第204話:「困りごと:2」
第204話:「困りごと:2」
メイドに、悩みごとを聞いてもらう。
それはきっと、エーアリヒにとっては、たわむれのようなものだったのだろう。
もしくは、なにも解決しないまでも、話を聞いてもらうだけでも少しは気分が楽になるかもしれない。
そんなふうに考えたのかもしれなかった。
それからエーアリヒがルーシェに明かした困りごとは、やはり、エドゥアルドにも関係することだった。
アルエット共和国での戦役で、アレクサンデル・ムナール将軍に率いられた共和国軍と直接戦うこととなり、その軍隊の精強さを思い知らされることとなった。
しょせんは、徴兵制によって作られた軍隊。
帝国諸侯がそう言って侮っていた共和国軍に、帝国軍は大敗してしまったのだ。
その結果を踏まえて、エドゥアルドも、ノルトハーフェン公国で徴兵制を実施しようと準備を進めている。
徴兵制によって作られた軍隊は、現在の傭兵主体の帝国軍と比較すると、兵の練度においてやはり劣る部分があるのだが、それでも、共和国軍の兵士たちは帝国を打ち破るほどの力を発揮したからだ。
好き、嫌いといった問題ではない。
自身より優れたものが存在するのならば、それを、自身に見合った形で取り込んでいかなければ、最悪の場合、国家の滅亡につながる恐れさえある。
エーアリヒの悩みごとは、この、徴兵制についてであった。
ノルトハーフェン公国では、この徴兵制の実施のために改めて国勢調査を実施し、国民の正確な人数や所在、経済状況などを把握し、アントン率いる参謀本部に主導させて、どのような形、どれほどの規模での徴兵を実施するかについて、検討している最中だった。
しかし、この徴兵制の実施について、ノルトハーフェン公国の国民たちの反応は、決して好意的ではなかった。
現在公国の統治を進めているエドゥアルドはすでに名君であるという評価を獲得し、人々はみなエドゥアルドの治世を喜んでいたが、この徴兵制の導入と、それとはまた、別の話であるらしい。
エーアリヒは、この、徴兵制という制度に対する人々の反発に、心を悩ませているようだった。
エドゥアルドが徴兵制によって作りたいのは、[あの共和国軍のような]ノルトハーフェン公国軍だった。
多少、傭兵主体の軍隊に比べれば練度で劣る面はあるかもしれないが、その戦意は旺盛なものであり、用兵さえ誤らなければ、王政国家の伝統的な傭兵主体の軍隊を圧倒することもできる力を持っている。
なにより画期的なのは、その動員力の大きさだった。
徴兵によって国家は兵役に適した人口がいる限り、必要だと思うだけの規模の軍隊を保有することが可能となるし、なにより、兵役を経験した元兵士たちは、[予備役]として、有事の際は短期間で戦力とすることができる。
たとえば、平時から5万人程度の兵員を擁する常備軍を編成するとして、その内の1万人だけでも兵役期間を1年として徴兵によってまかない、そして、兵役完了後、戦時に兵士として軍務に復帰する義務を負わなければならない期間を、10年間とした場合。
将来的にノルトハーフェン公国は5万の常備軍と、10万の予備役を抱えることとなり、戦時には平時の3倍の規模の、15万もの軍隊を編成することができてしまう。
これに対して、傭兵主体の王政国家の軍隊は、戦時になっても急速な動員は難しい。
徴兵制の国家のように軍隊経験を持った者の数が少なく、即戦力となる者はほとんどいないからだ。
これはつまり、平時には同じ5万の常備軍同士の国家であっても、戦時に突入した場合、15万の軍隊と、5万に若干の追加を加えただけの軍隊での戦争になるということだった。
多少、徴兵制の軍隊の練度が劣っていようと、これだけの兵力差があれば、勝敗は明らかなものだ。
用兵において決定的なミスをしない限り、15万の軍隊を編成できる方が勝利するだろう。
もちろんこれは仮定であって、現実には兵站の問題があり、加えて、多数の予備役を本当に短期間で再招集して戦力化することができるのか、という問題もある。
しかしながら、アルエット共和国軍という存在は、今までの傭兵主体の常備軍という制度を改めなければ、将来的に国家存亡の危機を招きかねないという危惧を抱かせるのに十分なものだった。
ルーシェにも、エドゥアルドたちが抱いている危機感、徴兵制を導入する意義と、そうしなければならない理由は理解できている。
実際に前線に立つことはなかったが、ルーシェだって、アルエット共和国との戦争に従軍しているし、もっとも身近なところでエドゥアルドと接してきて、その考えを知っているからだ。
しかし、ルーシェとしては、ノルトハーフェンの民衆が、徴兵制について悪く思っているのも、よくわかってしまうのだ。
兵士だって立派な仕事だったし、必要なものだとルーシェもそう思っているが、しかし、徴兵によって無理やり、戦争に行くことを望まない民衆を兵士にしてしまうのは、違うのではないかと思うのだ。
人に向かって引き金を引く、というのは、存外難しいものだ。
人々がみな、積極的に相手のことを傷つけたいとか、そんなふうに思っているわけではないし、そうすることは普通、罪深いことだ、許されないことだと思っているからだ。
ましてや、相手もこちらに向かって銃口を向けてきているという恐怖も合わされば、落ち着いて狙いをつけられないし、緊張のあまり銃の操作を誤る者だって出てくる。
誰もが兵士になれる素質を持っているわけではないのだ。
軍隊は普通、それを訓練によって克服している。
何度も何度も所定の動作をくり返し、習熟することによって、緊張していようといまいと無意識に兵士として必要な動作をすることができるようになるし、敵とはいえ、生身の人間に向かって弾丸を放つということへの躊躇いも小さくすることができる。
しかし、そうなることを望まない人々でさえ、兵士にしてしまうのは、残酷なことなのではないかとルーシェは思うのだ。
それはもちろん、エドゥアルドや、ルーシェによくしてくれる人々を守るために他に取れる手段がないのなら、ルーシェだって銃の引き金を引くことができるが、だからといって、積極的にそうしたいなどとは、ルーシェは思わない。
ノルトハーフェンの人々も、きっと同じだろう。
そして、徴兵制という制度に対する反発は、こういった心情面での話だけではなく、もっと現実的なものもあった。




