第198話:「狩りはじめ:1」
第198話:「狩りはじめ:1」
ノルトハーフェン公国では、毎年冬の初めに、[狩りはじめ]と呼ばれる儀式を執り行う。
それは、冬の狩猟シーズンの到来を告げる儀式であるのと同時に、ノルトハーフェン公爵が執り行う伝統の国事として、重要なものだった。
その狩りはじめの儀式をエドゥアルドが執り行うのは、今年で2回目となる。
1回目はまだエドゥアルドが[すずめ公爵]などと呼ばれていた時代、実権なき公爵であった時に行われたもので、その儀式は、エドゥアルドから公爵位を簒奪しようとする陰謀の舞台ともなった。
エドゥアルドが使おうとしていた銃には暴発するような細工が施され、陰謀を企む人々は、事故に見せかけてエドゥアルドを排除しようとしたのだ。
しかし、その陰謀は失敗し、エドゥアルドは公爵として、公国をその掌中に取り戻した。
そして今年は、ノルトハーフェン公国の公爵、正式な国家元首として、この儀式にのぞむこととなった。
エドゥアルドにとって人生2回目となるその儀式は、なにごともなく進んでいった。
エドゥアルドは代々公爵家の狩場として守られ、狩りはじめの儀式が終われば猟師たちに解放されることとなっている広大な森で狩りを行い、そこで4頭もの鹿を見事、しとめることに成功した。
その際になにか事件が起きるということもなく、エドゥアルドたちは獲物を手に、元々は公爵家の別荘として建てられ、実権のない時代のエドゥアルドが幽閉同然に暮らしていた、今となっては思い出深い屋敷でもあるシュペルリング・ヴィラへと帰還し、そこで盛大な酒宴を開いた。
この酒宴には猟師たちだけではなく、ノルトハーフェン公国の各地から集まって来た貴族たちや、有力者たちも数多く参加している。
これは、この狩りはじめの儀式が、伝統的に公爵の権威を示すものとして扱われて来たからだ。
公爵が得た獲物を客たちに豪華な食事として振る舞い、また、獲物の肉を取り分けて人々に下賜する。
ただそれだけのことではあるが、見方を変えてみるとそれは公爵であるエドゥアルドが人々に利益を分配するという行為であり、狩りはじめは統治者の力と権威を示すものという意味合いを持っている。
人々が集まってくるというのは、エドゥアルドがまだ公爵としての実権を手にしていなかった前回と変わりがない。
しかし、公爵としての実権を手にし、エドゥアルドによる統治が人々に強く支持されている今年の狩りはじめの儀式には、昨年よりもずっと多い人々が集まっていた。
ノルトハーフェンの国内の貴族や有力者たちだけではない。
公国の国外からも、エドゥアルドの治世を祝うために来客が来ているのだ。
その中でも特に大物なのが、ノルトハーフェン公国の東の隣国であり、公国とは盟友の関係にあるオストヴィーゼ公国の前公爵、クラウスだ。
公爵としての地位も実権も、クラウスは彼の息子であるユリウスにすべて譲り渡し、今は隠居の身だったが、彼はそうして手にした[自由]を活用して、今では諸外国との外交活動を精力的に行っている。
今回、狩りはじめの儀式にかこつけて訪問してきたのも、前公爵であるクラウスもやってくるほどなのだと、エドゥアルドにハクをつけてちょっとした貸しにしようという、したたかな魂胆からだった。
また、同じくノルトハーフェン公国に隣接する帝国諸侯の1人である、クルト・フォン・フライハイト男爵も訪問してきている。
クルト男爵は帝国の下級貴族に過ぎなかったが、外国に留学して鉄道技術などの産業面での知見を得ており、エドゥアルドが公国をさらに発展させるために進めようとしている鉄道の建設事業で深いかかわりを持っているために、招かれたのだ。
それ以外にも、公国に隣接する諸侯たちの多くが、この狩りはじめの儀式に参加していた。
その多くは互いの領地が隣接しているということで経済的な結びつきが強いという理由があって訪問してきているのだが、アルエット共和国への侵攻戦争の際にエドゥアルドと関係を持った諸侯の姿もある。
アルエット共和国内に侵攻し、帝国が補給物資の不足に陥っていた際に、エドゥアルドとノルトハーフェン公国軍が自身の身を削りながら物資を融通したことに感謝して集まって来た者も数多くやってきているのだ。
そして、こういった国外からの来賓が数多くいるということは、エドゥアルドの政治的な権威を高め、その立場をより強固なものとしていた。
国内の貴族や有力者たちが集まって来た儀式の場で、エドゥアルドは自身の影響力が国外にも及んでいるのだということを、はっきりと示すことができたからだ。
エドゥアルドの治世の始まりをすでに公国の人々は高く評価し、エドゥアルドの治世を支持していたが、今回の儀式の盛況ぶりは、人々のエドゥアルドに対する支持をより強固なものに、そして人々が抱く期待をより大きなものにしたようだった。
エドゥアルドの治世により、ノルトハーフェン公国は以前よりも栄え、その力を周辺の諸侯にも認められつつある。
それが目に見える形となって表れていた。
ただ、その酒宴の席には、事情を知っている者たちには意外な顔も参加していた。
ヨーゼフ・ツー・フェヒター準男爵。
エドゥアルドと同じく公爵家の血筋に連なるフェヒターは、しかし、ついしばらく前までは、簒奪の陰謀を目論んだ大罪人として、幽閉されていた。
そんな彼がこうして公の場に、しかも、エドゥアルドから公爵家に連なる者として丁重にあつかわれるようになるなど、誰1人として想像すらしたことがなかった。
フェヒターは、私兵をもってエドゥアルドを襲撃し、直接危害を加えようとしたのだ。
しかし、それだけの罪を持っているにもかかわらず、現在のフェヒターはエドゥアルドによって厚遇され、公爵家の血筋を引く者として、エドゥアルドと同じテーブルについて酒宴の食事を楽しんでいる。
フェヒターがエドゥアルドに許され、解放されただけではなく、以前と同じ準男爵の地位を回復し、領地を与えられてノルトハーフェン公国の社会に復帰した。
その事実を人々はすでに聞いてはいたのだが、実際にこの狩りはじめの儀式でその様子を目にするまで、半信半疑であった者たちも多かった。
フェヒターが犯した罪の大きさを考えれば、これほど寛大な処置がとられることなど、通常考えられないし、フェヒターがエドゥアルドに誠心誠意仕えるとは思えない。
その、多くの人々から向けられる戸惑いと疑念の視線に、フェヒターも気づいていたようだった。
そしてフェヒターは、酒宴もたけなわとなりつつあるころに、人々の前で演出して見せた。
「エドゥアルド公爵の素晴らしき治世に、乾杯だ!
願わくは、我が公爵の治世が末永く、幸福に続かんことを! 」
唐突に立ち上がって、注目してくる人々の前でそう宣言したフェヒターは、人々の前でそう叫ぶようにしてエドゥアルドの治世を称えると、ゴブレットにそそがれたワインを一息で飲み干して見せた。
そしてその動きに人々は慌てて追従し、口々にエドゥアルドの治世をたたえて乾杯していった。
なぜ、フェヒターを許したのか。
フェヒターはエドゥアルドのために誠心誠意働くのか。
1歩間違えばエドゥアルドに対する疑念や不信をも招きかねないその人々の戸惑いを、フェヒターは自らがすでにエドゥアルドの立場を完全に認めているのだということを示すことで、一気に払しょくしたのだった。
そしてそれは同時に、エドゥアルドに対する人々の信頼を、より一層強めるためのものでもあった。
フェヒターに続いて多くの人々が乾杯をしたことで、エドゥアルドがどれほど人々から支持されているか、信頼されているかということが、あらためて示される形となったのだ。
こうして、エドゥアルドの2回目の狩りはじめの儀式は、盛況のうちに進んでいった。




