告別式
「タマちゃん、そんなにめかし込んでどこ行くの?」
ある日の昼下がり、私は寝ころんで大好きな作家の小説を読んでいた。
「ひ・み・つ」
「やっぱりデート?」
「そんな感じかな〜」
三面鏡ごしに嬉しそうに微笑む環は、美しかった。クルクル動く瞳は、ぱっちりと二重で、口角の上がったキュッとした唇はとてもキュートだ。
鼻だけは、私の方が高くて形はいいと環は言うが、環の顔に合ったバランスの取れた鼻で、顔立ちも、やや丸顔で愛らしい。私は、面長なので、どちらかと言うとキツく見られがちだ。
最近の環は、再び短大に復学していて、なんとか二年で卒業出来そうなくらいに単位を取得して頑張っていた。
調子が良くなった時の環は、寝込んでいた頃が嘘のように兎に角、動き回る。虚弱体質の私は、到底、環について行けない。いや、普通の健常者でもついて行けないんじゃないか?と思うくらいに元気だ。眠ることさえ忘れるくらいの勢いだ。
元気過ぎる…。どこかが、おかしい。
そう感じながらも、寝込んで苦しんでいる時の環を知っているだけに、私たちは何も言えなかった。
二人とも、環の気の済むようにと容認する他に術を知らなかった。
母も、ようやく小さなスーパーの品出しのパートに行き始めていた。
今、環が着ている白のワンピースは、私の勤めているショップで買ったものだ。環が店に来た時、皆んなは環に見惚れていたっけ。
「楓の妹さん?可愛い」
「楓がAだとしたら、妹さんはSだね」
「女優の誰かに似てる」
そう言って、口々に褒められてたなぁ。
「カーディガン羽織って行った方がいいかな?」
クルッと回りながら、環が尋ねた。
「そうだね。まだ5月だからね。夜遅くなるなら着て行った方がいいと思うよ」
「そうだね。そうする」
「あんまり遅くなってはダメよ」
台所から母の声がした。
「うん。分かってる」
環は、そう返事すると、バックを肩に掛けて部屋を出た。
「いってきまーす」
玄関から元気な声が聞こえた。
「いってらっしゃい、気をつけて」
母の声が追っかけた。
私は、嬉しかった。
こんな普通の光景が、本当に嬉しかった。
「タマちゃん、元気になってホントに良かった」
母は、フゥーっと息を吐いた。
「ホント良かった。一時はどうなるかと思ったけどねー。一体どうなるんだろうね?環の体は」
「さあね、本人しか分からないだろうね。精神的に弱いのかな?小さい頃から、そうだもんね」
「精神的なのかな?一度、精神科に診てもらった方がいいのかな?」
「内科では、小学生と中学生の時に精密検査を2回もしてるしね。起立性蛋白って言う診断だもんね」
「そうだよね。検査してるもんね」
「それに、環が、もう行きたがらないからね。いつも治ってしまえば、ケロってしてるし」
「だね。元気になったからもういいや、って思っちゃうよね」
「ホントにね。どうしたもんだかね」
「ま、しばらくそっとしとこ」
「そうね。お買い物に行ってこようかな?楓は家にいるの?今日はユウくんは来ないの?」
「分かんない。でも、来たら出かけると思うけど」
「出かけるんだったら、戸締まりキチンとしてね」
「りょーかーい」
私は、再び本へ目を落とした。
ユウくんとは、あの腐れ縁の彼だ。まだ続いている。
「じゃ、行ってくるね」
「はーい」
玄関で鍵をかける音がした。
しばらく、私は本の世界に没頭した。
何も考えず、読書ができる事がどんなに幸せなことかを噛み締めながら。
携帯電話の着信音が、その静寂を切り裂くまで、私は何もない時間を楽しんでいたのに…。
「はい…もしもし?」
「あー、楓ちゃんか?」
親戚のおじさんだった。詳しくは、亡くなった祖父の年の離れた弟だ。
「二郎おじさん?どうしたの?」
「あのね…楓ちゃん。落ち着いて聞いてな」
二郎おじさんの言葉に、私は思わず正座をしていた。
「…はい」
私は、タダならぬ何かを感じとって、息を呑んだ。
「お父さんが、亡くなったよ…」
「えっ?」
あまりにも突然の知らせに、自分の心臓の音がバクバクと聞こえた。
「お父さんのアパート分かるよね?」
「…はい」
「悪いけど、今から来てくれるかな?」
「分かりました。すぐ行きます」
「待ってるから。気をつけておいで」
電話を切ると、私は部屋着を着替え、化粧もそこに、慌ててバッグを引ったくって家を出た。
よりにもよって、また私が一人の時に…。
駅まで小走りして、ちょうど来た列車に飛び乗った。
亡くなったって?
糖尿病で?
糖尿病って、そんなに早く死んじゃう病気?
父は、それほど具合が悪かったんだろうか?
入院していたのは、ほんの半年前くらいなのに。そう言えば、あれ以来、パパとも会っていなかった。
私が、あの日、もう連絡して来ないで、って言ったから?だとしたら、なんて薄情な娘なんだろう、私は。
車窓から、美しいピンク色のツツジの花が連なって咲き誇っていたが、私の目に映ることは無かった。
父のアパートは、3駅目だ。案外近いところに住んでいる。私は駅に着くと、また小走りで父のアパートへ急いだ。
父のアパートに着くと、いつものように靴を靴箱に入れ、階段で二階に駆け上がり、廊下を走ると、ギーギーと鳴る音がいつもより速く鳴った。
父の部屋のドアを開けると、二郎おじさんの立ち姿が見えた。
「おじさん!」
二郎おじさんは、振り向いた。
「楓ちゃん…」
二郎おじさんは私を見てから、傍らのこたつのある辺りに視線を落とした。
私は、二郎おじさんの視線の先を目で追った。
父が仰向きに倒れていた。
両足を、こたつに突っ込んで。
表情は、眠っているように穏やかだった。
ただ、口から白い嘔吐物が少し垂れていた。
「パパ…」
私は、父の傍にしゃがみ込み、父の頬に手のひらをそっと当てた。
冷たい。
思ったより、ずっと冷たい。
これが、死?
私は、それを実感した。
口元の白い嘔吐物を指先で拭おうと触れたら、少しだけ力を入れた指先の下の父の皮膚が凹んでしまった…。
これが、死なんだ。
私は、実感した。
皮膚は、もう弾力は全くなくて、触れて力を入れた部分はあっさり陥没してしまうのだ。
嘔吐物は、完全に固まっていて取れる気配は全くなく、私はこれ以上の行為を諦めた。
床には、衣類の防虫剤の白い袋が一つ、縦に破られて落ちていた。
こたつのテーブルの上には、手帳と、湯呑みが一つだけあった。湯呑みの中には、水らしいものが少し残っていた。
防虫剤、飲んだってこと?
自殺?
そう言うこと?
「楓ちゃん、これから検死するらしいから、一旦、お父さんのご遺体は、警察に運ばれるらしいよ」
二郎おじさんは私の横に座り、動揺を察してくれたのか、そう声をかけてくれた。
「そうなんですか。調べてもらえるんですね」
私は少しホッとして、二郎おじさんに尋ねた。
「どうして、二郎おじさんに連絡が来たんですか?」
「この部屋の隣の人が、ちょっと様子がおかしいと感じて、大家さんに連絡してくれて、大家さんがお父さんが亡くなっているのを発見して、そこにある手帳を見て私のところに電話をしてくれたんだよ」
「大家さんもビックリなさったでしょうね」
「驚いたと思うよ」
「なんで、二郎おじさんに連絡してくれたのかな?」
「手帳に書いてあったらしいよ。何かあったら私の番号に連絡してください、って」
「そうなんですね…すみません」
私のせいだ。私が連絡しないでって言ったからだ…。
「気にしなくていいよ」
「ありがとうございました」
私は、二郎おじさんに頭を下げた。
私は、リアルに横たわる父の遺体を前に、驚きのあまり泣くことも出来なかった。
まさか、こんな状態の父と対面することになるなんて想定外すぎて、何をどうすればいいのかサッパリ分からなかった。
穏やかな午後からの急転直下。
父の遺体と、そのそばに座っている、二郎おじさんと、私。
不自然な状態で、不自然な組み合わせ…すべてにおいて居心地が悪かった。
悪夢のような現実。
再び、話し始めたのは、二郎おじさんだった。
「この様子から見ると、お父さんは質素に生活していたみたいだね。お酒も飲んでる様子はないみたいだし」
「そうですね…」
二郎おじさんは、父が酒乱で暴力を振るった時に、何度か嗜めに来てくれた。それでも、父は一向に聞き入れる様子は無かった。
この部屋の中には、洋服タンスが一つ、本棚が一つ、整理タンスが一つ、それに季節外れのこたつ…。キッチンには、小さな冷蔵庫と、炊飯器と、キッチン用品が少し…。
どれもキチンと整理整頓されていた。暴れた様子もない。
「楓ちゃんが来る前に、そこの整理タンスの引き出しを開けてみたら、銀行の通帳が入っていたよ」
「はい」
「大事なものだから、私が通帳と印鑑を預かってるから、安心していいよ」
「何から何まで、本当にありがとうございます。私、何をしていいか…」
「もうすぐ警察の方がご遺体を引き取りに来られると思うよ」
「はい、分かりました。二郎おじさんが居てくれて本当に良かった…」
「これも、何かの縁だね。楓ちゃんのお父さんにはお世話になったことはないけど、お爺ちゃんには可愛がってもらったからね」
「はい、すみません…」
程なくして、二郎おじさんの言った通り、警察の関係者の方々が遺体の引き取りに来てくれた。
その中の一人で普段着を来た中年の小太りおじさんが、私たちに話しかけて来た。
手慣れた様子の丁寧な挨拶の後で、おじさんは続けた。
「検死が終わったら、この近くの集会所を使ってくださって結構ですよ。お父様のご遺体もそちらへお運びいたします。もしよろしければ、そこで葬儀までさせていただけますが、いかがしましょう?」
そうなんだ。もう、葬儀の話になるんだ。
私は、二郎おじさんの方をチラッと見た。
「楓ちゃん、そうさせてもらおうか?せっかくおっしゃっていただいてるんだし」
「はい。そうさせてください」
「分かりました。では、ご遺族の方もそちらへご移動ください。ご案内いたします」
「はい」
気がつくと、父の遺体は既に部屋から運ばれていて、二郎おじさんと私は、部屋の戸締まりをして、小太りのおじさんについて歩いた。
駅を通り過ぎ、商店街の横を抜け、10分くらい歩いたところに集会所はあった。
集会所の中は、それ用にも使えるように便利な作りになっていた。ここで、沢山の行事が行われ、葬儀も行われているんだろう、と予測できた。
小太りのおじさんから部屋の説明を受け、しばらくしたら葬儀の説明に来るからと言うと席を外した。
私は、母に連絡した。
母は家に帰っていて、事情を話すとビックリして、すぐに行くからと言ってくれた。
私は、二郎おじさんに集会所の留守を任せて、母を駅まで迎えに出かけた。来た道は、すぐに分かった。
集会所は、駅から歩いて3分くらいの便利な場所だった。
母は、自転車でやって来たので、思ってたより早く駅に着いた。
私は、大きく手を振って母を呼んだ。
「ママー!」
母は、私を見つけてすぐに来てくれた。
「大変だったね。楓」
「うん。もう、ビックリしたよ!なんか、色々と大変かも。話しながら歩こう」
母は頷くと、自転車を押して私と歩き出した。
私は、集会所に着くまでに母に経緯を話した。
集会所に着くと、母は二郎おじさんからも話しを聞いていた。
二郎おじさんは、母との話しを終えると、私に父の通帳と印鑑を手渡し、名義人が死亡した場合、一旦、口座が凍結するので、今のうちに葬儀費用諸々は下ろしおくといいと言うことを教えて帰って行った。
二郎おじさんが来てくれて、本当に助かった。
集会所のキッチンも自由に使っていいとのことだったので、母と二人でお茶を入れて一息ついた。環にも電話で事情を話して、とりあえず家に帰っておくように伝えた。
環も、すごく驚いていた。そりゃそうだ、急な話しで誰もが驚くだろう。
しばらくして、警察から電話が入った。
父の検死の結果は、心筋梗塞だった。
事件性もないので解剖はしない、という事だった。
私は、胸を撫で下ろした。
自殺じゃなくて本当に良かった。幾らか救われた気がして気持ちが軽くなった。
母には心配かけるといけないから、あの父の遺体のそばに落ちていた、防虫剤の破れた袋のことは言わないでいた。言わなくて良かった。
けど、実に紛らわしい。全くよくそんなところに不自然に落ちていたものだ。
しばらくして、ここに案内してくれた小太りのおじさんがと、葬儀屋さんがやって来て、葬儀のことなどの打ち合わせがいきなり始まった。小太りのおじさんは、町内会の世話役をなさっている方だった。
二郎おじさんから預かった父の通帳には、家を売った残りのお金がまだ随分とあったので、費用はそれで賄うことにして一般葬に決めた。当時は家族葬ではなく、一般葬が主流だったのと、一人で淋しく旅立った父に、せめてもの謝罪の気持ちもあったと思う。それに、最後くらい祖父の時のそれと同じようにして見送りたかった。預金は、それでもまだ3分の2は余る気がした。
まず、葬儀費用を決めて、それに伴って様々な決め事が山のようにあった。
なるほど、悲しんでいる暇などない。
それでいいのかも知れない、と思った。
私は、必然的に喪主になってしまった。まだ、24才の未婚の娘だというのに…。
私は産まれた時から今まで、本当に様々な経験をする星の元に生まれたきたらしい。
母にも助けてもらって、お世話役のおじさんと、葬儀屋さんの手際の良い指示に従って色んな決め事が進み、気がつけば日が暮れていた。
明日に父の遺体が、こちらへ運ばれてくるらしいので、その時間にまたここへ来ることになり、やっと母と家に帰れる事になった。
明日がお通夜で、明後日が葬儀になる。
疲れた。
母は自転車なので、私は電車でバラバラに帰った。
家に帰ると、母はもう帰り着いていて、環と一緒に私を待っていた。
3人で夕食を食べながら、葬儀屋さんに決めておいて下さい、と出された宿題を話し合う羽目になった。
喪主って、大変なんだと言うことだけは分かった。
私は、環を羨んだ。
環は、私と違って運がいい。疲れてヘトヘトになる役は、いつも私だ。
あくる日、仕事は忌引きで1週間休めることになり、私は更に忙しく動く事になった。
遺影を選ぶのと、親族や父と生前親しかった訃報を知らせないといけない人たちへの連絡は、母と環に任せて、私は、死体検案書なるものを入手しなくてはならなくなった。父は病院でなく、自宅で亡くなったため、死亡診断書がでない。その為、父の検案をしてもらった医師の病院まで死体検案書を貰いに行き、その足で、役所へ回って死亡届を出して、火葬許可証を受け取らなければいけなかった。
検死してもらった医師の病院は、知らない町の行ったことも聞いたこともない病院で、自宅からは4駅目で電車を降りてから、かなり遠くて20 分以上歩いたと思う。古い昭和感ただよう木造の小さな医院だった。受付で尋ねたら、医師は出て来ずに看護師さん兼受付の女性が対応してくれた。
驚いたのは、死体検案書は三万円とかなり高額だった。
死体検案書は、他の手続きにも必要になることもあるので、必ずコピーするようにとお世話役の方がおしえてくれたので、近くのコンビニでコピーした。
すぐさま、その足で、私は初めて行く区役所へ向かった。それも、病院から随分と遠い上に、馴染みのない区の役所は、勝手がわからずに時間がかかった。やっと死亡届に記入して提出すると、火葬許可証なるものを受け取ることが出来た。
ようやく一息ついたので、最寄り駅近くのハンバーガースタンドで大好きなフィッシュバーガーにかぶりついた。
砂の味がした。
いや、詳しくは砂の味などしなかった。でも、ちっとも美味しくなかった。よく小説なんかで「砂を噛んでいるような…」っていう比喩を用いてる表現があるが、正にそれだ、と感じた。
生きるために食べる…私は動物だ。
私は、倒れる訳にはいかなかった。
軽い昼食を取った頃は、もう2時を回っていた。ゆっくりする暇もなく、母に電話すると、父の遺体がもう集会所へ運ばれたと聞き、集会所へと急いだ。
集会所へ到着すると、お世話役の方も葬儀屋さんも来ていた。
まず、父の遺体へ会いに行った。
父は、白装束を着せてもらって、気になっていた顔の白い吐瀉物も湯灌してもらってきれいになっていた。陥没部分も修復されているようだった。私は、ホッと胸を撫で下ろしたが、涙は1ミリも出なかった。
葬儀屋さんは3名くらい来ていて、手早く様々な準備を手際良く進めて行った。
母と環は、その様子を部屋の隅で見守っていた。
「楓、お疲れさま。大変だったね」
母は、優しく声をかけてくれた。
「うん。とりあえずは言われた通り出来たよ」
「ありがとう。お金は少し多めに出してきたからね」
「ああ、ありがとう。色々と大変だね…」
昨日、二郎おじさんから父の通帳を受け取ったときに、亡くなった人の銀行口座は凍結されて下せなくなるから、先に葬儀代や当分の間に必要な費用は出しておくようにと教わったからだ。
私たちだけでは、何もわからない事だらけだった。
私の顔を見つけた葬儀屋さんの一人が声をかけてきた。
「初めまして、喪主さまですか?」
「はい、お世話になります。どうぞ宜しくお願いいたします」
その方は、丁寧なご挨拶の後で、今後の流れや支度を説するのでと言い、早速、隣の部屋の座卓の上で相談することになった。
まず、住職さんを決めて、そのお布施を包むと言う事だった。町内世話役の勧めで近くのお寺にお願いする事になった。
後は、昨日決めた葬儀の料金により、祭壇やお花やお供物などが用意されていった。それと並行して、父の納棺も行われた。
あっという間に、今夜のお通夜の準備が仕上がっていった。
こんなもんなんだな…。
葬儀というものは、想像していたより断然に慌ただしく体力を消費するものだった。
お通夜には、明日の葬儀に来られない方が思ったより沢山見えた。
口伝えで連絡が回ったのか?以前の父の職場の人たちや、仕事関係者、友人が来られた。私や環の友達には連絡はしなかったものの、職場や環のバイト先の方には言わざるを得ないので、皆んなが揃って来てくれた。後は、母方の親戚が来て励ましてくださった。
二郎おじさんご夫妻もお通夜にも来てくれて、明日の葬儀には、おじさんだけ出席してくれるとの事だったので、二郎おじさんに環と一緒に受付をお願いした。
皆さんが帰られた後、私たち3人は集会所で泊まることになった。
お通夜は、亡くなってから四十九日まで冥土を旅する間、故人の唯一の食べ物が線香の煙なのだそうで、故人がお腹を空かせて辛い思いをしないように唯一の食べ物である線香の煙を絶やさない様にすること。ろうそくの炎にはあの世とこの世を結ぶ役割があり、ろうそくの灯りと線香の香りを道標に故人が迷わずあの世に迷わないようにたどり着けるように、ロウソクの炎とお線香は絶やしてはいけないのだそうだ。
実際は、遺族が眠っても大丈夫なくらい、ロウソクは大きく、お線香も見たこともないくらい大きく何重にも戸愚呂を巻いていた。
なんとも言えない気持ちで心がグシャグシャしていたが、疲れていたためいつの間にかグッスリと眠ってしまった。
翌日の葬儀の日、ちょっとしたアクシデントが発生した。
列席者は、私たち3人と、母の兄弟とその家族と、父の姉…例の父の相続した家を売って三分の一をせしめた叔母さんだったのだが、皆がその事情を知っているため、皆が叔母さんを見る目が厳しいものだったらしい。
叔母さんは、たまりかねて「私、もう帰る…」と、二郎おじさんに言い出したところ、「自分の弟の葬儀にそんな事を言い出すものじゃない。最後までいなさい」と、叱られたのだった。
その後、お葬式は順調に進み、私は予行演習をしていた喪主の挨拶を無事に終えた。
挨拶を終えると、とたんに涙が滝のように溢れて来た。色んな想いを吐き出すように身体の中から止めどなく溢れた。
そして、葬儀が終わり、火葬場への準備が整う間に一時の間があった。
その瞬間を待ち望んでいたかのように、弔問者の中から、喪服に身を包んだ一人の紳士から声をかけられた。
てっきりお悔やみを言われるものだと思ったが、実際にはそれとはかけ離れた言葉だった。
「あのぅ…こんな時に申し上げるのも何なのですが…」
「はい?」
「実は、お父様にお金を貸していまして…」
「えっ?」
私は、面食らった。
「こんな時に何ですので、またあらためてご連絡をお待ちしております」
「………」
私は、喉がカラカラして声を出すことも出来なかった。
男性は、自分の名刺を私の手に握らせると、足早にその場を立ち去った。
私はしばらく呆然として、その場から動くことが出来なかった。怖かった。
しばらくして、火葬場へ向かう霊柩車とマイクロバスの準備がなされ、私は位牌を胸に、環は遺影を胸に、母と3人で霊柩車に乗り、親戚はマイクロバスに乗り込んだ。
出発の時の霊柩車の大きいクラクションが、これからの苦難の合図のように五臓六腑に染み渡った。
ただ、叔母さんは、マイクロバスには乗らなかった…。
享年58歳。
火葬された父は、散々人に迷惑をかけてこの世から居なくなった。
お坊さんの言葉を借りれば、父は生まれ変わって、また人生をやり直さなければいけないんじゃないかな?と、漠然と感じた。
私には、父は父の人生を全う出来たようには思えなかった。
仏教の多くの宗派において、人は亡くなってから7日目に三途の川に到着すると言われている。
その後、七日ごとに生前の行いに対する裁きを受けながら冥土を旅し、四十九日目の最後の裁判で来世がどんなものになるのか、又は生まれ変わることなく悩みや苦しみのない浄土へと迎えられるのかが決まるのだそうだ。
来世が人間であるとは限らず、生前の行いによっては動物に生まれ変わることもあるし、地獄に落ちて責め苦を受けることもあるのだそう。
澄み渡った青い空に、火葬場の煙突から立ち昇る白い煙を眺め、私の前世は、一体どんな悪行をしてきたんだろう?と思った。できることなら、私はもう産まれて来たくはないなぁ、と願った。
私の隣で、終始静かに寄り添っていてくれた環は何を思ったのだろう?
それでも、父を庇うのだろうか?
レイチェル…
側にいてくれているなら、私を守ってね。
お願い…