第202話:「二次会:3」
第202話:「二次会:3」
二次会は和やかな雰囲気で続いていた。
国家機密が平然と飛び交うような席で、ルーシェは少し緊張してしまったものの、思い直して料理を口に運ぶと、その美味しさですぐに楽しい気分になって来る。
飲み物も、お酒を飲めないルーシェたちのために、搾りたての果実のジュースや紅茶やコーヒーなどが用意されており、より取り見取りだった。
ルーシェは料理を口に運びながら、これらの料理を作ったマーリアのことを、あらためて、すごいなぁと、尊敬するようなまなざしで見つめていた。
シャルロッテにいろいろと厳しく仕込まれて来たルーシェだったが、実は、まだ十分にはできないことがある。
それは、料理だ。
完全無欠の超人メイドのようにも思えるシャルロッテだったが、彼女はなぜか料理だけはうまく作ることができず、ルーシェは料理についてはまだ十分に学ぶことができていない。
ルーシェが知っている料理についての知識は、大抵、マーリアから学んだものだ。
最初は食材の下ごしらえから教えてもらい、次に、兵士たちに振る舞うために作り始めた素朴なスープ料理であるアイントプフの作り方を覚えた。
それから、簡単な料理もいくつか教えてもらっているから、一般家庭の台所を預かる程度のことであれば、ルーシェはすでに問題なく行うことができる。
しかし、公爵家のメイドとして厨房をあずかれるかというと、まず、無理だ。
アルエット共和国の宮廷風の料理を若いころに覚えたというマーリアの腕前は素晴らしく、また、料理は勉強しようと思うと奥が深い。
そんなマーリアは、今、夫である御者のゲオルクと、ゆったりと過ごしている。
2人ともお酒をたしなみながら、穏やかに会話し、2人だけの会話を楽しんでいる。
いいなぁ、と、ルーシェは思う。
もちろん、女子会も楽しかったが、なんというか、マーリアとゲオルクの姿には夫婦の間にしか存在しえない絆がある、そんなふうに思わせてくれるものがあり、それはルーシェにはとても暖かくて素敵なものに思えるのだ。
自分の母親がもし病気で死なずに元気で、そして、顔も知らない父親も一緒にいてくれたら、もしかしたら、あんな風だったのかなと、絶対に実現することのない光景を思い浮かべると、切ない気持ちになる。
自然と、ルーシェの手は、いつも自身の首から下げているペンダントへと向かっていた。
ルーシェに残された、たった1つの形見。
スラム街で暮らしていた少女にはまるで似つかわしくない豪華で精緻な作りのペンダントだが、そこには、いつ、誰から誰に送られたものなのか、わかるようなことは一切、残されてはいない。
そういう、身元がわかるようなものはすべて、ルーシェの母親が生前に削り取ってしまったからだ。
わかるのは、それが今はルーシェのものだということだけ。
ルーシェの母親が限られた道具でどうにか彫り込んだ、ルーシェという名前だけが、母親からルーシェへと向けられていた愛情の証として残されている。
そのペンダントを握っていると、どういうわけか、ルーシェはいつも、暖かいと感じる。
それはもちろん、自分自身の体温などではない暖かさだ。
そしてその暖かさを感じながら、ルーシェは、この母親の形見のペンダントと、そっくりなものを自身に委ねてくれた、エーアリヒ準伯爵のことを考えていた。
エーアリヒは、エドゥアルドの敵だった。
摂政としてエドゥアルドに代わって国政を預かりながら、公爵位を簒奪しようとするフェヒターを支援し、実質的に陰謀の首謀者として暗躍し、エドゥアルドの命を奪おうとさえした。
しかし、そのエーアリヒは、ある時期をきっかけに急速に陰謀を遂行しようという意欲を失って行った。
ルーシェが、母親の形見のペンダントを持っている。
エーアリヒ準伯爵に起きた変化は、その事実をエーアリヒが知ってから起きたことのように思える。
あの、夜。
1年前の狩りはじめの儀式の夜から、エーアリヒは大きく変わった。
エドゥアルドの命を狙っていたという事実を、ルーシェは今でも忘れていない。
しかし、今となっては、それとは違う別の感情の方が大きくなっている。
考えてみると、なかなか、奇妙なことが起こっている。
かつてエドゥアルドと敵対していたエーアリヒやフェヒターは、今ではエドゥアルドの臣下となって働いているし、国境を巡って対立した隣国の君主であったクラウスとエドゥアルドは今やすっかり打ち解けた盟友であり、エドゥアルドはクラウスの息子のユリウスとは、義兄弟にさえなってしまっている。
特に、フェヒターが今、こうして同じ場所にいることには、戸惑わずにはいられない。
エドゥアルドとフェヒターは激しく憎み合っていたし、フェヒターは私兵を用いて直接、エドゥアルドを攻撃しさえしたのだ。
そしてフェヒターは、エドゥアルドを困らせるために、ルーシェを人質にするという卑劣な手段まで取っている。
あの時、フェヒターが向けてきたナイフの怖さを、ルーシェは今でも思い出すことができるほどなのだ。
しかし、今は許せるような気持だった。
というのは、フェヒターはルーシェに向かって、「あの時はすまなかった」と、直接頭を下げて謝罪してくれたからだ。
それは元々、フェヒターの過去の所業を知ったアンネが、強く迫って実現したものであるらしい。
エドゥアルドの慈悲と、アンネの尽力によって幽閉から解放されたフェヒターはアンネに頭のあがらないところがあり、準男爵という貴族でありながら、なんの地位も名誉もないルーシェに頭を下げてくれた。
ただそれは、嫌々ながらに行ったことではなかった。
ルーシェに向かって頭を下げているフェヒターの様子は真摯なものに思え、だからこそルーシェは、彼のことを許そうと思うことができたのだ。
そして、簒奪の陰謀の首謀者であったエーアリヒのことも、ルーシェはもう、許している。
エーアリヒは、詳しいことはなにも告げずに、ルーシェに、ルーシェが持っている母親の形見のペンダントと、元はまったく同じものであったのに違いないペンダントを委ねてくれた。
そしてその事実は、ルーシェに、ある予感を抱かせた。
顔も見たことのない、ルーシェの父親。
その正体が、もしかしたら近くにいるかもしれないと、ルーシェはそう思わずにはいられなかった。
だが、それを聞くことは、ルーシェにはできなかった。
もし本当に自分の予感が正しいのであれば、エーアリヒは自分にペンダントを渡した時にそのことを口にすることもできたはずだ。
しかし、それを言わなかったのは、きっと、なにか大きな理由がある。
そしてルーシェは、その大きな理由に踏み込んでいく勇気をまだ、もてずにいた。
そのために、エーアリヒから委ねられたペンダントはずっと、ルーシェの部屋の、ちゃんと鍵のかかる大切なものを入れておくための引き出しの中に入れっぱなしになっている。
なんだか切ないような、苦しいような気持になってしまったルーシェは、ふと、エーアリヒ準伯爵の方を見て、気づいた。
どういうわけか、エーアリヒは困ったような顔で、深刻に悩んでいるような様子だったからだ。




