第190話:「このままでは終わりたくない」
第190話:「このままでは終わりたくない」
自分は、外国の勢力と結託してこの国を危機に陥れるような、唾棄すべき裏切り者ではない。
そのフェヒターの言葉は、彼の本心からのものであるように思われた。
その言葉の強さ、真っ直ぐさ。
険しく、怒りに満ちた表情。
そんな言葉をフェヒターの口から聞くとは思ってもみなかったエドゥアルドは、驚きのあまり呆気に取られて、口が半開きになっていたほどだった。
そのエドゥアルドの目の前で、フェヒターは視線をコンラートに向け、空になった自身のカップにコーヒーをつぎ足すように視線だけで命じた。
すると、エドゥアルドと同じく呆気に取られていたコンラートは、慌てたようなせかせかとした所作で、急いでフェヒターにコーヒーのお代わりを用意してやった。
そしてつがれたコーヒーを一口飲み干したフェヒターは、それで一息つき、ようやく完全に落ち着きを取り戻した様子でエドゥアルドに言った。
「お前が、自由にしてくれるというのなら、それほどありがたいことも他にない。
まして、誰もオレのことなど気にかけてくれないと、そう思っていたのに、アンがオレのために動いてくれていた。
ならば、オレはアンに対して、相応に[恩]を返さなければならないだろう。
せいぜい、アンに愛想をつかされないような主人になれるよう、励むとするさ」
フェヒターがコーヒーを飲んでいる間に少し冷静さを取り戻して来たエドゥアルドは、自身も落ち着くために自分のカップに残っていたコーヒーを飲み干し、それから、フェヒターにもう1度確認するような視線を向ける。
「つまり、フェヒター。
お前は、たとえ自由になったとしても、もう、公爵位を狙うようなことはないと、そう誓うということか? 」
「ああ、誓うとも。
言葉で信用ならないというのなら、証文にサインするぞ。
なんにせよ、この幽閉生活にもいい加減、うんざりだし、アンに対して果たさなければならない義理もできたことだしな」
エドゥアルドの確認にはっきりとうなずいてみせるフェヒターだったが、しかし、そこから「ただし」と言って言葉を続けた。
なにか条件をつけて来る。
そう思ってエドゥアルドは思わず身構えたが、しかし、次の瞬間、フェヒターは、エドゥアルドに向かって深々と頭を下げていた。
「オレを、お前の臣下として、[使って]くれ」
そしてフェヒターは、エドゥアルドに向かってそう言っていた。
それも、これまでエドゥアルドが想像したこともないフェヒターの姿だった。
エドゥアルドにとってフェヒターと言えば、傲慢で、部下に威張り散らし、自分こそが本当の公爵だ、偉いのだと、自身を着飾ったり、不遜な態度を見せたりすることで自分を大きく見せようとする、そんな人物であるはずだった。
その、フェヒターが。
エドゥアルドに深々と頭を下げ、そして、懇願している。
「オレは、お前への、いや、エドゥアルド公爵への恨みから、傲慢で尊大になった愚か者だったのだと、すっかりわかったのだ。
幽閉されている間、考える時間はたっぷりとあったからな。
そして、漏れ聞こえてくる話を聞いている限り、エドゥアルド公爵。
貴殿は、ノルトハーフェン公爵としてふさわしい器量を持っている。
もう1度はっきりと言うが、オレはもう、公爵位を欲しいなどとは思わない。
自分にはそれだけの器量もないし、今の公国を見れば、その必要もないのだとわかったからだ。
だが、オレは、このままでは終わりたくないんだ! 」
エドゥアルドに向かって頭を下げたままのフェヒターの懇願は、切実なものだった。
「このまま幽閉されて一生を終えてしまえば、オレは、無謀な野心を抱き、無様に敗れ去った、ただの愚か者だ!
もちろん、人々はオレの名前など忘却し、エドゥアルド公爵という名を遥か未来にまで語り継ぐことになるだろう。
だが、人々は忘れ去ろうとも、オレは、この事実を知っている!
そしてそのことにオレは、とても、耐えられそうにない!
頼む、エドゥアルド公爵!
オレに、どうか、汚名をそそがせてくれ!
そうして、オレに、少なくとも愚か者ではなかったと、エドゥアルド公爵には到底及ばずとも、無能ではないと証明するチャンスを与えてくれ!
そうすればオレは、人々にこの名を忘れられようと、自分の人生に納得して終わりを迎えることができる!
だが、そうできなければ、オレは、あまりにも惨めすぎる!
オレがしでかしたことを考えれば、これが、無茶な願いだというのもわかっている!
それでも、どうか、お願いだ! 」
そのフェヒターの願いに、エドゥアルドは、即答しなかった。
だが、フェヒターが心の底からそう願っているのだということは、エドゥアルドにも痛いほどに伝わっていた。
シャルロッテやヴィルヘルムに、確認するまでもない。
あのフェヒターが、演技でここまで真に迫った懇願ができるとは、エドゥアルドにはとても思えなかった。
それに、フェヒターが内心で、この懇願を屈辱だと、そう思っていることは、彼の小刻みに震える肩、そして床の上にしたたり落ちる涙から、見て取れる。
エドゥアルドに、仇敵に、懇願する。
その事実をフェヒターは受け入れてまで、こうしてエドゥアルドに頭を下げているのだ。
フェヒターが真剣でなければ、ここまでのことはできないはずだった。




