第十六話「水族館でデート」
教室に向かって歩く奏を追いかける。
向かいの校舎への渡り廊下に差し掛かったところで追いついた。
奏は俺が追いついたことに気にした様子もなく、スタスタと歩く。
「あのさ、一つ訂正したいんだけど。」
「…うん?何?」
「調子になんて乗ってないから…。」
「は?」
奏の足が止まり、俺の方を振り返る。
「初カノができて、調子に乗ってないと?」
「いや…、初カノはそうだけど…。」
「あれ?リョータって女子に告白されるようなことあったの?」
「あるよ!」
「へー。…誰に?」
「おとちゃんに。」
「?…誰?」
「…幼稚園の時、同じクラスだった子…。」
奏は目を丸くして、固まった。そして、破顔した。
初めて見るかも知れないほどの笑顔で、目から出る涙を指でこすっていた。
「リョータはモテるんだね。」
まだ、笑いが止まらないのか、奏は右手で目を覆ったままだ。
冗談で話を終わらせるために返したつもりだったが、ここまで笑われてしまうとは。しまった…、これは当分ネタにされそうだ…。
奏は教室に戻るまで、チラチラ俺の方を振り返っては失笑を繰り返すのだった…。
「やっぱり、俺に悪いことしたなんて、ちっとも思ってないでしょ…。」
リョータは、ふてくされるように呟いた。
●
明日からゴールデンウィークとなる、4月最後の日。今年度は高校受験が控えているが、まだまだ、自覚の薄い生徒が多く、明日からの連休に浮足立っていた。
今週は、午後は三者面談のため、授業は午前中までで、少し楽な週だ。
俺は面談が既に終わっており、今日は昼ご飯を食べてから、智美と水族館に行くことになっている。
智美と行く水族館は初めてで、俺もテンションが上がっている。
それに、決して大袈裟ではなく、俺の未来が掛かっているのだから。
駅から水族館までの道を歩く、ただ普通の出来事だが、少し感慨深い。
「でね、その時、唯がさ…。」
「…唯らしいな。」
隣を歩くを智美との会話も弾む。
会話は友人たちの話が多く占めるが、退屈はしない。女子から見た人間模様というのは、男子とはまるで違う。それに友人の話と言っても、陰口や悪口の類ではなく、智美も悪口を言うタイプではなかったところも一因かも知れない。
それに、中学時代の智美とはここまで親しくなることはなかったから、彼女の色々な面を見るだけで嬉しいという気持ちもあった。
奏や唯と言った、誰とでも話す女子とは、それなりに接していたが、智美はどちらかというと、交友関係は狭いタイプであったため、文化祭などとの行事ぐらいでしか、リョータは話した記憶がない。
「じゃあ、チケット買ってくる。」
「私も行くよ。」
チケット窓口に並び、2人分のチケット代を払おうとしたところで、智美に止められる。
「高いんだから、自分の分は自分で出すよ。」
そう言って、智美がお金を出す。
電車代と入場券を入れると2000円を超える。中学生には高いと思ったが、高いからこそ自分の分は自分でと思われたようだ。
中学生だとそんなものかも知れない。
俺は素直に智美のお金を受け取って、チケットを智美に渡す。
入場口に近づくと、記念写真のサービスを案内された。買うつもりはないが、撮らないのも味気ないと思い、智美と並んでポーズをとる。
ジンベイザメの模型を間に挟んだのだが、智美がそっと、腕を組んできたところで、スタッフの人が写真を撮ってくれた。、実はレッドリスト入りしており、絶滅危惧種らしい
ちょっと照れた様子の智美が可愛い。
長いエレベーターのあと、降りるとそこは木々に囲まれた空間だった。水槽を見るとカワウソが所狭しと走り回っている。
智美はあっという間に駆け寄ると、カワウソに釘付けになっていた。そういえば、遊園地でもレッサーパンダで30分は見てた気がするな。余り話題にしたことはなかったが、動物好きだったのかも知れない。
カワウソに見とれる智美の傍に寄る。可愛いでしょと同意を求める、笑顔の智美。水族館を選んで正解だったなと感じていた。
カワウソに満足したのか、次に行こうと智美に手が手を取り、先に進もうとする。
少し暗めの通路を進むと新たな水槽が見えてきたが、平日にも関わらず、人だかりができていた。
「はい、今から、ラッコのお食事タイムが始まります。」
ああ、動物の餌やりの時間だったか。そういえば、マップをもらったのに見てなかった。他の時間制のイベントがないか、チェックしておかないと。
「見る?」
「もちろん。あのあたりが少し空いてるよ!ちょっとでも前にいこっ!」
智美のテンションがさらに上がる。
飼育員が魚を投げると、ラッコたちが器用に魚を受け取る。ちょっと離れたところに投げられた魚もあっという間に取りに行く。
ラッコたちの食事の様子に智美はすっかり見入っていた。
周りで見ている子どもたちもはしゃいでいる。愛らしい動物たちが食事をする様子はさらに愛らしい。
その後も、魚やイカの切り身のようなものがラッコに次々渡され、ラッコたちが飛びついていた。
そういえば、ここのラッコたちはあと数年で居なくなる。俺が自死する前にここのラッコも居なくなり、日本全体でも、もう数頭しかいなくなったというニュースを見た気がする。今は日本の色んな水族館に居て、実際に見たことはあるかは人によるだろうが、ラッコという動物を知らない日本人は少ないように思う。そんな動物だが、実はレッドリスト入りしており、絶滅危惧種らしい。
目の前でラッコに夢中の智美に聞かせるには無粋な話ではあるが。
少なくとも、今日する話ではないことぐらいは俺にも分かる。こんな話をしようものなら、『だから女子の扱いが下手なんだよ』と声を合わせて、突っ込んできそうな2人が思い浮かぶ。
「可愛かったよー。すごく可愛かったー」
「うん。」
どの展示を見ても、可愛いと満足気味の智美に連れられて歩いていくと、また少し人だかりの居るゾーンに出会った。
【ダイオウグソクムシ】の展示だった。
そういえば、キモカワで人気とかいう記事も見た気がする。
俺もネットでしか見たことがなかったため、人だかりの中に進み近寄ろうとした。
しかし、俺の左手がそれ以上進むことを許さなかった。
「あれは可愛くない。」
「そ、そうか。」
そこには、断固拒否する智美が居た。
せっかくだから、全部見たいだの、珍しいから見てみたいだのという余地を挟まない、智美の視線が俺に突き刺さる。
「じゃあ、次のところに進もうか。」
あっさり俺はヘタレた…。
幼稚園児だろうと、成人であろうと、中学生であろうと、こういった時の女子に対して、反論しても何一つよい結果を得ることはない。
例え議論で勝ったとしても、【私、不機嫌だからね】という、態度で接しられることとなり、何倍もの労力を使って、その機嫌を直す羽目になるのだから。
「うわー、ザラザラしてるー。きもいー。」
「おお。跳ねるね。」
展示も最後に差し掛かり、サメとエイに触れ合えるゾーンに入り、俺たちはその感触にはしゃいでいた。
周りの子どもたちの反応は様々で、俺たちと同じようにはしゃいでいる子も居れば、怖くて泣いている子どもも居た。中々にカオスな空間だ。
可愛い要素が少なかったからか、智美はあっさりとサメを触るのを終わり、俺たちは水族館の外に出た。
「楽しかったー。」
「うん。俺もすごく楽しかったよ。」
時計を見ると、水族館に3時間近くいたようだ。
思っていた以上に時間が経っていたことに俺は少し驚き、智美も驚く。
「楽しかったから、時間が分からなかったよ。」
俺も智美と同意見だったので、黙ってうなずく。
「私も楽しかった。今日はありがとう。」
俺を見る笑顔の智美…。
【楽しかった。今日はありがとう。】
何度、聞いたか分からない、智美の言葉。ほんの僅か、俺の目に成長した姿の智美が重なる。
この笑顔を未来に繋げたい。
「うん。俺もめっちゃ楽しかった。」
そう言って、智美の手を握り返し、駅の方に向かう。
智美が嬉しそうにリョータを見る。智美は気付いていたが、智美以上に、リョータの顔は緩みっぱなしだった。