第02話 元カノの妹
個人の部屋にしてはかなり広い。
ベッドに勉強机、部屋の真ん中に座卓があり、壁には本棚、小さいテレビ……と、これだけの家具があってまだ少しスペースにゆとりがある。
(間取りは琴音の部屋と一緒だな……)
新太はそんなことを思いながら、先程お手伝いさんが持ってきてくれたお茶を口につける。
そして、座卓を挟んで新太の対面にちょこんと座るのが碓氷詩葉だ。
肩を少し越える辺りで切り揃えられたサラサラとした亜麻色の髪と、僅かに垂れ気味の大きい栗色の瞳。まだ幼さの残る顔ではあるが、楚々と整っており驚くほどに可愛らしい。
肌はシルクのようにきめ細やかで白く、モフッとした素材の可愛らしい部屋着越しにも、一目で細身だとわかる。
そして、常に笑顔を浮かべている────
「えっと、琴音から聞いてるだろうけど……俺が一条新太。君のお世話係? を任せられたんだけど……」
「はい、新太……君? のことはお姉ちゃんから」
途中、新太は詩葉の呼び方の確認に頷きながら聞く。
「お姉ちゃんの元カレさん……ですよね?」
「うっ……ま、まぁな……」
新太は痛いところを突かれて、不覚にも呻き声を漏らしながら苦笑いを浮かべる。
しかし、そんなことより新太にはどうしても気になることがあった。
「ぶしつけだとは思うんだけどさ、その……君の名字が……」
「え、お姉ちゃんから聞いてないんですかっ!?」
「うん」
新太の質問に、詩葉は特に気を悪くする素振りも見せずに、「もう、お姉ちゃんは……」と可愛らしくため息を吐いてみせる。
「私、この家の人と血は繋がってないんです。
三年前に実の両親は離婚して、私がついていった母は二年前に事故で亡くなりました。父はいまだに行方知れずで。
それで、今のお母さんとお父さんが私を引き取ってくれたんです」
「な、なるほどな……」
思った以上の重たい話に、新太は何とも言えなくなり、情けなくも口ごもる。
その様子を見た詩葉は小さく笑って「気にしないでください」とフォローを入れる。
新太は自分より年下の詩葉に気を遣われたと情けなく感じながらも、気持ちを切り替える。
「でさ、正直なところ君のお世話って何すればいいのかわかってないんだけど……」
「そうですね……」
詩葉は部屋をキョロキョロと見渡して考える素振りを見せる。
すると、はっとしたように立ち上がって、勉強机の方に小走りで駆けていくと、いくつかのテキストを持って戻ってきた。
「お姉ちゃんから新太君はお勉強が得意だと聞いてるので、教えてくださいっ!」
「得意ってほどでもないけどなぁ……? って、琴音って俺のこと話してるの?」
「はい。割りといつも話してますよ? お陰で私は、今日までに新太君の予習はバッチリです!」
(俺の予習とは……)
不登校と聞いていたので、てっきり詩葉は人見知りか何かかと想像していた新太。
しかし、実際は人当たりが良く、明るい性格。
正直、なぜ不登校になってしまったのかわからないくらいだ。
だが、まだ出会ったばかりで、そこまで聞くことはしない。
「琴音、俺のこと何て言ってんの?」
新太がそう尋ねると、詩葉はうぅんと顎に手を当てて考え込む。
「ちょっぴりオタクだけど、別に陰キャじゃない。かといって決して陽キャではない普通の男子……?」
「ど、どういう感情で受け取ればいいのかわからんな……」
「でも、人に優しくて頼りになる……誰よりも信頼出来る友達って言ってますね」
「友達、か……」
「新太君?」
「ん? ああ、いや、何でもない」
正直、新太はまだ琴音のことを諦めきれたワケではない。しかし、琴音の中ではしっかりと決着がついていることに、新太は少し寂しさのようなものを感じる。
しかし、それは今関係のないことだ。
琴音が自分を信頼してこの仕事を任せてくれたのだから、それに応えるべきだ。
新太は「さっ!」と気持ちを切り替えるように声を掛ける。
「んじゃ、何の教科からする?」
「では……数学から!」
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「そうそう、求めるモノをxと置いて、文章中の数量の関係を方程式にするんだ」
「なるほど~。じゃあ、これは……」
新太は自分も中一のときこういうのやったなと懐かしさを覚えながら説明する。
説明を受けた詩葉はすぐに目の前の問題に取り掛かり、ノートに方程式を書いていく。
そして────
「こうですか?」
「すごいじゃん! 完璧!」
「えへへ……」
新太は若干大袈裟に誉めすぎたかとも思ったが、詩葉の驚異的なまでの飲み込みの早さには仕方がない。
前の単元で元々ある方程式を解くという作業はやっているが、自分で方程式を立てるのは今回が初めてだ。
まだ簡単な問題しか出てきていないとはいえ、一度の説明で方程式を間違えずに立てられるというのは称賛に価するだろう。
「天才か!? 天才なのかッ!?」
「てん……さい……」
と、ふと問題を解く詩葉の手が止まった。
あとは方程式を解くだけで、つまずくようなところはない。
「ん、どうした?」
「あ、いえ! 何でもありませんよ~?」
我に返った詩葉は、対面に座る新太に可愛らしい笑顔を向けてから、再びペンを走らせる。
新太も特に気にすることはなく、詩葉が問題を解く様子を眺めていた。
そして────
「んじゃ、今日はこの辺で。また明日来るよ」
「はい。待ってますね」
完全に日が暮れた頃、新太は詩葉に別れを告げる。
詩葉はそんな新太に明るい笑顔を向け、見送った。
そして、新太が出ていき、パタンと閉められた部屋の扉をしばらく呆然と眺める詩葉の顔から、徐々に笑顔がなくなっていく。
そして、複雑な感情がこもった目を伏せて、小さく呟く。
「天才、天才、天才……全部、私が天才だったせいで──」