第08話 デート当日
新太と詩葉が約束したお出掛け当日──日曜日。
新太が左腕に付けたアナログ式腕時計を見ると、丁度十二時を回ったところだ。
少し肌寒さが感じられるようにはなってきたが、昼は陽光の暖かみでそれもほとんど感じない。
空を見上げれば快晴。風もそよそよ。
絶好のお出掛け日和である。
そんな中、ブラウンのチノパンに黒いインナー、上から七分丈袖のシャツを羽織った姿の新太は、日比谷家の玄関の前に立っていた。
(確かに今まで詩葉にドキッとさせられることはあった……だが、相手は中学生! これはデートではなくただのお出掛けだ!)
と、新太は自分に言い聞かせて小さく笑う。
そして、玄関の前で待っていると────
ガチャリ。
「お待たせしました」
玄関の扉が開けられ、中から詩葉が出てくる。
黒い薄手のシャツに腰の辺りをリボンで縛った灰桃色のプリーツスカートで、上からニット素材の丈長の羽織りものを着ている。
そして、レンズの向こう側に歪みがないことから伊達とわかる赤いフレームの眼鏡を付け、丸みを帯びたキャスケット帽子を被っている。
「人目に触れるので、一応こうして特徴を変えさせてくださいね?」
詩葉はそう言って、自分の眼鏡とキャスケット帽子に触れる。
詩葉が芸能界から姿を消してからしばらく経つが、それでも元天才子役。その姿はいまだに多くの人が知っている。
バレて騒ぎを立てないようにするための変装というわけだ。
「あ、あの……変ですか……?」
「あっ……い、いや……」
思わず詩葉をジッと見詰めていた新太は、そう尋ねられて我に返る。
そして、情けなくも視線を逸らして頬を指で掻きながら答える。
「その……良いと思う……」
「えへへ。ありがとうございます!」
「んじゃ、行くか」
「はい!」
新太が歩き始め、その隣に嬉しそうな詩葉。
二人は並んで駅に向かい、電車に乗って映画館のある街まで行くのだった────
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────主人公とその仲間はある国に来ていた。
そして、その国の王女を中心に事件が起きていくのだが、何を隠そうこの王女の声を当てているのが琴音。
映画でのみ登場するキャラクターでありながら、この物語において非常に重要な立ち位置。
琴音の当てる声は、王女の姿や性格にとても合致しており、新太と詩葉は改めて琴音の演技力の高さに驚嘆しつつ、しっかりと物語を楽しんだ。
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「いやぁ、最高だったわ……」
「ですね! 特に、ツンな王女が最初嫌っていた主人公に助けられて、デレるあそこっ! あそこはたまりませんでしたぁ……」
「わかる! ……これは、俺の中の推しキャラランキングの変動も考えられるかもしれないな」
そう映画後に感想を語り合う新太と詩葉がいるのは、映画館に併設されたカフェだ。
その一角のソファー席で、二人は二十分ほどこうして語り合っていた。
そして、二人の前に置かれたそれぞれのコーヒーカップの中身が今なくなった。
窓から外を覗いてみれば、日が傾き、空が茜色に染まってはいるがまだ明るい。
「うぅ~ん……新太君、私まだ帰りたくないです」
「そ、その妙に色っぽい喋り方やめてくれ……」
新太は詩葉の悪戯っぽさを含んだ言葉に動揺し、それを隠すように窓の外の景色に視線を移す。
(まぁ、確かに帰るには少し早いか……?)
かといって、他にやることがあるかと言われるとすぐには思い付かない。
新太がどうしようかと顎に手を当てて少し考えていると、「そうだ!」と詩葉が手と手を合わせて言う。
「新太君は、歌うの好きですか?」
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────カフェを出た新太と詩葉は、手近なカラオケ店に入っていた。
二人と少数人数なので、部屋はそこまで広くない。
L字型のソファーに並んで座り、前に机、その先に画面という個室だ。
詩葉は眼鏡を仕舞い、キャスケット帽子をソファーに置いており、いつも通りの姿に戻っているのだが────
(う、上手いっ……!?)
歌い始めてどれだけの時間が経っただろうか──最初は新太がガッツリアニソンを歌って、そのあとからだ。そのあとから、ここがカラオケ店の個室からライブハウスに変わった。
客は新太。歌う詩葉を独り占めしている。
詩葉は楽しそうに身体を揺らしながら、マイクを持たない左手を気持ちに乗せて動かし、明瞭で透き通る──それでいてどこか可愛らしい声で歌う、歌う、歌う。
人が歌っているとき、聞き手はどこを見るだろうか。恐らくほとんどの人が画面だと答えるだろう。
しかし、新太の視線は歌う詩葉の姿に釘付け。口も半開きになっている。
「ふぅ……」
歌い終わった詩葉は呼吸を整えるように息を吐くとマイクを置き、手元のグラスに入ったドリンクを飲む。
画面に映し出された『97.894点』を特に気にすることもなく──いや、他に気になることがあるようで、少し恥ずかしそうに指で横の髪を巻き取る。
「あ、新太君……見惚れてくれるのは嬉しいんですが……ちょっと恥ずかしいです……」
「あ、あぁゴメン……って、別に見惚れてないぞ!?」
「えぇ!? あんなにジッと見ておいてですか!? あれを見惚れてないというなら、逆に見惚れるって何ですか!?」
「い、いや……見惚れるって言葉がダメなんだよ! そうだな……刮目してたんだよ!」
「わ、私そんなに大層な者じゃありませんっ!」
「なら……凝視?」
「うっ、それはちょっと……」
詩葉は自分の身体を抱いて、新太にジト目を向ける。
「まぁ、何でもいいですけど……すっごく見られてました」
「いや、だってお前……そりゃ見るだろ。あれだけ上手かったら……」
「そ、そうですか……?」
(コイツ、自覚なしか……!?)
新太は驚嘆すると共に呆れていた。
本当に詩葉の歌唱力はそこらの歌手にも引けを取らないだろう。
中学一年生でこのレベルなのだから、もう少し成長すれば、もっと歌も上手くなるかもしれない。
そう考えると、やはり詩葉は“天才”なのだろう。
まあ、子役時代にも発声練習や体幹トレーニングなどはある程度しているだろうから、その努力の賜物であるとも言えるかもしれないが、それでもここまで人を聞き入れさせる歌はなかなかない。
「どうやったらそんなに上手く歌えるんだ?」
「上手くって……新太君も私とほとんど点数変わらないじゃないですか」
先程新太が歌った結果が『93.735点』。
小数点以下は割愛して、今の詩葉の結果とは四点差。
「いや、この四点差はめちゃくちゃデカイんだよ。同じ四点差でも七十とか八十点代なら大したことないが、九十点より上の一点を上げるのは凄く難しいんだ……!」
「そ、そうなんですか……?」
不登校で友達などもおらず、ほとんど外出しない詩葉は当然カラオケにもあまり詳しくない。
よくわかってなさそうに首を傾げる。
「頼む! 俺に伝授を~!」
「えへへ。いつもと立場が逆ですねっ! 良いでしょう! よくわかりませんが教えます!」
いつもは勉強を教えられる側の詩葉は、教える立場になれて嬉しいのか、乗り気な様子でマイクを持つ。
「これは昔お姉ちゃんに聞いたことですが、このカラオケのマイクはダイナミックマイクと言って、真っ直ぐにしか声を拾わないそうです。だから、なるべく口の真正面に持ってきましょう!」
「ほう」
新太もマイクを持って、詩葉の真似をして、マイクを口の前に持ってくる。
「そして、姿勢は大切です! これは元天才子役な私が保証しますが、ピシッと背筋を立てた方が、通る声を出せます!」
「説得力すげぇ……」
新太は自分で天才と言うかと心の中でツッコミを入れつつも、今はそれが非常に頼りに感じられる。
「そしてやはり発声の基本……お腹から声を出すイメージです! こうやって……何て言えば良いんでしょうか……」
詩葉は自分のお腹を手で押さえながらうぅんと困ったように唸る。
すると、ほんのり頬を赤らめると横目で新太を見る。
「あ、新太君……ちょっと手を貸してください」
「え? お、おう」
新太は言われた通りに詩葉に近いほうの手──右手を、マイクを置いてから差し出す。
すると、詩葉はその手を取って、自分のお腹に触れさせる。
「ちょ……!? 詩葉!?」
新太の右手に、温かくて柔らかな感触。
詩葉が呼吸をするたびに膨らんだり縮んだりする。
「柔らかいですよね……?」
「ま、まぁ……」
詩葉は恥ずかしそうにしながらもそう確認を取ると、前を向いてマイクを口許に持ってくる。
「も、もっとちゃんと触っててください……」
「い、いや……流石に恥ずかしいというか……」
「わ、私は気にしないので大丈夫です! 本人の許可があれば合法です!」
「その言い方は何かよろしくないぞッ!?」
そう反論しつつも、教えて貰っている立場の新太が文句を言うわけにもいかない。
新太は詩葉に言われた通り、しっかりと詩葉の柔らかいお腹に手を触れさせる。
「ではいきます…………あ────」
「おぉ……!」
詩葉が息を吸って、真っ直ぐ声を出した瞬間、柔らかかったお腹が硬くなった。ほどよく力が入り、締まったと表現した方が正しいかもしれない。
「今のがお腹から声を出す感覚なんですが……こればっかりは自分で掴むしかないですね」
「なるほど……」
「…………」
「…………」
「あ、あの……くすぐったいので、そろそろ……」
「あっ、すまん!」
新太はずっと詩葉のお腹に手を置いていたままだったことを思い出し、バッと離す。
しかし、いまだにその右手には詩葉のお腹の感触が残っており…………
「コホンッ!」
新太が右手を握ったり開いたりして視線を落としていると、隣の詩葉が咳払いをする。
「まあ、あとは声を胸に響かせたり、口で響かせたり、鼻で響かせたり……それぞれ違った質感の音が出せますが、それは私よりお姉ちゃんの方が詳しいと思います」
「詩葉先生! ありがとうございました!」
「ふっふっふ、よろしい。次の授業までに復習しておくように!」
────そんなところで退出時間を知らせるベルが鳴り、新太と詩葉はカラオケ店を後にした。
外に出れば既に日が沈んで、街灯や建物の明かりが輝いていた。
こうして二人の初お出掛けは幕を閉じるのだった────