第03話 取り繕った笑顔
新太が詩葉のお世話係に任命されてから三日が経過した────
特に部活をやっているわけでも、習い事があるわけでもない新太は、学校が終わると毎日日比谷家に通い、詩葉の面倒を見る。
少しは互いの距離が縮まったか、勉強ももちろんだが、他愛のない雑談でもそこそこ盛り上がるようになった。
そして、今は勉強の息抜きに、お手伝いさんが持ってきてくれたクッキーと紅茶を楽しんでいる。
「いやぁ……マジでこの家の紅茶美味しいんだよな。高そう……」
新太はそんなことを呟きながら、ティーカップに口をつけ、紅茶を口内に流し込む。
後味の悪くない苦味と、深い香りが鼻からすっと抜けていく。
そんな様子を微笑みながら見ていた詩葉は、ティーカップに注がれた紅茶の中に大量の砂糖とミルクを投入し、紅茶本来の味が書き消えそうなレベルにしてから飲む。
「君は甘党なんだな……」
「はい! 甘いモノは大好きです!」
甘党とかそんなレベルの砂糖の量ではなかった気がするが、新太はあえてそこには触れないようにする。
そんなとき、カタン……と、手に持っていたティーカップを置いた詩葉が笑顔を保ったまま新太に視線を向ける。
「そういえば、新太君はサインとか……求めないんですね?」
「サイン……?」
新太は一体何のことだと不思議そうに首を傾げて、ティーカップを置く。
しかし、その新太の反応不思議だと言うように、詩葉はキョトンとする。
「大抵の人は私と会うとサインを求めてくるんですよ?」
「あ……ああ! そりゃお前のお母さん大女優だもんな。昔、琴音にも言われたことあったわ~」
もちろんここで言う『お母さん』とは、詩葉の血の繋がった母親のことではなく、詩葉を引き取った、琴音の実の母親のことだ。
「え、えっと……確かにそれもあるんですけど……わ、私のですよ?」
「……え? 君の?」
どういうことだと頭上にはてなマークを浮かべる新太と、人差し指で自分のことを差す詩葉の間に微妙な沈黙が流れ────
「え……えぇえええええッ!?」
「な、なにッ!?」
この三日間で一度も聞いたことのない詩葉の大きな声に驚く新太。
しかし、一番驚いているのは詩葉だ。
「え、え、え? 私のサインですよ? 私──碓氷詩葉のサインですよ!?」
「い、いやわかってるよ? え? 何で君のサイン……?」
「あ、あの……新太君って、もしかしてあんまりテレビとか観ない人ですか?」
「まぁ、アニメとかは観るけど……確かにあんまり観んな」
その答えを聞いた詩葉は納得したように浮かし気味だった腰を座らせると、手近な場所に置いてあった自分のスマホを操作して、画面を新太に向けてくる。
「な、なに……? って……」
新太は言葉に詰まった。
詩葉に向けられたスマホの画面──グーグレで“碓氷詩葉”という名前で検索された結果が表示されていた。
上からしたまで【天才子役の碓氷詩葉】とか【碓氷詩葉の出演ドラマ】とか【碓氷詩葉の演技に迫る!】とか……。
どこにでもいる一般人を検索して、こんな結果が出てくるわけがない。
試しに一つタップしてみてページを開くと、そこには今新太の目の前にいる詩葉の姿を幼くした感じの写真──いや、紛れもなく小学校時代の詩葉と思われる写真が載っていた。
新太はギギギ……と錆びた機械のように首を動かし、視線をゆっくりスマホの画面から詩葉に戻す。
「君……子役だったの?」
「はい……。自分で言うのもなんですけど、知らない人がいるとは思いませんでした……」
「マジかぁ……」
新太はパタリと背中から床に転がり込む。
そして、天井を見上げながら「ははは……」と乾いた笑いを溢す。
「いや、この家すげぇな……全員芸能関係者じゃねぇか……」
そんな反応に戸惑ったように、詩葉は倒れ込む新太の顔を見る。
「え……そ、それだけですか?」
「ん? もっと驚いた方が良かった?」
「い、いえ……そういうワケじゃないんですけど……」
寝転がったまま詩葉に顔を向ける新太。
その視線の先で、詩葉は笑顔を作りながら言う。
「特に気にしてないようなので……ちょっとビックリしちゃいました」
「まぁ、そりゃ驚いたけど……君は君だろ?」
「え……?」
よいしょと上体を起こしてあぐらを掻いた新太は、いつも通りの口調で言う。
「君がどんなことしてても、俺は別に構わないよ?」
「な、なるほど……。えへへ、私はてっきり、『碓氷詩葉』に近付けるからこうして優しくしてくれてるんだと思ってました」
「まあ、君が芸能人って知らんかったしな~。それに、俺は肩書きで人を判断したりしない。
琴音と付き合ってたのだって、声優の『日比谷琴音』に近付きたいからじゃなくて、琴音っていう人間を好きになったからだしな……」
「きゃぁ……お姉ちゃんに聞かせてあげたいですね」
「だ、ダメだからな!? 言ったら怒るぞ?」
「わかってますよ~」
柔らかく笑ってそう答える詩葉。
しかし、新太はそんな詩葉をじっと見詰めて、「なるほどな……」と何か合点がいったように呟く。
「どうしたんですか、新太君?」
「いや……どうりでいっつも取り繕ったように笑ってるわけだと思ってな」
「…………え?」
その言葉を聞いた詩葉の笑顔が固まる────
碓氷詩葉────
小学校一年生で子役デビューし、芸能界に舞い降りた期待の新星として注目を浴びた。
到底演技とは思えない表情作りや声の出し方、気持ちの込め方──その何から何までが“天才”と称されるに相応しく、デビューから一年後には既に『碓氷詩葉』の名を知らぬ者はいないほどにまでに人気を高めていた。
だが、良いことばかりではなかった。
学校では、『碓氷詩葉』とお近づきになりたい生徒が多く集まってきて、いつでも『碓氷詩葉』の回りには紛い物のお友達が群がっていた。
誰も碓氷詩葉ではなく『碓氷詩葉』を見ている。求めている。
詩葉が十歳になったとき、突然両親が離婚した。
言い出したのは父親。
その理由は詩葉の知るところではないが、収入という点で見れば、父親より詩葉のものの方が圧倒的に多かった。
こういったことは、芸能界では珍しくない。
しかし、不幸は止めを刺すように続いた────
離婚から一年後。詩葉の母親は不慮の交通事故によって帰らぬ人となった。
父親は母親の葬式にすら姿を見せることなく、行方知れずに。
そうして、詩葉は芸能界で良くしてもらっていた日比谷家に引き取られた。
そして、子役としては年齢的に難しく、女優としてはまだ幼い微妙な時期。
芸能の仕事はどんどん減っていき、やがて『碓氷詩葉』はテレビにあまり現れなくなった。
それにつれて、学校の皆に求められていた『碓氷詩葉』は薄れていき、自分の存在価値を疑い始めた詩葉は、そのまま学校に行かなくなってしまった────
詩葉は心の中で非常に驚いていた────
今まで感情を殺すように、誰にも心配を掛けないように──そして、皆が求める『碓氷詩葉』を壊さないように笑顔を絶やさないようにしてきた。
────『碓氷詩葉』を、演じ続けてきた。
演技には自信がある。
天才と称される自分の演技は誰にもわからない。実際、その力で子役として大成功したのだから。
だが、今こうして演技に関してはド素人の新太に見破られた。
これまで一度もバレなかった『碓氷詩葉』の“演技”が、出会って三日の新太に見破られたのだ。
「多分、その笑顔には理由があるんだろ? でも、辛くないか?」
「…………」
「君の辿ってきたこれまでの人生に深く首を突っ込む気はない。でも、これからは違う……俺は、せめて俺の前だけでも、“演技”じゃない詩葉でいてくれないか?」
「“演技”じゃない……?」
「ま、まぁ……出会って三日の俺が偉そうに何言ってんだって話だけどな? でも、俺はそう思ってる。だって、俺が琴音に任せられたのは、子役として成功を成し遂げた『碓氷詩葉』じゃなくて、琴音の妹の碓氷詩葉なんだからな」
「っ……!?」
「え……ちょ、な、何でッ!? え、ゴメン!? 泣かせるつもりじゃ……!?」
詩葉の笑顔が完全に崩れる。
そして、その栗色の瞳の端から、次々と涙が溢れ出し、拭っても拭っても枯れる気配を見せない。
流石に女の子を泣かせた新太は動揺を隠せない。
今さらになって、個人的な事情に踏み込みすぎたことを後悔する。
そして、何度も何度も謝るが────
「ちがっ……違うんです……!」
「え……?」
「私っ、嬉しくてっ……! 今まで、ずっと……誰にも話せなくて……! でも、新太君は話さなくてもわかってくれてっ!」
「ちょぉ──ッ!?」
詩葉が突然新太に飛びつく。
そして、涙に濡れる顔を新太の胸に埋め、細い腕ですがるように服を掴む。
新太はこの他には誰もいない部屋で、まるでセクハラではありませんと主張するように両手を上に上げていたが、やがて泣きつく詩葉の頭にそっと片手を置く。
「新太君……しばらくこのままで良いですか……?」
「ああ。溜まってたモノ、全部泣いて流してしまえ」
「はいっ……うっ、うぅ……うわぁあああああんっ!!」
「…………」
どれだけの時間こうやっていたのか────
新太は詩葉の涙が枯れて落ち着くまで、ずっとその小さい頭を優しく撫で続けた。
そして、詩葉がだいぶ落ち着いた頃────
「詩葉~? まだ新太いるの~?」
ガチャリ……と、ノックもせずに詩葉の部屋の扉を開けたのは琴音だ。
「お、お帰り」
「え、いや……ただいまぁ……」
琴音は目の前の光景に絶句する。
それはそうだ。帰ってきたら自分の妹が熱を帯びた目をして元カレと抱き合っているのだから。
「どうした、琴音?」
「……ど、どうしたじゃないでしょ何やってんのぉおおおおおッ!?」
このあと、新太と詩葉は誤解を解くのに苦労するのだった────
【作者からのお願い】
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