第203話:「困りごと:1」
第203話:「困りごと:1」
二次会はなごやかな雰囲気で続いていて、みんな、料理や飲み物、おしゃべりを楽しんでいた。
しかしその中で、たった1人だけでエーアリヒ準伯爵は酒を飲んでいた。
飲んでいる、といっても、そのペースは遅い。
酒の味が気に入らないというわけではなく、なにか他に、もっと気になることがあって、楽しめていないというような様子だった。
そういえば、と、ルーシェは思い出す。
エーアリヒは酒宴の最中も作り笑いばかりで、本心から楽しめているような様子ではなかった。
エーアリヒは、かつてのエドゥアルドの敵ではあったが、今となっては、エドゥアルドの最大の協力者になっていた。
彼は摂政として国政を担って来たノウハウをエドゥアルドに提供し、エドゥアルドが行いたいという改革を、行政官として現実の形にするために多くの働きを示していた。
元々、エーアリヒが行おうと考えていた政治と、エドゥアルドが行いたいと考えていた政治には、近い部分があった。
だから対立関係が解消され、協力関係となると、2人は円滑に意思疎通しながら現在に至るまで公国を統治し、多くの実績をあげてきた。
まさに、順風満帆、エドゥアルドとエーアリヒの組み合わせは、ノルトハーフェン公国を着実に発展させつつある。
だから、エーアリヒがこんなふうに困ったように悩んでいる姿を、ルーシェは今まで見たことがなかった。
そのすぐれた行政手腕でエドゥアルドの治世を助けるエーアリヒは、その仕事に充足感を覚えている様子であり、ルーシェが見る限り、いつもエーアリヒは誇らしげだった。
しかし、今のエーアリヒは、なにかに深刻に悩んでいる。
(いったい、どうされたのでしょうか……? )
ルーシェの本心としては、エーアリヒにペンダントのことをたずねてみたいという気持ちが大きくある。
しかし今はなによりも、これまでに見たことがないほど悩んでいる様子のエーアリヒのことが、心配だった。
それは、ルーシェにとってエーアリヒが気になっている存在だからというだけではない。
エドゥアルドの協力者であるエーアリヒが困っていうことは、将来、エドゥアルドにとっての困りごとにつながるかもしれないからだ。
そう思ったルーシェは、「ちょっと、失礼します」とシャルロッテとアンネに断りを入れ、席を立っていた。
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「あの……、エーアリヒ準伯爵さま?
私が、お酒をおつぎいたしましょうか? 」
それからルーシェは、栓を抜いたばかりの新しいワインのボトルを手にして、エーアリヒにそう話しかけていた。
「ああ、えっと……、君は、ルーシェさん、だったね?
どうか、気にしないで欲しい。
今日は無礼講なんだ。
君も、仕事のことは忘れて、気楽に楽しみなさい」
突然話しかけてきたルーシェにエーアリヒは一瞬驚き、それから、優しい笑みを浮かべてそう言って、ルーシェがワインをつごうとするのを断った。
今日は、無礼講。
もちろん、ルーシェもそのことはわかっているし、今はこうやってメイドとして給仕するようなことをするのが適切ではないということもわかっている。
ワインは、あくまでルーシェがエーアリヒに話しかけるためのきっかけに過ぎない。
普段あまり個人的な会話などしたことがない相手だから、そんなきっかけでもなければ話しかけづらかったからだ。
ルーシェを前に、エーアリヒはいつも、どこか他人行儀な様子でいる。
それは、できるだけルーシェとは関わらないようにしたいというような態度で、ルーシェは思わずひるんでしまったが、ここで引き下がるわけにはいかないと思い直して踏み込んでいく。
「エーアリヒさま。
もしかして、なにか、お困りごとがあるのではないですか? 」
「えっ?
……どうして、そう思うんだい? 」
そのルーシェの問いかけにエーアリヒは少し驚いた後、すぐにとりつくろうような笑顔を浮かべてごまかした。
エーアリヒは、恐ろしい謀略を目論んだこともある人物だ。
その時の様子を考えれば、こんなにわかりやすい反応を見せるとは思えない。
(よほど、お困りなのですね……。
それとも、話しかけているのが、私だから?)
ルーシェはそのエーアリヒの様子に、困りごとがよほど深刻なのだろうと思い、同時に、少しだけ期待するような気持を抱いていた。
しかし、今はとにかく、エドゥアルドの問題につながりかねない、エーアリヒの困りごとについての確認が先決だった。
「その、エーアリヒさまのご様子が、私にはそう思えたもので。
それで、もし、私みたいなメイドに話せるようなことでしたら、話していただけませんか?
エーアリヒさまのお困りごとですから、もしかすると、エドゥアルドさまの困りごとにつながるかもしれませんし、私みたいなメイドになにができるかもわかりませんが、ぜひ、お力になりたいんです」
そう申し出て来るルーシェに、エーアリヒは反応に困っているような、そして言うべきかどうか迷っているような顔をする。
やはり、よほど、それこそルーシェのようなメイドにも話を聞いてもらいたいと思うほどに悩んでいるのか。
それとも、ルーシェを避けるような態度を見せながらも、本心ではもっとルーシェと話してみたいと、そう思っているのか。
「せっかく、エドゥアルドさまが無礼講だと、おっしゃってくださっているわけですし。
お話だけでも、おうかがいできませんか? 」
揺れている様子のエーアリヒに、ルーシェはさらに畳みかける。
すると、エーアリヒは小さくため息を吐くと、ルーシェに向かって微笑んで見せた。
「ありがとう、ルーシェさん。
せっかくだから、少し、話を聞いてもらおうかな」




