第三十五話「逃避」
夕食後、自室のドアを閉め、リョータはベッドに倒れ込む。
天井を見つめても、目に焼き付いているのは、
芽衣の名を聞いた瞬間の、あの記憶がこじ開けられる感覚だ…。
深く息を吐き出し、冷静になろうと試みながら、これまでの二度目の人生を整理し始めた。
同じ会社に中途入社してきて意識するようになった智美…。
関わりなかったはずの中2から智美と付き合うなんていう、俺の知っている未来とは違っている…。
他にも、唯に彼氏ができたり、何より俺の成績が爆上がりした。その結果、本来、I高に入学していた1人の生徒は落ちているはずだ…。
そして、生徒が別の学校に入学したことで、さらにその学校に入学するはずの生徒が他の学校に入学していることだろう。
…バタフライ現象だったか…・
俺がI高に行こうが、H高に行こうが、世界にとっては多分どうでもいいことだろう。
だが…、そこに関わっていた人たちからすると、ほんの少しずつズレていく。そのズレが数年後、またズレを生じさせるのかも知れない…。
世界は変わりつつあるが、重要な接点では運命が帳尻を合わせているように感じられる。
そして、今、俺にとって…重い十字架を課せられた気がした…。
木島芽衣…。
助けられるのかもしれない…。
前世では、彼女は21歳の時に倒れて病気が発覚した。
ひょっとしたら、まだ初期の段階かもしれない。
倒れる前に、精密検査を受けるように伝えれば……。
しかし…
発症がいつかも分からない。今の時点で兆候がなければ、きっと同じ理由で検査に通うなんて、よっぽど信頼できる話でないと、あり得ない。
俺が逆の立場で、余り接点ない同級生に言われて検査に行くだろうか…。
絶対に行かない。むしろ胡散臭ささえ感じだろう。距離を取られるだけかも知れない…。
無理だ…。
だとすると…
あの悲劇をもう一度経験することになる。病気が発覚し、治療を続け、それでも助からなかった絶望と無力感。あの痛みに、俺の心はもう耐えられない。
リョータは身体を丸め、シーツを強く握りしめた。
そして…
「ごめん、芽衣…」
「俺には…君が救えない…。救う方法が分からない…。」
俺は…、悲しみを繰り返すことからの逃避を選択した。
俺は、彼女の生存を知りながら、あえて目を背けるという重い罪を背負うことになるのかも知れない…。
●
ブルブルッ
机のスマホが振動した。
画面に表示された**「智美」**の文字が、俺を現実へと引き戻す。
『予備校の体験授業、お疲れさま!奏と一緒だったってメッセージ見たよ。』
『私、リョータが真剣に勉強してるの、すごく嬉しいよ!私も頑張るね!おやすみ♡』
智美のメッセージは、俺にとって暖かく感じた…。
『ありがとう。やる気が出て来たよ。一緒の大学行きたいよ。』
『おやすみ』
簡潔な返信を送り終え、スマホを置く…。
智美の存在が、俺の決断を正当化し、俺を前に進ませる理由にさえ感じられた…。
リョータは静かに目を閉じた。
(ああ、今日はまたあの悪夢を見そうだ……)
リョータは、意識を手放した…。




