにを、とぼけたことを!
おぬしらは、我が野営に向かって砲を放ち、兵を進め、攻撃をしかけて来たではないか! 」
「とぼけてなど、おりません。
我らは、そのようなことはしておりませぬ」
エドゥアルドは肩をすくめてみせると、クラウス公に手で周囲を指し示す。
ノルトハーフェン公国軍の野営地では、煌々(こうこう)とかがり火がたかれ、夜でもその様子を容易に確かめることができた。
そしてその野営地の光景を目にして、クラウスは「んなっ!? 」っと、驚愕にその双眸を見開いた。
そこには、ノルトハーフェン公国軍の将兵たちが、リラックスした様子で休んでいる姿があったからだ。
警備のためにぴっちりと制服を着こんで武装し、歩哨に立っている兵士の姿もあったが、それ以外の兵士は軽装になってテントの中で眠ったり、焚火を囲んで休んだりしている。
あちこちに叉銃(小銃の銃口を上にして重ね合わせ、傘の骨のような形にして立てておくこと)が作られていて、とても、現在進行形で夜襲をしかけている軍隊には見えない。
「そんな、バカなことがあるか!
ならば、あの、砲声は!?
ラッパや、ドラムの音は!? 」
「それは、急に大砲の音を聞きたくなったので空砲を撃たせ、ラッパやドラムがきちんと音を出せるか急に確かめたくなったので、確かめただけのことです」
エドゥアルドは涼しい顔でクラウスに教えた。
その[真相]を知って、クラウスはガックリとうなだれる。
杖がなければ立っていることさえできないほど、強いショックを受けている様子だった。
「つまり……、全部、わしを野営地から連れ去るための、芝居であったわけか……。
砲声は空砲で、ラッパもドラムも、楽隊を並べて演奏させただけ。
それに、わしらは、まんまと……」
その、今にも泣きだしてしまいそうな言葉は、あわれですらある。
クラウスはエドゥアルドのことを、[反逆者を断罪することさえできない、権力基盤の脆弱な年少の公爵]と、侮っていたのだ。
だからこそ今、しかければ、自国に一方的に有利な条件で領土問題を解決できるとふんで、軍隊を動かし、係争地を占拠するという強引な手段に出てきたのだ。
それなのに、クラウスはまんまと、エドゥアルドに出し抜かれてしまった。
エドゥアルドは少しクラウスのことがかわいそうになってきて、丁重な態度をとって、今度は近くに止めてあった馬車の方を指し示した。
「クラウス公。積もる話もございますので、ひとまず、我が館へ、ヴァイスシュネーへとお越しください」
「……ああ。
どうせわしは、まんまと貴殿に出し抜かれた、間抜けじゃからな。
大人しく従うわい」
オストヴィーゼ公爵・クラウス公は、がっくりとうなだれたまま、今にも消えそうな声でうなずく。
そしてクラウスは、弱々しい足取りで馬車へと乗り込んでいった。
「さて、殿下。
これからが、本番でございますよ」
エドゥアルドの御者、ゲオルクの操縦で、クラウスを乗せ護衛の騎兵と共に走り去っていく馬車を見送っていたエドゥアルドに、ヴィルヘルムがいつもの柔和な笑みを浮かべたまま、耳元でささやくように言った。
「ああ。わかっている」
その言葉に、エドゥアルドも真剣な顔でうなずく。
クラウスを捕えたことでひとまず、エドゥアルドの側が優位に立ったというのは、間違いのないことだろう。
エドゥアルドは自分のことを甘く見ていたクラウスのことを見返すことができ、それだけではなく、彼の生殺与奪を握って、どんな要求でも通せる立場を得た。
だが、だからと言って、[なんでもできる]というわけでもない。
ノルトハーフェン公国とオストヴィーゼ公国はどちらもタウゼント帝国の皇帝を出す可能性を持つ被選帝侯で、同格の家柄で、基本的には対等な関係にある[友好国]だった。
今だけではなく、先のことまで考えて、接していかなければならない相手なのだ。
この両国の間に存在する対立に、どう決着をつけるのか。
エドゥアルドの公爵としての力量が問われる事柄だった。
「さて、では、ここのことはペーター中佐にお任せして、私たちはヴァイスシュネーへと戻りましょう。
ルーシェ殿の朝のコーヒーでもいただきながら、じっくり、どういたしますかお話ししましょう」
「ああ、そうしよう」
そのヴィルヘルムの言葉にうなずくと、エドゥアルドは馬にまたがり、数名の護衛の兵士とヴィルヘルムだけを従えて、自身の居館であるヴァイスシュネーへと向かった。