ぬんぎょ姫
むかし昔、ぬんぎょ姫がおりました。彼女の名前はレディングといいました。ぬんぎょというのは、深い海の底に住む生き物です。「海の魔女」とも呼ばれていますが、本人はそう呼ばれるのを嫌っています。ぬんぎょの一族は海の生き物のなかで飛び切りの醜さを持っています。汚い肌と鱗。口元は下品で、髪はもしゃもしゃです。たいてい片目がたれています。彼らはがさがさの、聴く人を不快にさせる声をもっていますが、それでも歌うことが好きなので毎日太陽が沈むと歌いだすのでした。ぬんぎょの海は汚く、ぬんぎょ以外の生物は寄り付きません。それに、毎晩酷い歌声を聞かされるのは誰だってごめんだったのです。
人魚というのはぬんぎょの親戚のようなものですが、人魚たちはそれを認めようとしないし、他の生き物、例えばタコやサンゴもそんなことを信じようとはしませんでした。何故といえば、人魚は海色の髪、珊瑚色の鱗、たこの吐き出す墨色の瞳をもつたいへん美しい種族で、その声は鈴のなるようなきれいなもので、ぬんぎょとは似ても似つかないからです。
レディングはぬんぎょの姫でした。彼女は疑問に思います。わたしたちは確かに醜いけれど、心はきれいだわ。容姿がきれいでないという理由で蔑まされるのはおかしいんじゃないかしら。彼女は父親に思いを打ち明けます。
「レディング、かわいい子、おまえは醜くなんかない。こんなにきれいな瞳をしているじゃないか」ぬんぎょの王は言います。
「でもパパ、人魚はとてもきれいだわ。そしてわたしは美しくない」
「レディング、わたしの大切なかわいい娘よ、良く聴きなさい。人魚が美しいと言われるのは、そういうことになっているからだ。ある一つのものを、みんながみんな同じ様に美しいと思うのは変だろう? 人魚がきれいじゃないと思う者もいる筈だよ。人魚が美しい理由は、事実はどうあれ、そういうことになっているからだ。1+1=2だ。何故って、そうなっているからだ。それと同じことさ。君はとってもきれいだよ。ただそういうことになっていないだけ」
レディングの大好きなパパは、そういって彼女の頭を撫でるのでした。
ある日のこと、予言者ウミウシのばさまがこういいました。「ぬんぎょ姫のレディングが災いを持ち込むぞ」。さあ大変です。海の生き物たちはレディングを、そしてついでにぬんぎょを追放することにしました。人魚の王と姫があれこれ指示を出します。イカとタコには墨を浴びせさせ、カニたちを送り込んで鋭いハサミでぬんぎょの尾を挟むように指示します。熱帯魚たちはぬんぎょに体当たりします。サメとクジラを追撃に遣り、あの手この手でぬんぎょを追い出そうとするのでした。そして成功したのです。
ぬんぎょたちはぬんぎょの海を追い出され、新たな住処を見つけなければいけません。しかしどこへ行っても疎ましがられ、罵倒を浴びせられ、結局また追い出されるのでした――ウミウシのばさまの予言は海中に広まっていたのです。
レディングは考えました。どうすればいいのだろう。もう海にはいられないわ。いられない。彼女は大好きなパパに相談します。
「どうにかしなくちゃ、パパ、なにか考えがある?」
「ないこともないがね……」
「教えて、お願い」
ぬんぎょの王は言います。「陸に上がればいいのだよ、陸に」
「まあ! けど、どうやって? 私たちには尾があるだけで足がないわ」
「アメフラシのじさまなら、方法を知っている。それどころか、もしかするとできるかもしれない。しかし代償は大きいだろう。われわれは絶滅するしかないのだよ」
レディングはそうは思いません。そんなのは間違っています。醜いから絶滅しなければいけないなんてことは、とっても……理不尽です。そして彼女は、アメフラシのじさまのところを訪れることにしたのでした。
「じさま、どうかこのレディングに陸に上がる方法を教えてください。そしてできるならしてください」
「おまえは汚い顔をしているね。それに声も不愉快だ」
「みながそう言います」
「まあいい、もうちょっとこっちへ寄ってくれ。顔がよく見たい……ほう、これはこれは……」じさまはレディングの顔を観察します。「いいだろう、君を陸に上がれるようにしてやろう。その代わり、頼みがある」
「なんでしょう。このレディングにできることがあるならば、なんでもします」
「その声と顔をくれないか」
「はあ?」
「もちろん、声も顔もないと困るから替わりのをやろう。君の醜さで天敵ロブスターめを追っ払ってやる。君の醜さで毒をつくりたいんだ。いいだろう?」
そういうわけで、彼女は醜い姿と聴いた者をイライラさせる声の替わりに、ごくごく普通の顔と、これまた普通の声を手にいれ、おまけに足もてにいれたのでした。彼女はぬんぎょの皆に事を話してやります。ぬんぎょたちはアメフラシのじさまのところへそろって行き、レディングと同じ様に、醜い顔とがらがら声の替わりに普通の顔と声を手に入れ、足も手に入れたのでした。たくさんの「醜」が集まったのでじさまは大喜びです。これで天敵ロブスターを追い払えるのですから。そしてぬんぎょたちもまた大喜びです。この話は海史上最も賢い取引として知られるようになりました。
さて、ぬんぎょたちは陸にあがります。なんと素晴らしい世界でしょう。さらにどうやら、そこはかれらの容姿を理由に追い出すような社会ではないらしいのです。そこには前のぬんぎょのような容姿、身なりをしている物が少なくなく、それでもかれらは幸せそうに笑うのです。レディングは彼らを美しいと感じました。そして、美しく、きちんとした身なりの者はとても優しく親切で、ぬんぎょと人魚の関係の間逆でした。レディングはかれらもまた美しいと思うのです。レディングは幸せでした。ぬんぎょたちも幸せでした。それを見て人魚たちは、自分たちのほうがうんと美しいのにどうしてぬんぎょたちのほうが幸せそうなのだろうと不思議に思い、また妬むのでした。彼ら人魚は美しくとも、幸せではなかったのです。
ぬんぎょたちはそのまま陸に住み着き、人間としての生活を始めたのでした。ぬんぎょたちはその土地で繁栄します。レディングは人間の王子と恋におち、結婚しました。子どもも生まれ、立派な青年に育ちました。
時が流れます。そして深い深い海の底、人魚姫が恋に落ちた人間というのは、レディングの曾孫の曾孫の曾孫の孫なのでした。人魚の王が人魚姫に人間など下らない、やつらはつまらん生き物だと、彼女の恋を認めなかったのは、そういうことがあったからなのでした。
大分なれてきました、大西です。
童話「人魚姫」の裏の物語を書いてみました。
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