第9話 今話
「さて、と」
霊夢は相変わらず縁側で寝ている。昼間と変わった所は、気温が下がった為か薄手の毛布がかけられていることくらいだろうか。その奥の部屋には昼間と変わらず、紫と幽々子が座っていた。
「今度はあなた一人なのかしら」
「あぁ、私一人だ」
一人かどうか尋ねてきた割には、紫はその答えにあまり興味が無いようだった。“そう”と軽く切り捨ててから、ついに本題へと入る。
「なら…
答えを、聞こうかしら」
昼間、成す術なく隙間送りにされたにも関わらす、私は一切緊張していなかった。それどころか、張り詰めたこの空気をどこか楽しんでいる気もする。
私は一度呼吸を整えると、一息に言い切った。
「私が霊夢の友達だからだ」
紫は、隙間を使って私の目の前に現れた。手を前に出せば掴めそうな位置にまで近づいて、紫は私の目を凝視する。
…全てを見透かそうとするような、そんな目だった。いつもの笑みは口元に無く、表情もただただ真剣で。私の考えを、私が知らない所までを見ているような。
でも、私の考えは変わらない。揺らぐこともない。いくら紫が強かろうとも、私の想いを変えることは不可能なのだから。
「……助けた後は、どうするの?」
「私が霊夢の支えになる」
“ありがとう”
紫は、本当に小さな声で、そして本当に優しい表情でそう一言呟いた。先程までの張り詰めたような空気なんて微塵も感じない。どこまでも優しく、どこまでも柔らかい。そんな、まるで母のような雰囲気が、目の前の紫からは感じられた。
「さぁ、なら今夜は宴を開きましょう。この異変は私が原因を作ったのだから、その償いとして、ね」
私が息つく暇もなく、紫は隙間へと消えていった。残されたのは、寝続ける霊夢と朗らかに笑う幽々子と、およそ気の抜けたような顔をしているであろう私だけだ。紫は説明もせぬままに、どこかに行ってしまった。
拍子抜け。その言葉が一番妥当かもしれない。幾度も答えを考え、使うことは無かったが当初は戦闘の準備もした。それなりの覚悟もしていたつもりだし、予測できる結末は、覚えきれない程に考えた。それなのに、紫は“ありがとう”という言葉を残し、去った。確かに、これが一番平和である結末だったのかもしれない。ただ、事の大きさから考えるに、終わり方があまりにあっさりすぎる気がする。…まさに、拍子抜け、である。
……それでも、霊夢が助かったのならば、それは大した問題ではない。そう、紆余曲折あったが、目的は達したのだから。
「……霊夢」
縁側に近づき、横たわる霊夢の頬に触る。傍目にはわからなかったが、指先から霊夢の温もりが伝わってくるし、耳を澄ませば僅かに寝息も聞こえてくる。
…霊夢は、こうなることを望んでいたんだろうか。あれだけ感情を表に出すほど、疲れていたはずなんだろう。それなのに、ただ私が手伝うだけで、楽になるのだろうか。
霊夢がどんな状況に合ろうとも、私は迷わない。たとえ霊夢が嫌がろうとも、手伝う、協力する。
だから、もう一度笑って欲しい。別に霊夢が笑わなくなったとかそういう訳じゃないけれど、それでも霊夢には、いつも笑っていて欲しい。
「そんな所に立ちっぱなしも疲れるでしょう。
お上がりなさいな」
ふと、幽々子に呼びかけられた。おまけに、元々は紫が座っていた場所を手で軽くたたきながら話していることから考えると、どうやら横に来いということらしい。
西行寺幽々子は冥界の幽霊管理人なのだが、自身も幽霊である。いつ死んだのか私は知らないが、紫と仲が良いことから考えれば、相当の年月を過ごしてきているのだろう。それに見合う余裕や態度は、どこか紫に近しいものがある。…それ故に、私は少し苦手なのだが。
だが、断る理由も特には思いつかず、私は諦めて幽々子の隣に腰を下ろした。
「うちの妖夢がお世話になったみたいね」
私が座ってから間もなく、幽々子は話し出した。あくまでも笑顔は崩さずに、ゆっくりとした口調で、まるで私を落ち着かせようとするかのように。
「あの子にはね、紫のやろうとしてたことを伝えられなかったのよ。もしもあの子から情報が漏れたら元も子も無いし…
本当に、悪いことをしたわ」
「妖夢も隙間に送られたはずだろ?
今、どこにいるんだ?」
「あの子?
あの子は今、博麗神社で宴の準備をしているわ。紫の式と一緒にね。
あなたが隙間送りにされた後、妖夢には全てを話したわ。初めは全然話を聞いてくれなかったけど、最後には理解してくれたみたい。それで、博麗神社のお手伝いに行かせたの」
そこまで言うと、幽々子は口を閉じた。辺りには沈黙が流れ、どこからか聞こえてくる水のせせらぎだけが、この部屋を支配していた。
幽々子の言い方からして、この結果は紫の予測していたことらしい。どうやら私が永遠亭で倒れているときから宴の準備をしていたみたいだし、何よりもあの堅物である妖夢を納得させる程の筋書きが立っていたということは、かなり仕組まれた異変だったと捉えても良いだろう。
この異変に筋書きがあったと仮定しての話だが、私は、初めからその筋書き通りに進んでいたのだろうか。…いや、そんなことはない。少なくとも、紫から三回は問いかけられている。
初めに紫から問われたのは、博麗神社でのことだったと思う。あの、何かを求めるような紫の目。たぶんあの時から、私は答えを求められていたのだ。もしもあの時に“友達だから”と素直に答えていたとすれば、今とは全く違う結末になっていたことだろう。
その次に紫と会ったのは、レミリアたちと訪れた、半日前のこの場所である。あの時は藍に答えを考えるように言われていたために、それを伝えて隙間送りにされた。その時から妖夢が宴の準備に行っていることを考えると、その時に私が紫の納得いく答えを出した場合、そのまま宴会に突入した、という可能性もあった。
そして、三回目である今回。紫は宴を開くことに決めた。ということは、私の行動に合わせてその後どうするのかを決めていた…いや、それもあり得ない。早い段階で宴の準備を始めているのだから、それを取りやめることは難しいはずだ。
私たちが仲が良い数人を集めて宴会をする時でさえ、準備には莫大な時間と労力を費やさねばならない。それなのに、今回は紫の口振りからして、幻想郷全てを巻き込んだ宴になる。規模はかなりのものだろう。それを、準備が進んでいるにも関わらす簡単に“止めました”だなんて、言えるはずがない。止めることが出来ないのなら、今回私がどんな答えを用意しようとも、宴は行われていたのだろうか。
…そもそも、何故私は答えを用意しなければならなかったのだろう。確かに私の中の霊夢の位置づけがはっきりとなった。ただ、それをすることで紫にどんな利点があるのだろう。それこそ、霊夢が信頼しているであろう紫なのだ。幻想郷でも屈指の力を持ち、結界さえも弄ることが出来る紫なのだ。なまじ私なんかより、紫の方がよっぽど霊夢の力になってあげられそうなものだが…。
「…少しだけ、お話を聞いてもらっても良いかしら。たぶん、そんなに悪くないお話だと思うから」
それまで黙っていた幽々子が、笑顔は崩さぬままに話し始める。
「…お話?」
「そう、お話」
――…あるところに、とっても良く働く者がおりました。来る日も来る日も働いていて、休みなんてろくに取りません。おまけにその働き者はとっても優しくて、人から頼まれたことは絶対に引き受けるし、自分の引き受けた仕事は、例え無理をしてでも自分で解決しようとします。そんな真面目な働き者は、みんなから信用されていて、慕われていました。
ある時、そんな働き者を好きになった人がいました。“その人”はその働き者のところに足繁く通います。毎日毎日、働き者とお話しするのを楽しみにしながら、飽きることなく通い続けました。
そんなある日、“その人”は働き者が無理をしていることに気付きます。人々が働き者を頼りすぎていること、そして、働き者が全てのことを一人で背負い過ぎて、潰れてしまいそうなことにです。“その人”は、大好きな働き者の為に、何か力になれることはないかと探しました。 ある日は、働き者の仕事を自分が代わりにやろうと言いました。ですが、働き者は笑顔のまま、これが私の仕事だから、と聞く耳を持ちません。
また別の日に、“その人”は働き者に、一緒にその仕事をやろう、と言いました。ですが、働き者はやっぱり笑顔のまま、これが私の仕事だから、と譲ろうとしません。
そんな、何も出来ない日が幾日も過ぎた頃、働き者はついに倒れてしまいました。日頃の疲れが蓄積しているのか、なかなか体調は元に戻りません。ですが、生真面目な働き者は、働いていないことに罪悪感を抱き、更に自分を追い込んでしまいます。働き者は体も心も、疲れ果てていました。
そんな時、“その人”はあることに気付きました。それは働き者に好きな人がいること、そして、その働き者が好きな人は自分ではないということです。
働き者はが好きな人は、巷でも有名な泥棒でした。泥棒と言っても決して悪い人ではなく、明るく朗らかな、人から愛される変わった泥棒です。その泥棒は時々働き者の所に来る程度で、そんな頻繁に見かけることはありません。ですが、その泥棒を見る働き者の目は、明らかに“その人”を見る目とは違っていました。
“その人”は悩みました。自分の気持ちを優先させても、何の解決にもならない。それどころか、自分の大好きな働き者を困らせることにもなりかねない。でも、自分が働き者を好きだと言うことは変えられない。そんな思いに挟まれて、“その人”は泣きました。時には一人で、時には親友に縋りながら。
ですが、そんな状態も長くは続きません。働き者が、また無理をして働き出したからです。
人々は、働き者が全ての仕事をこなしてくれるものと信じて、全ての仕事を働き者に押し付けました。“その人”は勿論人々に反論しますが、人々は聞く耳を持ちません。何故なら、人々は長い長い間働き者を頼っていたが為に、働き者に頼る以外の方法をいつの間にやら忘れてしまっていたからです。また人々の考え方も、“仕事は働き者がやってくれている”というものから、“仕事は働き者がやるべき”というものに変わっていました。
もう、残された時間は長くありません。このままだと、近い内に働き者は死んでしまいます。“その人”は悩んだ挙げ句、その泥棒を頼ることにしました。
働き者が好きな泥棒になら、もしかしたら働き者が心を許してくれるかもしれない。もしもそうなったのなら、働き者の負担が減るかもしれない。
その思いで、“その人”は働き者と泥棒を結び付ける算段をし、自分は一歩引いて見守ることにしました。
“その人”の決意はとても堅いものです。ですが、働き者の好意を泥棒に向けるということは、同時に自分の気持ちを諦めるということになります。それは、とても辛いことです。それでも“その人”は、それが働き者の為なのだと自分に言い聞かせ、必死に黒子になろうとするのでした…――
そこまで話すと、幽々子は口を噤んだ。何とも中途半端な、結末の見えない終わり方をされた為に、どうにも後口か悪い。
「………その話の続きは?」
「…どうなるのかしらねぇ」
幽々子は相変わらず微笑んだまま、くすりと、笑った。