第191話:「わかった」
第191話:「わかった」
フェヒターが、エドゥアルドに頭を下げて、懇願している。
かつてエドゥアルドから公爵位を簒奪しようという野望を抱き、実際にエドゥアルドに危害を加えようとした、あのフェヒターが。
その様子は、エドゥアルドの溜飲を収めるものであるのと同時に、エドゥアルドに、(フェヒターのことを、見誤っていたかもしれない)と、そう思わせるものだった。
エドゥアルドは、フェヒターのことが心の底から嫌いだった。
それは、エドゥアルドから公爵位を簒奪するという野心を抱き、実際に危害を加えようとしてきたからではない。
フェヒターの、その傲慢で、自分を大きく見せるためだけに豪華に着飾り、派手に振る舞って見せるその性格が、根本的にエドゥアルドとは相いれなかった。
しかし、目の前のフェヒターは、どんな見方をしても、改心したとしか思えなかった。
いや、改心した、というよりは、これが本来のフェヒターであったのだと、そう考える方がいいのかもしれない。
エドゥアルドが知っているフェヒターの姿は、「自分は正当な権利を奪われたのだ」という[被害意識]から、エドゥアルドに対する敵愾心を抱き、(自分の正当な地位を取り戻すのだ)という意識から生まれたものだったからだ。
エドゥアルドから公爵位を簒奪するだけでは、足りない。
エドゥアルドに、フェヒターこそが真の公爵であるのだと、そう認めさせる。
そのことに執念を燃やしたフェヒターは、自分がエドゥアルドよりも偉いのだと見せつけるために、下品に見えるほど派手に着飾り、傲岸不遜な態度をこれ見よがしに見せていたのだ。
そのフェヒターの邪念を取り払ってしまえば、彼は、エドゥアルドが想像したこともないほど、まっすぐな人間だった。
このままでは終わりたくない。
それはフェヒターの功名心のあらわれでもあったが、それはあくまで自分の能力を証明したい、エドゥアルドにただ敗北しただけの存在ではないと示すためだ。
そしてそれは、エドゥアルドにも理解できる心情だった。
エドゥアルドもフェヒターもまだ若かったが、人間、誰もがいつかは死という終焉を迎えることとなる。
それは、年老いて天寿をまっとうしてのことかもしれなかったが、従軍して、まだ若い者たちが命を落としていくのをまざまざとその目にしてきたエドゥアルドには、明日のことかもしれないと思える。
その、いつか迎えなければならない終わりを迎えるのに当たって、そのことに対して、納得することができるのかどうか。
自分は、自分の命を[生きた]と、胸を張って言うことができるのかどうか。
それは、まだ10代の半ばながらも、父親を唐突に戦争で失って、人の生死の呆気なさを理解したエドゥアルドにとって、常に心のどこかにある感情だった。
フェヒターも、エドゥアルドと同じ感情をいだいている。
そして、仇敵であったエドゥアルドに、悔し涙をこぼしながら頭を下げ、懇願している。
アンネが示した殊勝な忠誠心に、褒美をやろう。
フェヒターを解放してやろうというのは、そんなエドゥアルドの思いつきと言ってもいいような考えがきっかけだったが、エドゥアルドは絶対に会いたくないと思っていたフェヒターとこうして再会したことを、本当に良かったと、そう思っていた。
フェヒターのことを、見直した。
率直に、そう思うのだ。
エドゥアルドはこれまで、フェヒターは自分の野望のために公爵位を狙っていたのだと思っていた。
しかし、そこにはフェヒターなりの理由もあったし、なにより、フェヒターは自分で権力を自由にしたいからではなく、「エドゥアルドに任せていては、国が危ない」という危機感を持っていたから、公爵位を簒奪しようとしていたのだ。
それで、フェヒターが起こした騒乱のすべてが許せるわけではない。
フェヒターが起こした騒乱のせいで、多くの者が傷つき、中には命を失った者さえいる。
そしてエドゥアルドは、フェヒターがエドゥアルドを苦しめるために、あの無邪気でいつも元気に笑っているメイドを、人質にしたことも忘れてはいない。
だが、そんなフェヒターであろとも。
もう1度、チャンスを与えてやってもいいのではないかと、エドゥアルドはそう思わされていた。
念のため、ちらりとシャルロッテとヴィルヘルムの方を確認してみる。
すると、シャルロッテはやや憮然とした表情で、ヴィルヘルムに至ってはいつもと変わらない柔和な笑みを浮かべたままだった。
だが、2人ともエドゥアルドの視線に気づきつつも、首を左右に振って「ダメだ」と、フェヒターを自由にしてやろうというエドゥアルドの考えを否定しなかった。
エドゥアルドが視線を戻しても、まだ、フェヒターはエドゥアルドに向かって頭を下げ続けていた。
言うべきことは、すべて言った。
後は、エドゥアルドがどんな判断を下すかだけだった。
フェヒターはじっと、エドゥアルドからの返答を待ち続けている。
そのフェヒターの姿を見ても、エドゥアルドはもう、不愉快には思わなかった。
かつてあれほど憎いと思っていた相手も、自分と同じようにこの国の人々を安寧に導いて行こうと、貴族として生まれた者が生まれながらに持っている責任を果たそうと、彼なりに真剣に考えていたのだとわかれば、エドゥアルドにはもう、フェヒターのことを単純に「敵だ」と断じることはできなかった。
エドゥアルドは、自分のフェヒターに対する心情が変化したことを自覚すると、座っていたソファから立ち上がっていた。
そしてフェヒターのそばに近寄ると、片膝をついて、そっと、頭を下げたままのフェヒターの肩に手をそえていた。
「わかった」
エドゥアルドのその態度と言葉に、フェヒターははっとした表情で顔をあげ、間近にあるエドゥアルドの顔を見つめていた。
そんなフェヒターから目をそらさず、エドゥアルドは柔らかく微笑んで見せる。
「お前を、自由の身にしよう。
そして、僕の臣下として、公爵家に連なる者として、この国の人々のために働いてくれ」
そのエドゥアルドからの言葉に、フェヒターの双眸からまた、一筋の涙がこぼれ落ちた。
フェヒターは慌ててエドゥアルドから顔をそむけると、顔をごしごしとそででこすってから、少し上ずった声で言う。
「ああ、任せておけ! 」




