第01話 俺が世話係になったワケ
だいぶ日が落ちるのが早くなり始めた。
校内に植えられた木々も梢の先端から次第に色付き始めており、秋の訪れを目に見えて感じることが出来る。
放課後、校舎の一角で両手をポケットに突っ込み、壁に背を預けて立っている一人の男子生徒がいた。
制服のブレザーの胸元から窺える赤いネクタイで、高校一年生であることがわかる。
中背痩躯でやや色白。男子にしては少し長い黒髪の下には、同色の瞳がある。世間一般イケメンと呼ばれるような顔立ちではないが、これといって不細工でもない。
どこにでもいる高校生──それが、『一条新太』だ。
そんな新太の元に小走りで駆けてくる足音が一つ。
背中の下の辺りまで伸ばされた艶やかな黒髪。硬く精緻に整った顔には切れ長の黒い瞳があり、肌は雪を欺く白さ。
華奢な体つきで、女子であることを主張する胸の膨らみは決して大きくはないが、キュッと引き締まった腰のお陰で小さくは見えない。
そして、膝上までのプリーツスカートの下からスラリと伸びた脚は、長くしなやか。
恐らく見た者全員が美女と分類するであろう彼女は『日比谷琴音』。
新太と同じ赤色のリボンを胸に付けている、高校一年生だ。
「ごめん。呼び出したの私なのに、待たせることになって……」
「いや、別にいいぞ。それよりも、話があるって……」
「う、うん」
新太はこんな典型的なシチュエーションに少し高鳴る鼓動を感じながら、ポケットから両手を出す。
対する琴音は呼吸を落ち着かせてから、「えっとね……」と新太に真っ直ぐ視線を向けた。
「じ、実は……私の……」
「…………」
新太はギュッと拳を握り締める。
「私の妹の世話係を引き受けて欲しいのっ!」
「……な、なるほどね」
告白じゃないんかい! と、心の中でツッコミを入れつつも、新太は期待していたことを悟られないように一つ咳払いをする。
「ってか、妹いたのね?」
「あ、うん……そういえば、話したことなかったね……」
そう答える琴音はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべている。
新太もそれを見て黙り込み、両者の間に気まずい沈黙が流れる。
しかし、このままでは話が先に進まないと判断した新太が沈黙を破る。
「で、妹の世話係ってどゆこと?」
「妹──詩葉は今十三歳で中学一年生なんだけど、ワケあって不登校なのよ……」
「おぉ……」
「無理矢理学校に行くのを強要はしたくないの。でも、親は忙しくてほとんど家にいないし、私もほら……最近忙しくなってきたから……」
琴音の母親は誰もが知る有名女優で、父親はプロデューサーなのだ。
そして、その娘である琴音は最近声優としてデビューしたばかり。
そのことを知っている新太は詳しく説明されなくても、大体の状況を理解する。
「もちろん家にはお手伝いさんがいるんだけど、流石に詩葉の面倒を付きっ切りで見ることは出来ないし……」
「……ま、状況はわかった。でも、何で俺なんだ? 妹の相手をするなら女子の友達の方が良くないか?」
「そ、それは……」
琴音は一瞬言葉に詰まる。
それは、理由が思い浮かばなかったからではなく、その理由を自分から口に出すのが少しはばかられたからだ。
しかし、お願いしている立場として話さないわけにはいかないと、琴音は口を開く。
「本人達には申し訳ないけど……私の回りにいる人って、お母さんのファンだったり、私が声優だったりするからで……詩葉を任せられるかって聞かれたらちょっと……」
言いながら、琴音は自分の左腕を右手で掴んで身体に引き付ける。
「それに、私は新太の元恋人で……新太が信用出来るって知ってるから……」
「そっか……」
新太はそれを聞いて一度目を閉じると、満足そうに口許を緩めた。
「わかった、引き受けるよ。誰でもない琴音の頼みだ、最初から断る気なんかなかった」
「……ッ!?」
新太の言葉に、琴音は微かに頬を赤らめて目を見開く。
しかし、すぐに平静を取り戻して向き直る。
「ありがとう……それじゃ、よろしくね?」
「任せろ! ……で、いつから?」
「今からよ」
「そっか、任せ…………え?」
「私の家は知ってるでしょ? じゃ、私はこのあとボイトレあるから。お願いね!」
「…………」
琴音は左腕に付けた腕時計を確認すると、新太に軽く手を振ってから駆けていった。
新太はそんな琴音の背中を呆然と見詰めて────
「マジか…………」
□■□■□■
新太は学校を後にすると、いつも通りの帰り道の途中の十字路を自宅とは異なる方向へ曲がる。
琴音のに頼まれた通り、日比谷家に向かうためだ。
琴音と付き合っていた頃は、いつも隣に並んで通っていた道。
人目がなくなれば、こっそり手を繋いで歩いたりもした。
新太は寂しさと懐かしさを感じながら、見慣れた道を進んでいき────
「相変わらずデカイ家だな……」
セキュリティがしっかりしていそうな門の先に広がる庭は一面芝生で、玄関に続くように石畳が敷かれている。
家は大きな二階建てで、一応元カレである新太はそれが6LDKガレージ付きであることを知っている。
より詳しくいえば、一階に個室二つとリビング、ダイニング、キッチン。二階に四つの個室とテラスがあることも知っている。
新太は門のカメラ付きインターホンを押す。
すると、「どうぞ中へ~」という女性の声が聞こえる。
恐らく新太の顔を知っているお手伝いさんで、琴音から今日来ることも聞かされていたのだろう。
ガチャリと鍵の開く音を聞いた新太は門を開け、頻繁に手入れされているであろう美しい芝生を横目に、石畳の道を進んでいく。
すると、新太が着くより先に玄関の扉が開けられ、中から三十代と見られるお手伝いさんの女性が顔を出す。
「久し振りね、新太君」
「はい。ご無沙汰しています」
「琴音ちゃんに聞いてるわ。さ、中へ入って? 案内するわ」
「お邪魔しま~す」
玄関で靴を脱ぎ、揃えて隅に置いてから、顔見知りのお手伝いさんについていく新太。
手すりがやけにお洒落な階段を上り、廊下の一番奥にある扉の前まで来る。
途中、新太は琴音の扉に視線を向けたが、もう入ることはないのだろうとすぐに目を逸らせていた。
この琴音の部屋の隣が妹の部屋なのだろう──お手伝いさんがコンコンと手の甲で二回ノックしてから、「新太君がいらっしゃいましたよ~」と声を掛ける。
すると、少し間を置いてから「はーい! どうぞ!」と可愛らしい少女の声が扉越しに聞こえる。
お手伝いさんは「失礼します」と言いながら扉を開け、新太を中へ入るよう促す。
そして、お茶を入れてくると告げて、部屋に新太を残して一旦離脱していった。
「初めまして! 碓氷詩葉です!」
(え、碓氷……? 日比谷じゃなくて?)
ペコリと頭を下げてから、屈託のない笑顔を向けてくる詩葉に、新太は疑問を抱かざるを得なかった────